というのも、我が師匠は、うまいものを食べて、御酒を召し上がると、ひとりでは家に帰れないという、どうにも困った御仁である。
以前もF氏のお誘いで、小生共々、竜宮城で修行をしてきたのではないかという職人さんの絶品の鮨をごちそうになったのだが、我が師匠は、大丈夫だからと始発駅の光が丘から大江戸線に乗ったはいいが、そのまま3往復して、再び始発駅に戻り、終電ですから降りてくださいと駅員に言われるほどの御仁である。
再び、こんな目に遭わしてはいけないという責任感を胸に、F氏の車に乗り込んだ。
都内某所の住宅街。「ここですよ」というF氏。なんとも場違いなところに「焼き肉屋」があるものだなあと思いながらも車を降りた。
そこは、どう見ても「焼き肉屋」にはみえない。居酒屋とでも言うか、小料理屋とでも言うか、そんなたたずまいである。
そもそも、あの焼き肉の焼ける匂いがまったくしないではないか。これは、どういうことなのか。この状況をたとえて言えば、ファミレスでランチをとるつもりで自動ドアを開けたら、和服姿の3人の女中さんが、三つ指をついて「おいでやす」というようなもので、なんとも心地よく、そして意表をつかれた感じである。
しずしずと引き戸を開ける。それでも焼き肉の匂いも煙もない。これは、いったい・・・
さほど広くはない店内だが、既に満席状態。予約されていた席に着くと、F氏の奥さまが、「ここ、とても美味しいお肉のお刺身をいただけるんですよ」とのこと。なに?肉の刺身とな・・・?
おぼっちゃまとして育てられた小生であるが、子供の頃から、肉はよく焼いて食べなければダメだと言い聞かされてきました。それが文明人であり、世の中の常識と心得てきた私にとっては、驚天動地である。
だいたい、「肉」と言えば、92.8%の日本人が、「焼き肉」を思い浮かべるという(NHKの世論調査)。そんな普通の日本人に属する小生、常識などというものが、なんと危ういものかという厳しい現実を見せつけられ、軽いめまいを感じた。
生中で喉を潤し、ひとしきりの歓談を楽しんでいると、「刺し盛り」が運ばれてきた。なんとそこには、ハラミ、ガツ、レバー、ミノなどが生のまま盛られているではないか。本当にこんなものを食べられるのだろうかと思いながらも、気が付けばレバ刺しをつまんでいる自分・・・。ああ、こんな年になっても、礼節をわきまえない我が身の愚かさに一瞬たじろぐも、レバーは、既にニンニク醤油に浸っている。いけない、いけないという前頭葉の制止も聞かず、脳幹の本能中枢が、箸を口に運んでゆく。
「美味」それ以外の言葉が思い浮かばない。臭みなどまったくなく、まろやかでクリーミーなうまみが口の中に広がる。「ありがとう」と心の中で叫んだのもつかの間、箸は既にハラミをつまみ上げていた。
F氏曰く「これ、そんなに高くないんですよ。ほら・・・」とメニューを示された。こっこれは・・・!世間で頂く刺身の盛り合わせなどよりもはるかに安い。その瞬間、いままで機能していた「遠慮のヒューズ」が、バッチと大きな音を立てて切れてしまった。あとはもう、肉食獣と化す我が身を止めることなどだれにもできない。
ひとしきり、刺し盛りを堪能したころ、今度はなんと牛タンの刺身が運ばれてきた。牛タンとは、さっと焼いてレモン塩で頂くのか常識と心得ていた日本人の小生にとっては、左の頬を思いっきり張られた思いである。既に刺し盛りで右の頬は差し出している。ええぃ!どうにでもしあがれ!と完全に開き直った。
我が師匠曰く「牛とのディープ・キッスですね。」なかなか、うまいことを言う。
こんなものを頂いていいのだろうか。逡巡する心を打ち消すように、ランニング練習でよく行く神奈川県の大野山牧場で、牧草を食べるホルスタインの姿が、大脳視覚中枢に浮かび上がる。
長い舌を器用に使い、牧草を口の中へ運ぶ牛たちの姿。こんなものを食べていいのだろうかと左脳の理性中枢が語りかけるも、「美味しいですよ~!」という右脳にそそのかされ、気が付けば、箸は既にわさび醤油を目指していた。
ああ、なんという堕落。理性と感性の相克に心を痛めながら、ふと目の前を見ると皿はきれいになっている。「また再び大野山牧場へ行ったときには、有り難うと手を合わせよう」と心の中で誓った。
そんなときである。「ちょっと、カロリー取りすぎじゃないの?」という、理性の声だろうか、はたまた、目の前にいる師匠の声であろうか・・・我に返ると、スープに浸る牛テールをフォークとナイフで削っている我が身に気付く。
しかし、一旦手を付けた仕事を途中で投げ出すなど男のすることではない。最後まで、身をほぐし、口に運び、責任を果たす。予は、満足である。
我が師匠、幸いにも酩酊することなく、僅かばかりではあるが、理性を維持している。そろそろ潮時か。
美味しい肉と御酒を堪能し、F氏ご夫妻に心より感謝しつつ、その店を辞去した。
「聞こし食す国のまほろばぞ」。そんな万葉の詩歌を思い浮かべつつ、明日は、食べた分ランニングしなければと決意を新たにする小生であった。
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