2012年7月28日土曜日

課題発見とはお客様の課題を知ることではありません

「最も必要なスキルは“課題発見力”」

こんなアンケート調査の結果が紹介されていました。

ところで、課題発見力とはどのような能力なのでしょうか、また、どうすれば身につけられるのでしょうか。今日は、そんなことを考えて見ました。

結論から申し上げれば、課題発見力とは、お客様がどのような課題を持っているかを知る能力ではありません。

例えば、私達が「それは課題だ!」と思ってみても、お客様にそれを解決したいという意欲がなければ、それはお客様にとっては課題ではありません。お客様の「なんとしてでも解決したい」、その想いを引き出すことができてこそ、お客様の課題になるのです。そんなお客様の意欲があるから、私達は、課題解決のための提案が可能になるのです。

課題発見力とは、このような「課題を解決したいというお客様の意欲」を引き出す能力なのです。

では、そもそも「課題」とは、何でしょうか。まずこの点から考えて見ましょう。

「課題」とは、お客様の望んでいる「あるべき姿」と「現状」とのギャップです。そのギャップを埋めることが「課題解決」であり、その手段が「ソリューション」です。


例えば、1000億円の売上達成がお客様の望まれている「あるべき姿」だとします。しかし、「現状」は800億円しかありません。ここには200億円のギャップがあります。お客様は、このギャップをなんとか埋めたいと思っています。つまり「200億円売上を増やすこと」がお客様の課題となります。

もしお客様が800億円で良いと考えるなら現状が800億円ですからギャップありません。つまり、課題がないと言うことになります。

つまり課題とは、「お客様が自ら意欲を持って解消したいギャップ」ということになります。

課題を知るとは、このギャップを見つけることです。そのためには、お客様が何を望んでいるのか、そして現状がどうなっているのかを知ることからはじめなくてはなりません。この両者が分かってこそ、ギャップが明らかになります。

ところで、どのようにすればこのギャップを知ることができるでしょうか。

例えば、お客様に「何をお望みですか?」「現状はどうなっているのですか?」などと質問して、お客様は素直にその答えを教えてくださるでしょうか。ほとんどの場合、その期待はむなしいものに終わります。

当然ことです。お客様にしてみれば、説明できるほど整理できているとは限りません。そもそも、何について聞いているのかさえ定かではなく、何をどう答えて良いのか分からないのかもしれません。あるいは、なんでそんなことをあなたに話さなくてはならないのかと思っていれば、たとえ分かっていても話しなどしてくれないでしょう。

結局は、「何もありません」と言われ、話しはそれ以上先には進みません。

まず行うべきことは、お客様についての徹底した情報収集です。お客様の現状はどうなっているのかを自分なりに丁寧に調べ整理しておくことです。その上で、お客様はこんなことを望まれているのではないか、あるいは、こうすべきだという自分なりの仮説を立てることです。そして、お客様にこんな問いかけをしてみてはいかがでしょう。

「御社では社長方針として2015年度までに売上高1000億円の達成を掲げられています。しかし、現状は800億円であり、直近3年の売上高の増収も2%程度であることを考えると、あと3年で25%の増収を狙うというのは、容易なことではないように思います。やはり、同業他社が取り組まれていると同様のECサービスに新規参入し、そのギャップを一気に埋めようとお考えなのでしょうか?

その答えは、YesNoしかありません。そして、Yesであれば、「では、やはりA社の提供されているソーシャル・メディアとの連携を考えたサービスを御社でも展開されるわけですね。」などと、さらに質問を重ねてゆきます。その繰り返しにより、お客様の「あるべき姿」と「現状」とのギャップを明らかにしてゆきます。

もし、Noであれば、「では、アジア圏での販売拠点を拡充されるのですか?」と別の仮設を示しながら、お客様のYesを探り出すことです。こういう仮設をいくつか用意し、お客様との会話に望むことが大切です。

「何かありませんか?」ではなく「これはどうですか?」の質問をあらかじめ用意し、それをお客様にぶつけてみる。これがギャップを発見する、つまり、課題発見するための効果的な方法です。

ただ、お客様が「あるべき姿」を知らないことも少なくはないでしょう。ならば、お客様に、お客様の「あるべき姿」を知らせることで、ギャップを創り出すことができます。

例えば、IFRSの適用によって、お客様は業務をどのように変えなければならないのでしょうか。クラウド・サービスの普及やITテクノロジーの進化によって、情報システムの「あるべき姿」はどのようになるのでしょうか。そして、その進化にふさわしいお客様の情報システムの「あるべき姿」は、どうあるべきなのでしょうか。

このようなお客様の「あるべき姿」をご理解頂き、現状との間にギャップがあることに気付かせることで、それを解決したいという意欲を引き出すことができます。

あるいは、お客様の現状をこちらが丁寧に整理し、本来あるべき姿との間にどのようなギャップが存在しているのかを、客観的に、分析的にお知らせすることも、ひとつの方法です。そうすれば、お客様は、そのギャップを知り、自らやるべきことに気付かれるかもしれません。

課題発見とは、このようにお客様の意識の中に、現状とあるべき姿のギャップを描き出し、それを解決したいという意欲を引き出すことなのです。

一般論をかざして、「御社の課題は・・・」と押し売りしても、お客様はそれを解決したいと思わない限り、課題を発見できたとは言えません。

課題発見力とは、広く様々な情報を収集し、それをお客様に当てはめて分析し、仮設を組み立てる力です。そして、それをお客様に伝え、検証する手順をこなす力と言うことになるのでしょう。

課題とは、解決したいという意欲を伴う問題意識。問題の存在に気付かせ、それが何かをお客様の実際の業務やデータを交え具体的なイメージとして表現し、このままではたいへんなことになる、何とかしなくては、と解決への意欲を引き出すこと。これが、課題を発見することなのです。

課題発見力とは、言葉の言い回しや思考のフレームワークを学ぶだけでは、その能力を高めることはできません。むしろ、お客様やお客様を取り巻く環境、社会や経済の常識に関心を持ち、そういう情報をしっかりとアップデートしておくことが大切です。その情報を使って、的確な仮設を立てる。その能力こそ、課題発見力の本質と言えるのではないでしょうか。


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2012年7月21日土曜日

東北は日本の縮図


先日(7月16日)、宮城県南三陸町志津川の海岸線にそびえる震災瓦礫の頂から眺めた美しい三陸の海の景色です。この光景は、まさにこの町の今の縮図かもしれません。


上の写真は、昨年の7月9日にはじめてこの町を訪れた時の光景です。瓦礫も手つかずの状況が残っていました。

私は、それ以来、福島県、宮城県、岩手県の沿岸部を幾度となく訪れるようになりました。この南三陸町は、そんな私の震災に関わる原点となったところです。



地元の方に話を聞くと、「町はキレイになった」とよく言われます。この写真は、今の南三陸町の光景です。確かに、いたるところに散乱していた瓦礫は取り払われましたが、その後には広漠とした廃墟が、広がっています。そして、取り払われた瓦礫はこうして山積みにされ、この町の未来に重くのしかかっています。



瓦礫の広域処理が簡単ではないことはわかります。しかし、放射線量が都内よりも低いこの場所の瓦礫でさえ、根拠のない感情的な拒否反応を示されているわずかばかりの人たちがいること。そして、こういう人たちに過剰に反応する自治体首長が、判断を先送りしているという現実。そんな話しを聞くたびに、この国の心の貧困を悲しく思います。そして、「絆」という言葉の虚しさを感じざるを得ません。



その一方で、「自分たちに何ができるだろうか、何をすべきだろうか」を考えている人たちがまだまだいることも確かです。

私は、「被災地を訪れたことがない人たちに、まずはこの事実を感じてもらいたい。」それが震災に関わる原点であると信じています。そんな想いから幾度となく彼等を連れてこの町を訪れています。そして、地元の人たちから話しを聞く機会をできるだけ作ろうしています。カタチだけではわからない人の心や生活を知ること、そして、それに応えてゆくことこそが、この震災に関わることだと思うからです。



地元の人たちは、忌憚なく震災当時のこと、そして、今とこれからのことを語ってくれます。そんな話しには、マスメディアが報道する美談とは違う、おどろおどろしい光景や醜い出来事も含まれています。そんな声を聞くこと、そして感じることが、この震災に向き合うためには必要なのだと思います。


話してくださる地元のみなさんも、決して気持ちの良いことではないはずです。以前、ある年配の男性から話を伺ったとき、突然号泣されたことがありました。それでも彼等は私達に自分たちのこと、この町のことを伝えようとしている。そういう気持ちに接することができなければ、震災に向き合うことなどできないと思っています。

美しい三陸の海とまぶしいほどの緑は、この町に豊かな自然の恵みをもたらしています。しかし、その前途はこの瓦礫の山に象徴されるように、前途多難です。この現実を知ることが、震災に関わることの起点であると思っています。


この町で水産加工会社を営む及川さん。彼は、5つの工場のうち4つが壊滅し、わずかに残ったひとつも浸水したそうです。今は、残った工場を復旧し仕事を再開され、新たな工場のための土地も手当てされようとしています。こういう方の話を聞くと、何ができるかなんておこがましい話しで、むしろこっちがもっと頑張らなければと勇気づけられます。


この光景もまた、同じ日の宮城県石巻市長面浦の光景です。地盤沈下で水没した集落は、手つかずのままに放置され震災直後の光景を今もとどめています。これが現実なのだと改めて衝撃を受けました。

南三陸町を訪れる前の二日間は、福島県の相馬市、南相馬市、福島市を訪れました。こちらは、津波によるモノの被害に加え放射能の問題が重くのしかかっています。


この写真は、南相馬市の小高地区で、原発20キロ圏内として、つい先日まで入ることができませんでした。そのため、震災直後の姿が今も手つかずで残されています。

以前、「東北は日本の縮図。震災は、その姿を露わにし、未来を加速した」そんな話しを聞いたことがります。今回の訪問では、その現実を実感してきました。

ひとことで語れることではありませんが、その本質的なところに「地縁血縁」ということがあるのかもしれません。

厳しくも豊かな自然環境の中にある東北は、遠く都会から離れていても人々は豊かです。水は豊富で、美味しい野菜やお米はタダで手に入ります。例え都会より金銭的な所得が低くても、そんな地の利を活かして、人々は強い結束によって寄り添い助け合い、安心と安全が担保された豊かな生活を営んでいます。

この結束は、都会育ちの私には実感のできない強さです。理屈ではなく遺伝子の中に組み込まれているといっても良いくらいです。

この震災は、この「地縁血縁」でつながっていた部落というコミュニティを破壊しました。多くのモノを破壊し、命を奪ったことも事実ですが、このコミュニティの破壊がもたらす被害は、これまでの生き方の破壊であり、安心と安全のよりどころの崩壊といえるものでした。これは、モノと違い、新たに作り直すことや修復することが容易ではありません。



例えば、部落のつながりを無視した「公平な抽選」によって人々を振り分けた仮設住宅。多くの人が住むというのに、会話もなく、孤独な人たちも少なくありません。
また、復興に対する様々な補助金や交付金は、不公平感を助長しています。そして、それにつらなる利権は小さな町の中で対立を引き出しています。
また、放射能は人々の生活に見えない恐怖と疑心暗鬼を助長し、それぞれの考え方の違いから生ずる様々な感情的もつれを産み出しています。

物理的な破壊ではない、心や生き方の破壊はとても深刻なものです。

なぜ、それが日本の縮図かと言えば、グローバル化の流れの中で、日本は、国の単位で、このような「地縁血縁」のまとまりに安心と安全を求めていると見えるからです。

この「地縁血縁」に頼れない被災地、それはまるでグローバリゼーションの波に翻弄される今の日本にも見えます。我が国は、この震災の結果もたらされた東北の地域社会同様、日本という国の小さなまとまりだけに頼れない社会になりました。アジアの一部として、世界の一部として、私達は世界の流れに放り出されているのです。

これまで私達は、その時代に与えられたパラダイムの中でむしゃらに前を向いて生きてきたのです。そして、多くの成功を手にしてきました。しかし、世界の経済や政治のスキームが、大きなパラダイムの転換を迎えつつある中、これまで常識として受け入れてきた価値観が、見事に破壊されてしまったと言うことなのでしょう。この事態は、もはや逃れようもなく、向き合ってゆくしかないのです。

世界の常識は大きく代わり、日本はその流れに翻弄されているように見えます。それを政治の無策と切り捨てることも容易です。しかし、政治は常に国民の反応に敏感であり、また、そういう人たちに為政を託したのは私達自身だと言うことを忘れてはいけないでしょう。まさに、私達の国民としてのアイデンティティが、今の政治であり、この国の姿なのです。

東北に向き合うとき、私達はこの視点を持たなくてはいけないと思っています。それは、これからの日本が置かれている縮図であるという視点です。東北に向き合うと言うことは、私達自身に向き合うことであるという自覚です。そして、東北という一地方と見るのではなく、この国に向き合うと言うことです。

こうなってしまった以上、私達は、もはやこの現実から逃げることはできません。この現実にどう向き合ってゆくかが、今問われているように思います。


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2012年7月14日土曜日

消えるSIと運用にどう対処すべきか・自律化を前提としたクラウド・サービスのシナリオ

「クラウド・ビジネスなんて、うちの体力じゃ、到底できるものじゃないですよ」。

クラウド・ビジネスというと、Googlesalesforce.comなどの大手サービス・プロバイダーをイメージされる人も多いのではないでしょうか。確かに、彼等はクラウドというビジネスを主導し、そのトレンドを築いてきたプレーヤーであることに間違えありません。だからといって、彼等のように膨大な設備投資を行い、そのリソースを低コストで提供するというビジネスばかりが、クラウド・ビジネスではありません。

クラウド・ビジネスとは何か。以前のブログでも取り上げましたが、次の3つのビジネス・タイプに分類することができます(詳しくは、こちらをご覧ください)。



クラウド・プロバイダーばかりがクラウド・ビジネスではなく、アダプターやインテグレーターというビジネス形態を考えることができるはずです。自らの得意分野や体力を踏まえ、それぞれにふさわしいビジネス形態を選ぶべきでしょう。

ただ、このようなビジネス形態も、先週紹介致しましたが、自律化という時代の波に抗うことはできません。であれば、これを前提に考えるべきでしょう。以下にそれを整理してみました。



ITプラットフォームは、今後コモディティ化と自律化が進展すると考えられます。そう考えると、インフラに関わるシステムの構築や運用の「労働力供給ビジネス」は、その需要が低減するはずです。

このような状況に対処し、クラウド・ビジネスに収益の基盤を求めるとすれば、次のようなシナリオが考えられるます。

クラウド・プロバイダー
ふたつのケースが考えられます。まずひとつ目は、AWSのElastic Beans Talkのような自律化機能を実装したクラウド・サービスを自ら開発し、提供するものです。このようなビジネスを行うには、高度な技術力と資金力が必要になります。
もうひとつは、この自律化したクラウド・プラットフォームを利用し、これまで蓄積したアプリケーション・ノウハウを駆使してSaaSビジネスを展開するシナリオです。自律化したシステムですからプラットフォームに関わる運用管理負担は少なくて済みます。自らの強みであるアプリケーション・ノウハウを駆使してサービスの付加価値を高めて、差別化を図ることを目指します。
クラウド・アダプター
自律化は運用パターンによって実装されます。その運用パターンを作成し提供するシナリオです。
自ら提供するアダプター・サービスの運用経験とノウハウを標準化し運用パターンを作成、これを自らのサービスと共に自律化された垂直統合システムやクラウド・プロバイダーに提供するビジネスです。これによりアダプター・サービスの付加価値を高めることが可能になります。
クラウド・インテグレーター
自律化されたシステムやサービスを前提に、これらをインテグレーションするシナリオです。
さらに一歩押しすすめれば、構築したアプリケーションを自律化したクラウド・プロバイダーのサービス上で運用し、アプリケーションの構築、保守、運用を含む一括アウトソーシングとして提供することも考えられます。従量課金や定額課金であれば、それをサービス提供金額の原価に織り込み提供することは可能であり、しかも自律化機能を利用することで低料金でお客様にサービスが提供できるはずです。
先週から考えてきたように自律化は「専門家のノウハウや技術力をコモディティ化する」仕組みです。これは、これまでのSIや運用受託業務にとっては明らかに脅威です。しかし、それを脅威として怖がっても、退けても、いずれその時代が来ることは避けられません。ならばむしろ積極的にこの時代の流れに与し、いち早く自らの差別の武器として活用するシナリオを描くべきではないでしょうか。


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2012年7月7日土曜日

SIと運用が消える!

「SIと運用が消える!」

日経コンピューターの6月7日号に、そんな衝撃的なタイトルが掲載されていました。その記事の内容を一枚のチャートにまとめてみました。



TCO負担の増大、変更変化に対する柔軟・迅速な対応は情報システムに求められる喫緊の課題です。この潮流を考えれば、プライベートかパブリックかの違いはありますが、クラウドへと行き着く流れは必然といえるでしょう。

現在、クラウドの定義として、NISTの分類が広く受け入れられています。この記事の整理は、この定義とは異なる視点でのクラウドの定義と言えるかもしれません。むしろ、情報システムの構築や運用の実務に即した視点であり、なかなかわかりやすいものになっています。

この整理から読み取れるポイントは「専門スキルのコモディティ化」です。

これまで、SIerは情報システム基盤の構築に当たり、その専門スキルを駆使して、最適なハードウェアとソフトウェアの組み合わせを提供してきました。また、運用のスペシャリストがその職人技を駆使して、運用の現場で起きる様々なインシデントに臨機応変に対応し、システムの安定稼働を維持してきました。

それら専門ノウハウが、クラウド・サービスやアプライアンスに組み込まれ、誰もが最高のノウハウを容易に利用できる時代になろうとしています。

これまでは、これらはSIerの仕事であり、その対価が収益の源泉でした。それがサービスとして、あるいは製品として安い費用で利用できるようになるのです。

個々人の能力やモラルといった労働品質のばらつきを気にする必要もありません。時間もコストもかかる人材の育成も必要ありません。そういう時代を迎えようとしているのです。

開発の方法も大きく変わることになります。次のチャートは、やはりこの記事に書かれた内容を私なりに整理し直したものです。



つまり、開発者と運用者の区別はなくなります。「運用を理解した開発者」がこれに置き換わります。運用業務自体はシステムが行ってくれます。つまり、運用担当者を必要としません。DevOps(開発と運用の壁をなくし、円滑なビジネスを展開するプラクティス)が当然のことになろうとしています。

Amazonのクラウド・サービスは、既にこのような仕組みをサービスとして提供しています(AWS Elastic Beans Talk)。また、IBMが発表したPure Systemsもプライベート・クラウドのアプライアンスとして、この考え方を取り入れています。

情報システムのサービス化は、今後ますます進むことになるでしょう。サービスは、開発と運用が同時進行するビジネス・モデルです。SIerがこれまで手がけてきたウォーターフォール型のビジネス・スタイルとは大きく異なります。そんなサービス・ビジネスの受け皿としても、この仕組みは不可欠なものになってゆくと考えられます。

このような時代の変化に、SIerはどう対処すれば良いのでしょうか。次回のブログでそのあたりを考えてみます。


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