2012年7月21日土曜日

東北は日本の縮図


先日(7月16日)、宮城県南三陸町志津川の海岸線にそびえる震災瓦礫の頂から眺めた美しい三陸の海の景色です。この光景は、まさにこの町の今の縮図かもしれません。


上の写真は、昨年の7月9日にはじめてこの町を訪れた時の光景です。瓦礫も手つかずの状況が残っていました。

私は、それ以来、福島県、宮城県、岩手県の沿岸部を幾度となく訪れるようになりました。この南三陸町は、そんな私の震災に関わる原点となったところです。



地元の方に話を聞くと、「町はキレイになった」とよく言われます。この写真は、今の南三陸町の光景です。確かに、いたるところに散乱していた瓦礫は取り払われましたが、その後には広漠とした廃墟が、広がっています。そして、取り払われた瓦礫はこうして山積みにされ、この町の未来に重くのしかかっています。



瓦礫の広域処理が簡単ではないことはわかります。しかし、放射線量が都内よりも低いこの場所の瓦礫でさえ、根拠のない感情的な拒否反応を示されているわずかばかりの人たちがいること。そして、こういう人たちに過剰に反応する自治体首長が、判断を先送りしているという現実。そんな話しを聞くたびに、この国の心の貧困を悲しく思います。そして、「絆」という言葉の虚しさを感じざるを得ません。



その一方で、「自分たちに何ができるだろうか、何をすべきだろうか」を考えている人たちがまだまだいることも確かです。

私は、「被災地を訪れたことがない人たちに、まずはこの事実を感じてもらいたい。」それが震災に関わる原点であると信じています。そんな想いから幾度となく彼等を連れてこの町を訪れています。そして、地元の人たちから話しを聞く機会をできるだけ作ろうしています。カタチだけではわからない人の心や生活を知ること、そして、それに応えてゆくことこそが、この震災に関わることだと思うからです。



地元の人たちは、忌憚なく震災当時のこと、そして、今とこれからのことを語ってくれます。そんな話しには、マスメディアが報道する美談とは違う、おどろおどろしい光景や醜い出来事も含まれています。そんな声を聞くこと、そして感じることが、この震災に向き合うためには必要なのだと思います。


話してくださる地元のみなさんも、決して気持ちの良いことではないはずです。以前、ある年配の男性から話を伺ったとき、突然号泣されたことがありました。それでも彼等は私達に自分たちのこと、この町のことを伝えようとしている。そういう気持ちに接することができなければ、震災に向き合うことなどできないと思っています。

美しい三陸の海とまぶしいほどの緑は、この町に豊かな自然の恵みをもたらしています。しかし、その前途はこの瓦礫の山に象徴されるように、前途多難です。この現実を知ることが、震災に関わることの起点であると思っています。


この町で水産加工会社を営む及川さん。彼は、5つの工場のうち4つが壊滅し、わずかに残ったひとつも浸水したそうです。今は、残った工場を復旧し仕事を再開され、新たな工場のための土地も手当てされようとしています。こういう方の話を聞くと、何ができるかなんておこがましい話しで、むしろこっちがもっと頑張らなければと勇気づけられます。


この光景もまた、同じ日の宮城県石巻市長面浦の光景です。地盤沈下で水没した集落は、手つかずのままに放置され震災直後の光景を今もとどめています。これが現実なのだと改めて衝撃を受けました。

南三陸町を訪れる前の二日間は、福島県の相馬市、南相馬市、福島市を訪れました。こちらは、津波によるモノの被害に加え放射能の問題が重くのしかかっています。


この写真は、南相馬市の小高地区で、原発20キロ圏内として、つい先日まで入ることができませんでした。そのため、震災直後の姿が今も手つかずで残されています。

以前、「東北は日本の縮図。震災は、その姿を露わにし、未来を加速した」そんな話しを聞いたことがります。今回の訪問では、その現実を実感してきました。

ひとことで語れることではありませんが、その本質的なところに「地縁血縁」ということがあるのかもしれません。

厳しくも豊かな自然環境の中にある東北は、遠く都会から離れていても人々は豊かです。水は豊富で、美味しい野菜やお米はタダで手に入ります。例え都会より金銭的な所得が低くても、そんな地の利を活かして、人々は強い結束によって寄り添い助け合い、安心と安全が担保された豊かな生活を営んでいます。

この結束は、都会育ちの私には実感のできない強さです。理屈ではなく遺伝子の中に組み込まれているといっても良いくらいです。

この震災は、この「地縁血縁」でつながっていた部落というコミュニティを破壊しました。多くのモノを破壊し、命を奪ったことも事実ですが、このコミュニティの破壊がもたらす被害は、これまでの生き方の破壊であり、安心と安全のよりどころの崩壊といえるものでした。これは、モノと違い、新たに作り直すことや修復することが容易ではありません。



例えば、部落のつながりを無視した「公平な抽選」によって人々を振り分けた仮設住宅。多くの人が住むというのに、会話もなく、孤独な人たちも少なくありません。
また、復興に対する様々な補助金や交付金は、不公平感を助長しています。そして、それにつらなる利権は小さな町の中で対立を引き出しています。
また、放射能は人々の生活に見えない恐怖と疑心暗鬼を助長し、それぞれの考え方の違いから生ずる様々な感情的もつれを産み出しています。

物理的な破壊ではない、心や生き方の破壊はとても深刻なものです。

なぜ、それが日本の縮図かと言えば、グローバル化の流れの中で、日本は、国の単位で、このような「地縁血縁」のまとまりに安心と安全を求めていると見えるからです。

この「地縁血縁」に頼れない被災地、それはまるでグローバリゼーションの波に翻弄される今の日本にも見えます。我が国は、この震災の結果もたらされた東北の地域社会同様、日本という国の小さなまとまりだけに頼れない社会になりました。アジアの一部として、世界の一部として、私達は世界の流れに放り出されているのです。

これまで私達は、その時代に与えられたパラダイムの中でむしゃらに前を向いて生きてきたのです。そして、多くの成功を手にしてきました。しかし、世界の経済や政治のスキームが、大きなパラダイムの転換を迎えつつある中、これまで常識として受け入れてきた価値観が、見事に破壊されてしまったと言うことなのでしょう。この事態は、もはや逃れようもなく、向き合ってゆくしかないのです。

世界の常識は大きく代わり、日本はその流れに翻弄されているように見えます。それを政治の無策と切り捨てることも容易です。しかし、政治は常に国民の反応に敏感であり、また、そういう人たちに為政を託したのは私達自身だと言うことを忘れてはいけないでしょう。まさに、私達の国民としてのアイデンティティが、今の政治であり、この国の姿なのです。

東北に向き合うとき、私達はこの視点を持たなくてはいけないと思っています。それは、これからの日本が置かれている縮図であるという視点です。東北に向き合うと言うことは、私達自身に向き合うことであるという自覚です。そして、東北という一地方と見るのではなく、この国に向き合うと言うことです。

こうなってしまった以上、私達は、もはやこの現実から逃げることはできません。この現実にどう向き合ってゆくかが、今問われているように思います。


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