2009年3月8日日曜日

ソリューションの本質 その歴史的背景

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 このブログでも、ソリューションという言葉が、たびたび出てきます。そもそも、なぜこんな言葉が生まれてきたのでしょうか。その歴史を振り返ってみようと思います。

1.汎用コンピューターの時代

 わたしが、IBMに入社したのは1982年です。この年IBM3083という大型汎用コンピューターが発表されています。この大型汎用コンピューターというコンセプトの製品は、1964年のSYSTEM/360(S/360)に始まると言われています。

 汎用の言葉にもあるように、事務計算も科学技術計算など、どのような業務目的にも使える計算機という意味で付けられた言葉で、360という数字も、全方向360度という意味が込められているそうです。

 また、S/360は、OS(オペレーティング・システム)と言う考え方を初めて本格的に採用した計算機でもありました。

 今まで、ディスクや通信に関わる周辺機器を使うためには、その都度個々の業務プログラムでそれら機械を制御するための詳細な処理の手順を記述しなければなりませんでした。それを「ディスクAへこのデータを書き込む(実際は、もう少し複雑ですが)」という簡単な命令を書きさえすれば、後の細かな手続きは、OSに任せることができるようになりました。つまり、ハードウェアと業務プログラムの仲介をしてくれるプログラムとして機能していたわけです。このOSにより、業務プログラム開発の生産性が、大きく向上することになりました。

 このようなOSを備える汎用コンピューターに端末という入出力の装置がつながります。ディスプレイ、プリンター、パンチカードなどの装置です。この装置は、汎用機の処理、命令に従って、文字を表示したり印字したりといった単純な機能を提供する端末(ダム端末)でした。

 わたしが入社した当時、このような大型汎用コンピューターは、数億円もする高価なモノで、空調の行き届いた、ガラス張りの豪華な部屋に仰々しく鎮座していました。今では考えられませんが、大切なお客様がおいでになったときの見学コースにもなっていたほどで、まさに宝物のように扱われていたわけです。

 プログラムを書く人たちは専門家であり、ユーザーは、彼等に業務システムの開発や修正、帳票の出力などをお願いしなければなりません。しかし、簡単な帳票作成でも数日から数週間、修正なら数ヶ月、業務システムの開発となれば、数年待たなければならないこともありました。

 こんな状況が当たり前だった1981年、IBM・PCが米国で発売されました。日本では、1983に5550という日本語が使えるPCが発売されました。わたしが、一年間の新入社員研修を終えた年です。大学時代からパソコンを使っていたわたしは、先輩諸氏が手書きでしか作れなかった資料類をワープロや表計算ソフトを駆使してきれいに作れると言うことで、PCのスペシャリスト(笑)となり、重宝されたことを覚えています。

 さて、このIBM・PCは、汎用コンピューターのダム端末機能(3270エミュレーター)を搭載していました。ひとつの機械が、PCとしても、汎用機の端末としても使えるという意味では、当時は大変便利なモノでした。また、3270PCという機能が提供されるようになり、汎用機のデータをPCに受け渡す事ができるようになったのです。

 これは、実に画期的なことで、いままで帳票一つ作るにしてもコンピューター部門にお伺いを立て、作ってもらわなければならなかったことをエンドユーザーが自分でできるようになったわけです。

 コンピューター部門もこの機能を積極的に利用して、エンドユーザーの便宜を図ろうとしたのです。というか、突発的な帳票作成の依頼で、自分たちの仕事を増やさないため、あるいは、「このデータをすぐに出してもらえない?」というエンドユーザーからの個別の、そしていつも急ぎの依頼に対応しなくてもいいようにと、共有ファイルとPCの普及をはかりました。そんな業務を担当するため、コンピュータ部門内にOA課、OA推進室という組織ができはじめたのもこの頃のことです。

2.クライアント/サーバーの時代

 その後、エンドユーザーは、PCの導入だけでは、まだまだ効率が上がらないと言うことで、少し大型で性能がよく、PCや汎用機ほどに運用やシステム開発に手間のかからないUNIXというOSを搭載したコンピューターを部門主導で導入しはじめました。これをPCと繋ぎもっと使いやすいものにしようとしたのです。

 この部門コンピューターとPCの関係は、形の上では、汎用コンピューターとダム端末の関係にも似ていますが、本質は、次の3つの点で大きく異なります。

 一番の違いは、データの共有、管理は、部門コンピューターに任せ、そのデータの加工や編集をPCで行う役割分担をしていたことです。データ管理、計算処理、加工や編集などの全てを汎用コンピュータに任せ、表示や印字だけをダム端末に任せるやり方とは根本的に異なっていました。こけを称してエンドユーザー・コンピューティング言葉が、当時よく使われました。

 二番目の違いは、オープンであるということです。汎用コンピューターでは、ハードウェアやOS、その末端にある端末類は全て一つのメーカーから提供されるモノでした。
 IBMコンパチと言われるモノもありましたが、これもあくまで互換機であって、設計思想や処理の手順は、その汎用機メーカーをまねただけであり、どこの会社の製品でも自由につながるということはありません。
 しかし、部門コンピューターのUNIX、PCのDOSやその後出てくるWINDOEWS、通信手順であるTCP/IPなどは、機器メーカーにかかわらず同じです。そのため、プログラムは、ひとつ作れば、どのハードウェアでも動きます。その結果、パッケージ・ソフトウェアというビジネスも盛んになりました。

 最後は、価格の低下です。以上のような状況で、多くの企業がこの分野に参入し始めました。そのため製品の機能や価格競争が激しくなり、コストパフォーマンスが急速に高まったのです。

 コンピューターは、高価で専門家がお守りをしなければなりませんでした。そのため、プログラムの開発やデータの利用は、全てコンピュター部門にお恐れながらとお願いに上がらなければならなかったのです。それが、オープン化に後押しされたパッケージ・ソフトウェアの普及と価格競争により、この呪縛は解かれ部門コンピューターは、ますます普及したのです。

 価格の低下とパッケージ・ソフトウェアの普及は、部門システムだけではなく、企業の基幹系システムにも広がり始めました。コンピューター部門が、自ら手がけるシステムにもオープン・システムを導入し、経費削減と開発の効率化を図ろうと動き始めたのです。

 これが、クライアント・サーバー(クラサバ)時代の幕開けです。

3.クライアント・サーバーの抱える問題

 しかし、その一方でクラサバの普及に伴い、大きな問題が浮かび上がってきました。それは、オープンなシステム、つまりメーカーの異なるハードウェアやソフトウェアを組み合わせて、システムを構築し、それを運用管理する責任をエンドユーザーあるいは、その企業のコンピューター部門が担わなければならないという問題です。
 
 今までの汎用コンピューターであれば、コンピューター本体、周辺機器、端末、ソフトウェアの全ての組み合わせは完全に保証され、据え付け工事や導入に至るまでそのコンピューター・メーカーに一括して任せることができました。それを自分たちでやらなくてはならなくなったわけです。

 オープンと言えども、メーカー毎にそれぞれに違いがあります。完全な互換性は望むべくもなく、それぞれの違いや相性などを見極めながら組み合わせなければならなかったのです。体力のある一部の大企業ならともかく、多くの企業にとっては、大変な負担でした。

 このような事態に対応しようということで生まれた言葉が、ソリューションという言葉なのです。

4.ソリューションの誕生

 1990年前後、クラサバは、ダウンサイジングという言葉とももに広く普及してゆきました。

 当時、大型汎用機を販売していたわたしにとっては、これは大変なことでした。特に技術系のお客様を多く抱えていたわたしにとって、事務系以上にこのダウンサイジングは、急速に進んでいたのです。

 というのは、事務系は、多くの人が関わる業務の流れに即してシステムが構築されていたので、それを置き換えることは、手間もかかり容易なことではありませんでした。しかし、技術系は、CADと言われる設計(コンピューターで設計図を描く)業務や技術計算などが中心で、技術者とコンピューターの関係は、独立しているためクラサバや単独のワークステーションに置き換えることが比較的容易だったわけです。

 この分野でIBMは、大きく出遅れました。わたしは、先行してたサン・マイクロシステムズやHPが浸透していた技術部門の現場になかなか食い込むことができず、苦い思いをしたことを覚えています。

 どちらにしても、クラサバによるダウンサイジングは、ITバブル崩壊によるコスト削減という時代の要請と共に急速に進行していきました。しかし、その一方で組み合わせの負担は、ユーザー企業にますます大きくのしかかってきたのです。

 IBMは、この問題を解決する手段として、メーカーや機種を問わず、その組み合わせに責任を持つことを宣言したのです。IBMは、これをソリューションと称したのです。IBMの製品だけではなく、他社の製品を含めてシステムの構築やサポートを行うことをビジネスとして行うことにしたのです。これは、実に衝撃的な出来事でした。

 当時からソリューションという言葉は、使われていました。しかし、自分の会社のアプリケーション・パッケージをソリューションと言ってみたり、ネットワークの構築を一括して請け負うネットワーク・ソリューション・カンパニーと自ら称する企業など、その定義については、様々で、コンセンサスができあがっていたわけではありません。この状況は、今も大して変わっていないようです。

 このような時代に、IBMが示したソリューションの解釈は、きわめて明快であり、多くの企業の賛同を得るモノとなりました。今まで一貫して自社完結主義を貫き、そのこだわりで、ダウンサイジングに乗り遅れたIBMは、かつて経験したこと無かった減収減益を経験しました。その失敗を取り返す起死回生の戦略が、ソリューションだったわけです。

 IBMが、一社完結主義を捨てたという事実は、長年IBMで働いていたわたしには信じられないことでした。

 このような事業戦略の大転換は、そうでもしなければ生き残れないという強烈な危機感と、IBMの伝統に縛られない外部から来た経営者ガースナーによるところが大きかったといえるでしょう。。

 この戦略転換の結果、IBMの売上げに占めるハードウェアや自社ソフトウェアの比率は急激に低下し、ソリューションを含むサービスの比率が、8割を越えるほどとなり、業績も急速に改善していったのです。この変わり身の早さもまた、すごいことだと思います。

 いま多くの企業がソリューションと称してビジネスを行っています。それらをよく見ると、このIBMの示したソリューションの概念を使っている企業も少なくないようです。

 もちろんこれが、唯一無二の定義であると申し上げるつもりはありません。ただ、こういう歴史的背景を見直してみると、改めてソリューションの本質に気づかされます。

 ソリューション営業を標榜するからには、このような歴史的背景と共に、ソリューションという言葉の本質に立ち返る真摯な態度が、時には必要ではないかと思います。

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