2009年1月18日日曜日

無知と無策と無思慮のグランド・スラム

 日本の食糧自給率は、カロリー・ベースで40%。この数字は、先進国中最低で、同じ島国であるイギリスでも、72%もある。また、イタリア71%、ドイツ91%、お隣の韓国でも50%を越えている。穀物自給率で見れば、日本は僅か29%となっている。

 こんな現実を何とかしなければならないと「自給率アップ」が叫ばれているわけだが、どうもことの本質がすり替わっているようで、何か釈然としない。

 本来、「自給率アップ」は、結果であって目的ではないはずだ。コスト、品質、安全、そして、なんといってもおいしく、魅力的な商品であれば、人はそれを喜んで購入するはずだ。それを「食料安全保障」という大義名分の下に、高率関税や助成金などによって国内農業を保護し、消費者に無理矢理高いものを押しつけることで、自給率をアップさせようという施策は、いかがなものかと思う。

 そもそも、農作物は自然なものであり、その土地によって適不適があるのは、当たり前のこと。一律全ての農作物の自給率を上げようなどと考えることは、自然の摂理に反している。そんなことをしようとすれば、肥料や水、飼料などに余計なコストがかかり、コストパフォーマンスの悪い食料を生産することとなり、その付けは消費者が背負うことになるだけだ。

 ならば割り切って、日本の土地に適したものは、積極的に保護支援し、国内だけではなく海外への輸出も含めて生産を拡大する。例えば、米などは、海外でも評価が高いと聞く。こういうものは、大規模化や経営、生産の合理化を図り、輸出品とできるようにコストパフォーマンスを高める。結果として、国内価格も下がり、消費者の購入意欲も高まるはず。
 一方、トウモロコシや小麦などは、日本の土地に向いていないとすれば、ばっさりと切り捨ててもいいのではないか。

 美味しくて、妥当な価格であれば、購入する。高くても、それだけの価値があれば、購入する人もいる。そうでなければ、市場から淘汰されてゆく。

 得意不得意をグローバルな観点で分配すること。それは、保護することではなく、積極的に農作物の商品力を高め、市場の原理として、食糧自給率を高めてゆくという方法がないものだろうか。このように消費者の視点に立った積極的な施策を打ち出せる政治家や官僚はいないのだろうか?

 もうひとつ、引っかかるのが、食料自給率の問題と食の安全と安心を結びつける議論である。

 そもそも、安全と安心は、別物。安全とは、健康への被害なくすことである。このことは、国産、輸入を問わず、必要なこと。一方、安心とは、情緒的なものであって、イコール安全とはならない。例えば、「賞味期限=美味しく食べられる期間」が切れた食品を食べても「消費期限=この期間を過ぎれば食べてはいけないという期間」を切れていなければ、安全である。しかし、消費者は賞味期限が切れたことで安心を得られない。安全であるにもかかわらず、安心ではないので賞味機期限切れの食品は捨てられている。こんな日本人の過剰反応が、結果として、無駄な食品類の輸入を増やし、自給率低下につながっている側面もあるのでは無いかと思う。

 ちなみに、一般家庭で食べ残しとして捨てられている食物は、3.7%、結婚式の場合は、22.5%、宴会、15.2%、宿泊施設、12%、食堂・レストラン3.1%とのこと。それ以外にも規格外と言うことで出荷される前に大量の農作物が廃棄されていると言う。こんな現実と自給率の問題は、無縁ではないだろう。

 輸入品を国産品と偽る事件が後を絶たない。これは、日本人の安心に対する過剰反応が生み出した犯罪とも言える。「国産品は、安全である」。そんな神話がこんな事件の背景にはある。ほんとうにそういいきれるのか。はなはだ疑問だ。

 安全のために自給率を上げなければならないという議論。これは、どうもおかしな気がする。国産品だからと言って安全であるとの保証はない。一方、輸入品であっても安全なものはある。そのことと、安心という感性の問題が、同じレベルで議論されることには違和感を感じる。

 先日、江戸川区の小松菜農家のヒデくんに話を聞いた。まだ20歳台の専業農家。彼の作った小松菜を頂いたが、そのしゃきしゃき感にしっかりとした甘み。これが、小松菜の本当のおいしさなのかと感激した。彼曰く、「ちょっと、やればできることです」とのことだが、彼なりの苦労があるようだ。彼の言によれば、農薬は、他の農家の1/3とのこと。本当は、農薬を沢山使った方が楽に均一の作物を育てられるのだが、自分はそんなことはしたくないとキッパリ。同じ日本の農家でも、意識の違いは歴然としている。

 食事というのは、五味や五感の楽しみであり、安全だけではない。安心とは、彼のような努力を受け入れ、しかるべき対価を支払うのが当然とする感性の問題である。その当たり前を私たちが受け入れる一方で、そういう努力に対して、支援し育ててゆく施策が必要なのではないか。これは、安全とは違う次元の議論であろう。

 ヒデくんは、工夫をして美味しいものを作ろうとしている。彼曰く、「食べていだければ直ぐに分かりますよ」というが、まったくその通りだと思う。そんな努力を促し、魅力ある国産農産物を生産し、流通させる仕組みを作れないものだろうか。そうすれば、市場原理として、自給率は、高まるのではないか。

 国産品=安全=安心という等式が、前提であるかのように自給率の問題が議論されている世の中の論調を見るに付けて、マスコミの無知、政治家や官僚の無策、国民の無思慮のグランド・スラムを嘆かずにはいられない。

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