2012年8月25日土曜日

営業は楽しい仕事なのでしょうか?

「毎日忙しく、仕事が楽しいなんて、とても思えませんよ・・・」

入社3年目の営業さんから、そんな言葉を聞かされました。思い返せば、私もまた同じような時期がありました。金曜日が待ち遠しく、日曜日になると「あ~、また明日から仕事だ・・・」と考えてしまう。本当に憂鬱でした。

当時の先輩は昼前にしか出てきません。だからといって新前の私がそれに合わせる訳にもゆかず8時頃には出社していました。

昼間は忙しく仕事をこなし、お客さまにも足を運び、疲れて夕方戻ってきます。そして、また事務処理や明日の準備です。気がつけば夜も9時、10時、すると先輩が、「打ち合わせするぞ!」と招集をかけます。一通りの指示が与えられ、それが済むとまたその指示に従って資料を作りました。作っても、一発OKなどということはなく、赤線を入れられ、時にはせっかく仕上げた資料を破り捨てられることもありました。

「なんと理不尽なことをいうんだ、これで十分じゃないか・・・」。反発する気持ち、悲しみと怒りの入り交じった納得できない悔しさが胸を締め付けました。それでも従わなくてはなりません。

見切りをつけて帰ろうという頃には終電もなくなっています。じゃあ、「飯でも食って帰るか」という声にラーメンと餃子を食べて、タクシーで帰宅する。タクシーに乗れば、目的地を告げて、そのまま爆睡。帰宅後シャワーを浴びて、少し眠ればすぐに朝です。着替えて電車に乗れば、そこもまた貴重な睡眠時間でした。そして、何時ものように朝一番にオフィースに到着する。先輩は昼前・・・

当然、徹夜仕事や休日出勤は当たり前でした。近くのカプセルホテルは常連宿と化していましたね。

出張の車中は、貴重な休息でした。お客さまが東北に多かったので、毎週のように長距離出張していました。ただ、深夜まで資料を作り、そして、上野駅前(当時の東北新幹線は上野発、また、常磐線沿いのお客さまもいらっしゃいましたので)のカプセルホテルで23時間仮眠し、始発に乗って、その日の夜に帰ってくる。そして、また同じサイクルの始まりです。

・・・ 今思うと、よくやっていたと思います(笑)。

楽しいどころか、苦痛でしかありませんでした。何度も会社を辞めようと思いました。自分は、営業に向いていないんじゃないかとも思いました。しかし、ここで音を上げては、かっこわるいし、負けになる。そんな見栄のようなものが、最後の支えになっていたように思います。

そんな私が、「営業は楽しい!」と思えた切っ掛けは、ごく些細なことでした。

入社3年目の頃、先輩がお客さまを連れて海外視察へゆくことになり、2週間不在となったときです。担当するお客さまから既に使用されているコンピューターのアップグレードの相談を頂いたときでした。わずか数百万円の話しです。当時、数千万円、数億円のビジネスが当たり前の時代。わずかな売上です。しかし、その構成や手配はなかなか複雑で、手間のかかるものでした。しかし、お客さまは緊急に対応してほしいと要求されています。「まいったなぁ」そんな思いがよぎりました。

それまでは、何事においても先輩の指示に従い、確認を取って進めていたのですが、当時は電子メールも携帯電話もない時代ですから、全て自分で判断し、進めなくてはなりません。もちろんやり方は心得ていました。しかし、全ては自分で判断しなくてはなりません。とても不安でした。面倒な作業でもありました。社内の技術部門やパーツセンター、工場などとも調整し、交渉しなくてはなりません。

それを何とかこなし、一切の仕事を自分で完結した時、「なんだ、自分にもできるじゃないか・・・」。なんとも満たされた思いでした。お客さまからも「斎藤さん、ほんとうに助かったよ。ありがとう。」そう言われたときの喜びは、今でも忘れることができません。

改めて思い返すと、営業という仕事が楽しいと思えた最初だったかもしれません。

先輩が長期出張から戻ってきても、仕事のペースは何も変わりませんでした。しかし、私の気持ちは全く変わっていました。自分のやっていることに意義を感じ、先輩が指示していることの意味も、なるほどと素直に思えるようになりました。そうすると、仕事が楽しくなり、いろいろなことがうまく回りはじめたように感じられたのです。

営業という仕事の楽しさは何かと聞かれることがよくあります。しかし、それは自分で見つけるしかありません。「お客さまに感謝される仕事だから」、「いろいろな人と係わり調整し、大きな仕事をする機会が与えられているから」・・・ありきたりのことはいろいろいと申し上げることはできます。しかし、それは何の答えにもならないでしょう。

ひとつ言えることは、自分のやっている仕事は何が楽しいのだろうかを追求し、考え続けることです。そして、自分でそれを見つけたとき、それが貴方にとっての答えだということです。

私は、今、営業という仕事を選び、その仕事を続けてきたことを、本当に良かったことだと思います。そして、それを誇りだとも思っています。それは、理屈ではなく、私の心がそう感じていることなのです。

楽しいと感じられるかどうかは、本当に小さな心のスイッチの切り替えだけなのかもしれませんね。その小さなスイッチにまず手をかけることからはじめなくてはなりません。それは、「営業という仕事の楽しさって何だろうか?」と真剣に考え、向き合ってみることです。

「営業の楽しさが分からない」。そう思われている方は、まず心のスイッチに手をかけることからはじめてみてはいかがでしょうか。

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2012年8月19日日曜日

ゴールから始める提案活動

「この案件を獲るために、お客さま内に大きなシェアを持つA社の下でやるのがいいように思っていまして、その辺の関係作りからはじめようと思っています。」
「手近な運用から入り、何を提案すべきかを探った上で、提案をまとめようと考えています。」
「まだまだ、お客さまの考えを十分に聞き取れているとは言えません。もう少し時間をかけて、情報収集をしてから、提案しようと考えています。」

こういう話しを聞くと、「本当にやる気があるのですか?」と申し上げてしまいそうになります()

確かに、適切なアプローチ・ルートを考えることや、お客さまの情報を徹底的に収集し的確で精緻な提案内容を組み立てることを否定しているわけではありません。それは、是非とも必要なことです。

しかし、それは提案をクローズするために必要なことではあっても提案のチャンスを得るためには必ずしも重要なことではありません。

残念ながら、このようなアプローチを続けている限り、いつまで経ってもどこかの下請けに甘んじるか、自ら進んで競合状況を演出することになると思います。

提案活動においてまず行うべきことは、意志決定に関わる人が誰かを見つけ出し、その方と提案の目的や本質を合意することです。言い換えれば、「なるほど、これはいい、これでやりましょう!」と、お客さまと握手を交わすことです。

具体的には、次の3つのステップをこなすことです。
  1. 課題を解決し、ニーズを満たした結果、「どうなっていたいのか」を合意すること。「どのように満たすか」ではありません。「実現の手段(To Do)」ではなく、「あるべき姿(To Be)」を合意することです。
  2. 結果に至る大きなマイルストーンを明らかにすること。それは、決して、具体的な製品やサービスの名称を示すことではなく、どのような段階を経て「あるべき姿(To Be)」に至るかを明らかにすることです。
  3. 最後に、自らの強い意志と安心感をお客さまに与えること。「あるべき姿(To Be)」を実現するにあたり、自らもリスクを覚悟で真摯に取り組む姿勢を示すことで、お客さまに安心と信頼を与えることです。

お客さまは、常に厳しい現実に縛られています。ですから、お客さまだけでは、どうしても現実の拘束条件を前提に、手段(To Do)に縛られた解決策しか考えられないことがよくあります。だからこそ、営業は、そんなお客さまの夢を代弁し、しがらみのない本来のあるべき姿(To Be)を提示してあげるからこそ、存在価値があるのです。

そして、そのあるべき姿(To Be)に相対する現実についても冷静に目を向ける必要があります。当然、そこにはギャップが存在します。そのギャップを明らかにし、埋める手段を考えなくてはなりません。しかし、まずは、ゴールをお客さまとしっかり共有すること。それがあって、私達ははじめて、提案活動のイニシアティブを握ることができるのです。

人は、明確な目的を持たずして、前へ進もうとは思いません。その目的が、魅力的であればあるほど、人はその困難を乗り越える勇気と力を高めてゆくことができるのです。

提案活動とは、お客さまとあるべき姿を合意すること。そして、一緒になってそのゴールを目指しましょうと握手することが、出発点です。それを実現するルートや手段を具体化することは、クローズのための活動であり、スタートのための活動ではありません。

100点満点の内容を示すことにこだわり、お客さまがなるほどと思える本質であり、核心が何かをおろそかにしては、本末転倒です。それ見出すために、現場に入り込み時間をかけて情報収集してもなかなか目的を達することはできません。意志決定に関わる人や現場に精通したベテランの方と本音で語りあうことです。

だらだらと時間をかけるのではなく、聞いては簡単な資料にまとめ、「あるべき姿はこうですね」と仮説を提示する。それを何度かお客さまとの間で、やり取りすることで、合意できる「あるべき姿」が見えてくるはずです。

始めるために時間をかけるべきではありません。まずは、「あるべき姿」を合意することから、始めてみてはいかがでしょうか。

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2012年8月11日土曜日

日米のCIOの違い

米国と日本のCIOChief Information Officer:最高情報責任者または情報統括役員)の違いを一枚のチャートにまとめてみました。


CIOの設置企業の数についてですが、経済産業省の“「IT経営力指標」を用いた企業のIT利活用に関する現状調査”によると、「社内にCIOがいる」日本企業は58.3%、これに対して、米国は83.1%、韓国は71.3%という数字になっています。

これとは別の調査ですが、総務省の「平成22年度版 情報通信白書」では、CIOを役職として設置している企業の割合は5.1%。日本情報システム・ユーザー協会(JUAS)の「企業IT動向調査2010」では、7%となっています。

経済産業省の調査結果がこのように大きくなっているのは、たぶん役員としての本来の意味でのCIOだけではなく、情報システム部門長もCIOとして算入しいるためかもしれません。感覚的には、総務省やJUASの調査結果の方が、納得感はあります。ただどちらにしてもCIOという役員クラスの責任者が少ないことだけは確かなようです。

また、日本ではCIOとして専任役員を設置している企業は多くありません。一般的には財務や総務を担当する役員が兼務する形を取っており、その社内的な位置づけは曖昧です。

一方、米国の場合、CIOを独立した役員ポストと位置づけ、社外からスペシャリストとしてCIOを採用し情報システムの利活用を一任する形態を取っています。

つまり、CIOは、CEOCFOなどと同様に経営のトップライン位置し、企業の全体最適を推進する立場にあります。その権限は日本と違い強力で、情報システムの利活用だけではなく、組織や業務ルールの変革にもおよび、まさにトップダウンで「経営と情報システムの融合」を実現する立場にあると言えます。

これに対して、日本のCIOは、仮に役員であったとしても、情報システムの専任でもスペシャリストでもありませんから、実務実践は情報システム部門に一任することになります。そして、一スタッフ部門としての情報システム部門は、現場からの個別の要望に対処することが暗黙の了解事項です。そして、CIOは、このような現場主導ですすめられる情報システム構築を上長として承認するというボトムアップ型の意志決定を行います。結果として個別最適なシステムの構築に向かうことになります。

情報システム部門の権限の低さと現場部門の相対的優位の構造は、情報システム部門が現場の組織や体制、業務の仕方にまで踏み込むことを許しません。そのため、現場の要望を拾い上げそれを反映させた現場最適のシステムを個別に作り上げることになります。

米国のようにトップダウンで業務の改革や組織の変更を伴う「企業全体の収益拡大や成長の維持」というような全体最適を指向した戦略的情報システムを構築することは難しく、個々の「業務の効率化とコスト削減」の道具に留まっているという状況です。

このような様々な個別の情報システムを人数の限られた情報システム部門のスタッフで保守、運用することは難しい状況にあります。そこで、それぞれを個別に外部のSIerやベンダーに任せることになります。そのほうが効率的であり、QCDもコントロールしやすいからです。

そのため、情報システム部門のスタッフは、全体の調整役あるいは契約や手続き等の業務対応に時間が割かれ、技術的なことは外部ベンダーに任せてしまうこととなります。また、経営と融合した情報システム戦略は明確にはないわけですから、技術や情報システム戦略を学ぶ機会は乏しく、結果として人材の育ちにくい環境となっています。

戦略の乏しさや人材の不足では、自らがイニシアティブを取りにくく、ベンダー任せ、ベンダー・ロックインの構造を助長することになります。そして、その構造にあぐらをかいているのが、ITベンダーでありSIerと言うことになるのでしょう。

しかし、企業の経営基盤が、今後ますます海外にシフトする中、情報システムの戦略的活用は、これまで以上に経営戦略上の重要性を増すことになります。そうなると、これまでの日本型のスキームが成り立たなくなることは明白です。それは情報システム部門にとっても、ITベンダーやSIerにとっても、大きな変革を迫られることになります。

日米のCIOの違いから、情報システム戦略のこれからが見えてきます。グローバル化の加速は、我が国の情報システムのあり方に大きな変革をもたらすことになるでしょう。そして、昨今の社会環境は、そのスピードを益々加速しているように見えます。

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2012年8月4日土曜日

日本IBMの営業力は、なぜこんなにも弱体化してしまったのでしょうか

かつてをご存知の方は、このような感慨を持たれる方も多いのではないでしょうか。

私は、元IBMの営業として、過去の栄光を懐かしみ、昔は良かったと感傷に浸っているわけではありません。私は、この現実にこそ、日本が世界の常識と乖離していること、そして、だからこそ、日本のIT営業は、この違いを理解した上で、その役割を果たすべきだと申し上げたいのです。

IBMの営業パーソンの個々人の能力や志について、語ろうというものでありません。多くの友人や先輩諸氏が、営業の現場で頑張っています。彼等の営業としてのセンスや能力の高さは、憧憬に値するものです。

私が、ここで申し上げたいことは、そういう個々人の話しではなく、組織のメカニズムとして、日本IBMの営業体制が、日本の実情にそぐわないこと、そして、それは一方では、日本のCIOであり、情報システム部門の役割が米国とは大きく異なっていることが、その根底にあると言うことを申し上げたいのです。

現在、日本IBMの営業体制は、一部の戦略的大企業を除けば、実質的なお客様担当営業はおらず、サービスやプロダクトごとに個別に担当営業を配する体制を取っています。つまり、ひとつのお客様に複数の営業担当者がいることになります。

このような営業スタイルは、ユーザー企業のCIOや情報システム部門が、次の役割を果たせる場合、有効に機能します。
  • 技術のトレンドや業界の動向に精通し、しっかりと情報システム戦略を組み立てることができること
  • 各製品やサービスを目利きし、的確に取捨選択できる体制や能力を有していること
  • CIOが意志決定に当たって、経営の立場から強いリーダーシップを発揮できること

つまり、ユーザーがシステム・ベンダーに対して、おんぶにだっこの依存関係ではなく、自らの知性と意志で判断し、ベンダーに対するイニシアティブを発揮できるとが前提です。

ユーザー自身がインテグレーターとしての役割を果たすならば、個々のサービスや製品を目利きし、最適なインテグレーションを考えなくてはなりません。そのとき、今の日本IBMのような個々の製品やサービスについての深い知識を持ち、提案できる営業体制は、たいへん重宝な存在です。

つまり、日本IBMというひとかたまりの存在とらえるのではなく、様々なサービスやプロダクトを提供する個別ベンダーの総体、つまりITプロダクトやサービスのデパート、専門店街としての存在としてとらえれば、今の日本IBMの営業体制の意味は、理解しやすいかもしれません。

しかし、我が国におけるユーザー企業の実態を鑑みると、CIOや情報システム部門が、自らをインテグレーターと自覚し、その能力を磨き、役割を果たしているところは、必ずしも多くはありません。それにもかかわらず、グローバル・スタンダードを貫くIBM本社の方針に沿う形で日本IBMの営業体制は、作られています。残念ながら、今はその役割を十分に果たすことができず、心ある現場の営業たちが、そのギャップを埋めるべく奮闘しているというのが実態ではないでしょうか。これが、日本IBMの営業力が弱体化している背景にあると考えています。

これを他山の石と見るならば、このような我が国の実態に即した営業体制を構築することが当面は効果的であろうと考えられます。つまり、アカウント営業を前提とした組織体制を構築することです。つまり、お客様を担当する営業が、唯一の窓口となり、お客様の様々な事案のとりまとめ役になり、良き相談相手としての存在感を高めることだろうと思います。そのための能力を磨き、体制を構築することだろうと思います。

プロダクトの販売を専業とする営業についても、この考え方は成り立ちます。つまり、自分のプロダクトを売るために、このようなお客様のさまざまな相談を引き受ける。その上で、自分たちの製品やサービスの位置づけを伝え提案することができれば、お客様は大助かりであり、信頼もされるはずです。

グローバル化を目指す日本の企業は、いずれは、米国型のCIOであり、情報システム部門としての役割を果たすべきだと思います。ユーザー自らがこの変化を受け入れ、自らの能力を高めてゆくべきでしょう。それができなければ、我が国の情報システムはグローバルな時代の流れに取り残され、いずれはIT後進国としての汚名を戴くことになります。

一方、営業は、アカウント・エクゼクティブ(Account Executive)を目指すか、ソリューション・スペシャリスト(Solution Specialist)を目指すか。自分の役割を自覚し、その能力を磨いてゆくべきだろうと思います。そして、どのような時代が来ようとも、それぞれの立場でプロフェッショナリティを活かせる存在になれば、どこででも生きてゆけるはずです。

ここで申しあげたことへのご批判もあるかと思います。ぜひ、そんなご意見をFacebookページで聞かせください。ご意見を交換できればと存じます。