2009年7月30日木曜日

「自分の真実」と「相手の真実」

 こちらが良かれと思っても、相手には迷惑なこともあります。

 自分が少し知っているからといって、「これがいいですよ」と相手に勧める。しかし、相手はそんなことを望んでいないこともありますよね。

 反論できるだけの情報や知識が、十分に無い相手は、話し手の説明に畳み込まれ、それに従わざるを得ません。少し気の弱い相手なら、何も言わずに、それを飲み込んでしまう。しかし、残るのは、不満と怒りです。

 こんな話をすると、さぞや私は、気配りのある人物なのだろうと思われるでしょう。しかし、実態は、その反対。こんな失敗ばかりです。だから、こうやって自らの恥をさらけ出し、戒めとしているのです。

 自信を持って相手に勧めることとは、相手からの信頼を勝ち得る上で、不可欠なことです。そのためには、しっかりとした裏づけと、人の語った言葉、書いてあった言葉ではなく、自分で納得し、自分の言葉として伝えることです。

 しかし、それは、自分にとっては真実ではあっても、相手の真実とはかぎりません。

 相手のことを考え、相手の課題はどこにあるのか、どんなニーズを持っているのだろうかと、知恵を絞り提案すること。それが、前回のブログに書かせていただいた「ニーズ起点の提案」です。

 しかし、それとて、最初は、あくまでも自分が思い描いた相手の真実であり、仮説に過ぎません。相手が、ほんとうにそれを望んでいるかは、その仮説をぶつけて、確かめるしかないのです。

 自信を持ってお勧めすることと、相手は、果たして私と同じように考えているのだろうかという謙虚さ。この二つを同時に持って相手に向き合うことが、「相手の立場に立つ」ということなのだろうと思います。

「このひと、なんでこんな簡単なことがわからないんだ! 」
「こちらの言うとおりすれば、あなたもらくできるんですよ。」
「われながら整然と説明できてよかった、よかった。」などと、ついつい考えてしまう。

 自分の真実が、相手の真実であり、世界の真実なんだと思い込んでしまう。

 お恥ずかしいことですが、そんな失敗ばかりです。

 「自分の真実」と「相手の真実」は、別物。そんな冷静さを忘れないようにしなければなりませんね。

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2009年7月28日火曜日

上から目線の提案

  • 「わが社は、このようなサービスを提供しています。ご導入をご検討いただけませんか?」
  • 「このたび、新製品が発表になりました。これを期に、より性能のいいこの製品に置き換えられてはいかがでしょうか。」
 さて、これは「提案」なのでしょうか。

 確かに国語辞典的には、「提案」といえるでしょう。しかし、営業活動における「提案」としては不十分です。

 営業活動における提案とは、お客様に買いたいという気持ちを起こさせることです。一方的に商品や技術について、紹介することではないのです。

 以前、ある大学の産学連携課の方に同行して、企業を訪問したことがあります。大学の研究成果を紹介し、企業にその技術を購入してもらおうという目論見です。彼らは、大学の研究事例や取得している特許のリストを示しながら、「いかがでしょう、この技術を使っていただけませんか。」という話を延々としました。

 企業側の担当者は、「すばらしい、技術ですね。検討させていただきます。また、改めて、こちらからご連絡させていただきます。」との回答。

 産学連携課の方は、企業側からの前向きな回答を得られたと思い、大喜びで「是非お願いします。」と頭を下げていました。

 みなさんならお分かりと思いますが、これは、「興味はありません。早々にお引き取りください。」という気持ちを、大人風に表現したに過ぎません。

 では、なぜそうなったのでしょうか。それは、大学側が、自分達のシーズ、つまり、売りたいものを伝えただけであり、「どうやって、その技術を使うかは、企業側で考えてください。」と一方的に宣言しているに過ぎなかったからです。言うなれば、自分達の大学の自慢話をしていたに過ぎないのです。

 お金を払う側のお客様に、「どう使うかは自分で考えてください」とは、なんと「上から目線」の話でしょうか。失礼にもほどがあります。

 そこで、私は、次のように話をしました。

 「今回は、大学がこんな分野で研究成果をあげているというご紹介をさせていただきました。是非次回は、これをご参考に、どんな研究テーマや課題をお持ちなのか、話を聞かせていただけませんか。たとえば、現状よりもさらに低温で機能する排気ガス触媒の開発でしたら、その分野の第一人者を同行させます。是非、事前にいくつかのテーマや課題をお知らせいただけませんか?準備してきますので。」

 企業側担当者の顔が、一瞬引き締まりました。

 「なるほど、そういうことならわかりました。社内で、話をしてみます。どうなるかわかりませんが、後日連絡いたします。」

 この「連絡します。」は、彼の本音だとわかりました。

 「低温で機能する排気ガス触媒」ついては、この会社が最近熱心に取り組んでいるテーマであるという情報を事前に入手していたので、あえてぶつけてみたわけです。思い通りに食いついてくれました。

 前者は、シーズ起点の提案。相手の意向は、お構いなしにこちらのネタ(=シーズ)を一方的に伝えるだけ。それに対して、後者は、ニーズ起点の提案。お客様のニーズ、つまり、お客様の抱える課題を解決しようという姿勢を示し、それを解決する筋道を示す提案です。

 お客様の課題は何か、それを事前に可能な限り調べ上げ、お客様がきっと知りたいであろうことを想像し、仮説として組み立てておく。そして、それをぶつけて、お客様のニーズに迫るのです。

 提案とは、決して自分の伝えたいことを伝えることではありません。お客様の気持ちを揺さぶり、お客様のニーズを見極め、それに応えること。それが、営業活動における提案なのです。

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2009年7月25日土曜日

「提案営業」という仕事

 営業の仕事は、お客様に満足を提供することです。その大前提は、お客様が、何を期待し、商品やサービスを購入したあとで、お客様がどうなっていたいのかを具体的に想像すること。お客様の「あるべき姿」を見極めることなのです。

 お客様の「あるべき姿」に到達できて、初めてお客様は、満足を感じることができるのです。

 お客様が、何をほしいか、つまり「手段」ではなく、お客様が、結果として、どういう状態になっていたいのかという「あるべき姿」を実現する一番いい方法は、何かを追求する。

 時には、それが、お客様の考えていた「手段」でなくても、そのほうが、より大きな価値をお客様が享受できるのなら、そのほうがいい。それを信じて、知恵を絞る。

 これができなければ、お客様に満足を与え、感謝され、お金をいただくことはできません。

 けっして、こちらの「売りたいもの、伝えたいことを」を一方的に伝え、買えと迫ることではありません。

 お客様から、「それが、私のほしいものです。売ってもらえませんか?」とお願いされなければ、本物じゃない。それが、営業という仕事の「あるべき姿」ではないかと考えています。

 しかし、お客様は、自分の抱える課題や悩み、こうしたいという考えをストレートに伝えてくれることは、まずありません。それ以前に、自分には、何が必要なのかがわかっていない。あるいは、整理できていないことのほうが、普通です。ですから、お客様は自分の「ことば」で、ほしいもの、あるべき姿を説明できないのです。

 だから、お客様の話を聞きながら、私はいろいろなことを想像する。その人のおかれている立場、その人の話し方の特徴、仕事の内容や世の中の動き・・・。

 まあ、そんなに理路整然と考えているわけではありませんが、言葉の裏側にあるものを読み取ろうと、話を聞きながら、必死に想像をめぐらせる。

 すると、「なるほど」と、相手が、これから話をどう展開しようとしているのか、何を言おうとしているのかが、見えてくることがあります。

 それが見えれば、あとは、相手が話したいこと、話そうとしていることに、うまく誘導してあげる。

「ということは、こういうことですよね。」
「ならば、こういう風にかんがえることもできるのではないですか?」
「なるほど、まとめるとこういうことになりますよね。つまり、・・・」

と導いてあげる。

 すると、相手は、「そうなんですよ。まさに、そのとおりなんです。」と、いたく納得され、「つまりですね、私たちが、考えていることは、・・・」と自分で、自分達の状況や課題を説明してくれるようになるのです。

 「ならば、こうすれば、いいじゃないですか・・・」と切り出せは、「それじゃあ、ぜひそれでお願いします。」となる。

 ・・・いつも、こんなにうまくいくとは限りませんが、基本は、こんな展開です。

 営業の仕事は、お客様に「ほしい」という気持ちを起こさせることです。どんなにすばらしい商品であっても、お客様が、自分の「ほしい」に気づかなければ、ものは売れません。そのためには、こちらが語るのではなく、相手に徹底的に話をしてもらうことです。

 人は、他人の話を聞くよりも、自分の話をするほうが、何倍も嬉しいものです。しかも、自分で話したことは、自分の心に刻み付けられます。

 「そうか、自分に必要なものは、これなんだ。」と自覚します。ですから、自発的に購入したいと申し出ていただけるのです。

 お客様は、納得し、満足し、そして、感謝してお金をお支払いいただくわけです。

 営業の仕事は、商品やサービスについて、その魅力を伝えめことで、ほしいという気持ちを起こさせることだと考える人がいます。

 それは、決して間違えでは無いのですが、それは、「そういう何かがほしい。」という気持ちを持っている相手にしか通用しません。つまり、火のあるところに油を注ぐ場合には、このとおりです。

 しかし、そもそも、火が起きていない場合は、どうすればいいのでしょう。営業の仕事は、そんなお客様に火をおこすことも必要なのです。

 営業ですから、数字が命です。その数字を達成するためにも、火をおこさなければなりません。しかし、その前提は、相手の成功を願う気持ちです。

 相手の成功を願うことで、もっとこうすればいいのではないか、こんな取り組みをすれば、いいのではないかとアイデアが浮かんでくる。それをぶつけることが、提案なのです。

 提案営業とは、そんな仕事なのだとおもいます。

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2009年7月23日木曜日

IFRS 経営者の理念と正直を求める

 わが国でも「2015年の強制適用」の方針が固まり、国際会計基準(IFRS)が、にぎやかになってきた。そんなこともあって、先日のソリューション営業塾では、これをテーマに話をした。

 言葉は、知っていたが、改めて、その内容や歴史的背景を勉強しなおしてみると、なんだかとても全うな話であることに気がついた。改めて、日本基準が、世界のローカル・ルールであり、なぜ世界の趨勢が、IFRSへと向かうのか、その必然が良く理解できた。

 その心は、「経営者の理念と正直さを明らかにする」会計基準ということなのだろう。

 IFRSの特徴のひとつが、「原則主義」。これは、財務諸表を作る際の原理原則だけを示し、詳細なルールは、業種、業態、地域や企業の実態に即し、経営者にその判断にゆだねるというもの。ただし、なぜそのルールにしたのか、経営者による合理的な説明が求められる。

 これに対し、日本や米国の会計基準は、「規則主義」。お上のお定めになった規則どおりに行えばいいわけで、細目にわたり事細かに規則が規定されている。経営者が判断する余地は、あまり無い。そもそも、規則そのものが細かすぎで、専門家ですら、すべてを把握することが難しい。

 IFRSが適用されると経営者は、世間の規則ではなく、自分の定めた規則にしたがって、株主への説明が求められる。なぜ、そのようなルールとしたのかを自らの言葉で伝えなければならない。経営者の事業理念と見識が問われることになる。

 また、公正価値評価や包括利益という概念は、会計的テクニックによる業績操作の余地をほとんど無くしてしまう。つまり、経営の実態を正直に説明しなければならない。

 たとえば、日本の利益は、当期純利益であって、その期の売り上げから、経費を差し引いたものとなる。ところが、IFRSは、その当期純利益に加え、株式や不動産、デリバティブなど金融商品の含み損益も加算されて、資産の時価も含めた利益として開示しなければならない。つまり、企業の正直な財務状況の説明が求められる。

 経営者は、何を理念にこの会社を経営するのか、そして、企業会計の正直な実態をわかりやすく説明しなくてはならない。IFRSは、それを求めている。

 日本や米国の規則主義は、それはそれで便利であるが、その規則の抜け穴を見つけ出し、エンロンやワールドコムの不正会計事件が、おきてしまった。そこで、それを防がなければと、また規則をつくり、SOX法も制定し、ますます厳しい規則で企業を縛った。その結果、上場をやめてしまったり、経営者のなり手がいないなどの事態を招いてしまったことは、ご存知のとおりだ。

 西松建設事件に見られる政治献金の問題。関係者は、規則に従っていたのだから、問題はないと言い訳をする。たとえ法律的に正しくても、道徳としてはどうなのだろうか。ルールではなく、モラルや良識はどうなのか。当事者の見識が問われている。この事件は、そんな日本の社会風土をよく示しているように思う。

 そんな日本の常識は、世界に通用しない。IFRSは、会計基準という形で、日本の企業経営者に、この常識を改め世界の常識に従うよう求めている。

 自分の経営理念に従い、自ら定めた規則を合理的に、第三者が納得できるように、説明すること。そして、隠すことなく正直に企業実態を開示すること。まったく当たり前のことである。この当たり前を世界水準に引き上げるきっかけが、IFRSだと捉えてみるというのも、ひとつの考え方かもしれない。

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2009年7月21日火曜日

うちなー時間

 沖縄研修で、こんなことがありました。

 研修では、時々休憩を挟むのですが、休憩時間が過ぎても、時間前に全員が集まらない。東京では、あまりないことなので、はじめは戸惑いましたが、だんだんと事情がわかってきました。

 「うちなー時間」なんですねぇ。ある人が、こんなことを言ってました。

 「沖縄では、朝7時に集合ときめるでしょ。そしたら、みんな7時に起きて、それから仕度を始めるのさ。それが、うちなーの時間さ。でもさ、最近は、内地のひとと仕事することも多くなったので、7時には玄関を出るくらいには、なったさぁ。」

 郷に入れば郷に従えである。彼らもまた内地にあわせてくれているのだから、こちらも歩み寄らなければね。数分程度の遅れで、いらいらすることなど、ちいさいちいさい。

 参加者の名誉のために申し上げておきますが、彼らは実に熱心に、真剣に研修に参加してくれました。そのことは、はっきりと申し上げておきますので・・・!

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2009年7月20日月曜日

かりゆし

 沖縄の空の色は、東京とはまるで違う。深く、透明な青色。これが本当の空の色なのかなぁ。暑さもまた、沖縄らしい。じりじりと身体にしみこむような感じ。白い地面の照り返しも、このじりじり感に一役買っているのかもしれない。じっとり、まったりとした東京の暑さとは、どうも質が違うようだ。

 先週は、木金と沖縄で営業研修の機会をいただいた。今年二月に続いて二回目の沖縄。あの時は、空の色も暑さもそうとは気づかなかった。やっぱり夏の沖縄は、もっとも沖縄らしい季節なのかもしれない。

 レンタカーを借りて、ホテルへ向かう。夕方6時ごろの那覇へ向かう道は、大渋滞。急ぐわけでもないが、せっかくの南の島なんだから、椰子の並ぶ海岸線を気持ちよく走りたかった。まあ、仕方ないか。

 ホテルで着替えて、友人との約束の場所へ。「シンちゃん」といっぱい飲もうという話。彼は、IBM時代に同じ営業所で一時期を過ごした。同年ということもあり、むかしから気の合う奴だった。去年からIBMの沖縄支店長として、東京から単身赴任している。

 待ち合わせ場所にいると「かりゆし」姿のシンちゃんがやってきた。アロハともちょっと違うようだが、そんな「かりゆし」にスラックスと革靴。しっかりとビジネスバックを抱えての登場。沖縄が板についている。

 うちなー(おきなわ)料理の店に案内をされた。まずは、オリオン・ビールで乾杯。オリオン・ビールは、東京でも飲めるが、どうも薄くて、いまひとつなのだが、沖縄で飲むとなぜかこれがとてもおいしく感じる。後は、うちなーのつまみをつつきながら泡盛。

 東京の居酒屋で隣に居合わせた「うちなんちゅー(沖縄の人)」に「“まさひろ”うまいから 沖縄へいったら 飲むといいよー」といわれたことを思い出し、それを注文した。43度のクース(古酒)である。ロックでいただいたが、確かにうまい。「豆腐よう」を肴にちびちびといただいた。

 「豆腐よう」については、前回来たときにちょっとした失敗をしでかした。私は、他のつまみと同じように箸でつついていたのだが、ふと周りを見ると、だれもそんな人はいない。みんな、爪楊枝でちびちびとほじりながら口に運んでいる。ということで、今回は、初めからうちなー流だ。おかけで一切れの豆腐ようでたくさんの泡盛が飲める。ありがたいし、とてもこれがよくあうんだなぁ。

 「シンちゃん」は、沖縄のITベンダーのサポートをしている。彼は、酒を飲みながらも厳しい口調で「こんなことしてるからダメなんだよ。だから、XXXに負けちゃうんだ。」と苦言。前回もそうだったが、お客様であるITベンダーの役員にも平気で、同じことを言う。

 私は心配になって、彼に「もうちょっと、お客さんなんだから、言い方を変えたらどうよ。」というと「関係ねぇーよ。俺は、お客さんに良くなってほしいんだ。その気持ちがある。だから相手にもそこは伝わるし、わかってくれる。そうだろぉー」と。

 なんだか、嬉しくなった。昔は、IBMにもこんな営業がたくさんいたが、最近付き合う営業にこんな気骨のある人間は少なくなったような気がする。営業の仕事は、お客様を幸せにすることだと研修でも話をしているが、まったくそのとおりだとおもう。自分の思うところを正直にぶつけてこそ、お客様に受け入れてもらえる。彼はそんな当たり前をやっているに過ぎないわけだ。

 気がつくとホテルのベットで寝ていた。相当飲んだらしい。オリオン・ビールのあと、43度のクースを2合は飲んだ記憶はある。それで終わったのか、もっと飲んだのかはよくわからない。まあ、うまい酒は、飲む相手と料理だなぁ。

 ちょっと、こめかみに違和感を感じながら、シャワーを浴びて、その日の研修の準備をした。沖縄の日の出は、東京より一時間ほど遅い。白む空を眺めながら、メールをチェックしたり、資料の確認をした。早朝ジョグとも思ったが、この日はやめにした。前日の泡盛のせいか、身体がその気になってくれない。

 朝8時30分、ホテルを出発し、会場の沖縄県産業振興センターへ向かう。車で10分ほどのところ。駐車場を降りて、エレベーターに乗るが、誰一人背広にネクタイ姿の人はいない。私だけだ。みんな「かりゆし」をすっきりと着こなしている。

 研修に参加された方も全員「かりゆし」姿。そうだよなぁ、背広にネクタイは、暑いよなぁ。

 「かりゆし」とは、沖縄の方言で「めでたい」という意味だそうだ。聞くと、夏にネクタイなどしているひとは誰もいないという。「自分は半そでのYシャツは、一枚も持っていませんよ」という人もいた。

 「よし、それなら明日は自分もかりゆしを買って、それを着て講義をしよう。」 そんな小さな決心を胸に、初日の研修をはじめた。

2009年7月16日木曜日

日本型クラウドの可能性(番外編)

T Doesn't Matter(もはやITに戦略的価値はない)」という論文で物議をかもしたニコラス・G・カー(Nicholas G. Carr)氏が、近著「The Big Switch: Rewiring the World, from Edison to Google」の中で、「クラウドが普及するとIT部門の仕事の大半が失われる」と再び過激な発言をしている。

 まったくそのとおりとはいえないまでも、その可能性を無視することはできないだろう。

 今のクラウドには、いろいろと課題があることについては、以前このブログでも書いたが、時間とともに回線の信頼性はあがり、システムの可用性が高まるだろうことは、容易に想像できる。

 かつて、工場は、安定的な電力供給を受けるために自前で発電所を稼動させていたが、今では、電力会社から購入するのは、当たり前の時代となった。

 コンピューティング・リソースが、同じような道を歩むことは大いに考えられる。また、SOA化の進展とともに、多くのシステム機能がサービス部品として流通するようになれば、独自の開発部分は、当然少なくなるだろう。

 システムの導入、運用管理、システム開発といった、IT部門の多くの仕事が、クラウドに置き換わる時代は、さほど遠くないのかもしれない。

 私が主宰する「ソリューション営業塾」では、IT営業として、これだけは知っておきたい12の常識をテーマとして取り上げて、毎週講義をしている。図らずも、そのテーマは、クラウドにつながっている。仮想化、SOA、リッチクライアント、Ajax、ネットワーク・セキュリティ・・・。昨日は、Google Chrom OSを取り上げた。

 ひとつひとつを見れば、自前のシステムに供する技術でもある。しかし、それらを組み合わせたものが、クラウドのインフラやユーザー環境を実現している。

 「クラウドは、バズワードにすぎない。」、「クラウド、クラウドと騒ぎすぎだ。」などという、意見もある。確かに、拙速にことを急ぐ必要はないだろう。しかし、その本質を正しく理解すれば、ひとつのトレンドとして、この流れを無視することはできない。

 さて、改めて日本型クラウドとは何かを考えてみると、実は、正直なところ大いに悩んでいる。

 このブログで「高信頼性・高可用性プラットフォームとしてのクラウド」はどうかと発言した。しかし、そのシステムの物理的リソースを国内に持つことは、コスト的に見合わないように思う。また、運用管理も自動化が進めば、人的リソースは、あまりかからないだろうし、窓口機能は別としても、国内に要員を配置する必然性はない。

 ならば、プラットフォームではなく、アプリケーションあるいは、SOAによるサービスの部品化ビジネスに可能性を見出すべきなのだろうか。しかし、所詮はローカル色の強いものとなり、グローバルに資するものとなると、どうしても限られてしまうだろう。

 このブログのタイトルをあえて「番外編」としたのは、改めて考えてみて、自分の中に描いていた答えに自信がもてなくなったからである。まあ、ブログなので、こんな変心もお許し願いたい。しかし、どこかでなんらかの整理はしてみたい。それまで、一旦このテーマから、離れさせていただこうと思う。ご容赦のほど。

2009年7月14日火曜日

あっぱれ!マイク

 先日、米国から帰省していた娘夫婦(夫は、米国人)が、帰国した。

 彼女は、3姉妹の長女。彼女の夫と、妹二人、そして、運転手の私が、成田まで送った。そこでちょっとした事件があった。

 予約していた成田-ソルトレイク・シティ(ユタ州)への直行便が、キャンセルになったという。これは、一日一便しかない。聞くと、バードストライク(鳥がエンジンに飛び込む事故)で、修理が必要なためだという。

 そこで、航空会社の窓口の方は、必死にフライトを探し、なんとか別会社のサンフランシスコ経由便を確保してくれた。ところがである。このフライトには、マイレッジがつかないという。

 貧乏学生夫婦である二人は、マイレッジを貯めて、日本への帰国に使おうと考え、多少高いことを承知で、このフライトを選んだという。納得できないマイク(彼女の夫)は、「これは、そちらの都合であって、こちらには一切の非は無い。にもかかわらず、マイレッジがつかないとは、許せない。何とかするべきである。(英語なのでよくわかりませんでしたが、たぶんそういうことのようです)」とカウンター越しに交渉している。しかし、担当者は、申し訳ないの一点張り。

 ついに、マイクは、「マネージャーと話をさせてほしい。」と切り出した。そして、交渉の末、マイレッジを獲得してしまったのだ。交渉は、30~40分かかっただろうか。待ってるこちらの身にもなれよ・・・といいたいところだが、彼らには切実な問題。あっばれ!である。

 さて、今度は、乗り換えることになった航空会社で、発券、チェックインの手続きをしなくてはならない。そこで、今度はちょっとだけ、悪知恵を授けた。

 「大変なことになった。とんだ迷惑である。御社に変更してもらったのはいいが、予定より、4時間も余計にかかってしまう。本当に参ったよ。こういうときは、アップグレードなんて、してもらえないんですか・・・?とだめもとで聞いてみなさい。」と・・・

 なんと、エコノミーから、プレミアム・エコノミーにしてもらえたらしい。災い転じて、福となすである。

 別に、こんな身内の話はどうでもいいのだが、私は、改めて米国人の交渉力に感心した。若いころから、交渉は当たり前、理を尽くし、時には感情を交えて、きちんと自分の主張をする。

 ハンサムで温厚な好青年のマイクであるが、いざ、ビジネス(彼ににとっては・・・)となると、タフな交渉にもひるまない。幼いころから、学んできた、というか、それが当然の生活習慣のなかで、育ってきたのだろう。

 ビジネスは、ますますグローバルになっている。われわれ日本人は、こんな連中と、渡り合わなければならない。「きっと相手も意を汲んで、対応してくれるはず」は、通用しないのだろうなぁ。

 翌朝、娘からメールが届いていた。無事帰国したとの知らせ。しかし、そのタイトルは、「日本に着きました!」。

 親ですから、日本人ですから、あなたの気持ちは良くわかります。しかし、あなたは、海外で生活しているんでしょ。そんなことで、いいのですか?

親として情けない限りである。

2009年7月12日日曜日

日本型クラウドの可能性(4)

日本型クラウドを考えるとき、もっとも心配なことは、ビジネス・プロセス・マネージメント(BPM)の問題だ。

 日本人の素性として、業務をプロセスに分解し、整理、系列化することには、どうも向いていないように思う。

 BPMが、なぜクラウドと結びつくかといえば、それは、SOAとの関係においてである・・・とくると、話がみえなくなったという人もいるかもしれないので、このあたりを整理しておこう。

 いままでも述べてきたとおり、クラウドは、万能ではない。提供するサービスに違いがあり、得手不得手もある。

 当然、利用する側は、それを使い分けるべきだ。そのとき、どのシステム機能を外部のクラウドに預け、どこを自社システムに乗せるかを判断しなければならない。

 システムは、ビジネスを実現する手段だから、個々のビジネス機能に対応するシステム機能を実装する必要がある。

 だから、まずは、ビジネス全体の流れを整理、系列化して、重複なきようにプロセスに分解する。そして、ビジネス全体をこれらプロセスの組合わせとして表現する。

 このような、一連の作業が、BPMだ。

 つまり、BPMとは、あるビジネスの範囲で、それをプロセスに分解、整理し、整列させることである。システムは、この分解された個々のプロセスに対応するように実装される。

 各業務プロセスは、相互に独立性が高いほうが望ましい。

 たとえば、[受注]-[出荷]-[受領]-[売上計上]という業務のプロセスが存在するとしよう。しかし、商品によっては、[受注]-[出荷]-[売上計上]-[受領]のほうが、都合がいい場合がある。もし、最初に決めた業務プロセスが、[受注]-[出荷・受領]-[売上計上]であれば、このような商品によるプロセスの組み換えが不可能となる。ということは、その都度、別々のシステムを作らなければならない。これでは効率が悪いので、プロセスは、その機能において重複無く、独立させなければならない。

 この業務プロセスに対応して、システム部品を用意しておけば、必要に応じてその部品を組合わせ、あるいは、順序を変えれば、必要とするシステムを実現できる。システムが、汎用化された部品の組み合わせとして作られていれば、他のシステムでも利用できるので、開発の生産性は高まる。

 このように、システムを特定の機能やサービスを提供する部品に分解し、他でも使えるようにインターフェイスを統一して、システムを開発する。これが、SOAのアプローチだ。

 つまり、BPMで整理されたビジネス・プロセスに対応したシステム開発の方法が、SOAとなる。

 これがなぜクラウドと結びつくかというと、このようにシステムが、機能やサービス単位で部品化されていれば、どこをどのクラウド・サービスに、どこをオンプレミスにという判断が容易になる。インターフェイスを標準化すれば、異なったクラウド・サービス、オンプレミス・システムを必要に応じて、最適に組合わせ、利用できるようになる。

 また、各業務プロセスに対応したシステム部品が、クラウド上で汎用的なサービスとして提供されれば、その部分の開発は不要となり、すぐに利用できる。走すれば、必要なシステムを短期間に利用できる。また、業務が変われば、その部分を他に入れ替えることもでき、変更にも柔軟に対応できる。

 クラウドが目指す理想像とは、こんなシステム形態といえるだろう。だから、クラウド-BPM-SOAは、切り離せない関係にあるのだ。

 冒頭申し上げたとおり、このような業務プロセスの整理整頓については、欧米人の方が、どうも素性がいいのではないかと思っている。日本人にできないとは思わないが、残念ながら、個人技、職人芸を尊ぶ文化である。これは、システム開発の現場にも根強い。それは、それで、すばらしいこととは思うのだが、世界に向けてビジネスを発信してゆこうとすると、このBPM-SOAのアプローチが不可欠である。

 そこをどう乗り越えればいいのか。それについては、また、次回。

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2009年7月8日水曜日

日本型クラウドの可能性(3)

 「日本型クラウド」といいながら、「メインフレーム」の話をしたら、それはIBMだから外国製ではないか?なぜ、それで日本型なのかというご質問をいただいた。

 ちょっと、言い訳をしておこう。

 もう10年以上前の話である。半導体メーカーのお客様をIBMの半導体工場であるニューヨーク州イーストフィッシュキルへお連れしたときの話。

 この工場は、最先端の8インチ・ウェハーを世界に先駆けて稼動させたところでもある。その後、このノウハウは、日本の野洲工場に移転され、日本でも8インチのラインが動き始めていた。
 
 私たちが訪問すると日本からの出向社員が、工場を案内してくれた。当時、この工場には、彼を含め野洲工場から派遣された多くの日本人のエンジニアが働いていた。彼らの目的は、歩留まり率の向上だった。

 いち早く8インチ・ラインを立ち上げたのは、米国であったが、歩留まりが上がらないことに手を焼いていた。そんな米国に続いて立ち上げた日本の野洲工場は、米国で開発された最新の半導体製造技術をベースにしつつも、日本独自の工程管理のノウハウを組み込んで、本家をしのぐ歩留まりや生産性を実現していたのである。

 そこを見込まれて、本家の支援にやってきていたのだ。

 また、こんなこともあった。

 IBMを卒業の後、ある外資系の半導体製造装置メーカーのマーケティングと営業を手伝ったときのこと。このメーカーの製品は、欧米のエンジニアが設計し、中国と香港で製造していた。

 中国・深センにある工場に行って驚いたのは、ずらりと並ぶ最新鋭の生産設備。アマダのマシニング・センター、イスラエル製のプラスチック成型機械・・・どれもコンピューター化され、工作精度はきわめて高い。

 あるとき、この工場に部品を納めている日本企業のエンジニアに話を聞く機会があった。彼によると、この工場は、通常より一桁高い公差で部品を納めるように求めているらしい。そのため、コスト的に相当きついとのこと。

 当然出来上がってくる製品の精度は高いものと期待されるが、意外にも普通なのである。仕様の上では、世界最高であっても、実用性能は、それほどでもなかった。

 こんな装置を輸入して、日本のお客様にお納めするのだが、これを日本のエンジニアが、出荷前に徹底的に整備、調整すると、実におどろろくべき性能を発揮する。

 欧米の優れた設計思想とユニークなアイデアの数々。部品や加工精度の高さ。実に素性がいい。これを正しくくみ上げ、調整すれば、そのポテンシャルを最高に引き出すことができるのは、当然といえるかもしれない。

 「どうすれば、そんな性能が出るのか?」と開発や製造の人間が、聞きにくるほどであった。

 ユニークなアイデア、それにチャレンジし、リスクを犯してでも試してみようという行動力は、欧米諸国の伝統といえるかもしれない。一方、いいと思ったなら一意専心に改良を重ね、完成度を高め、百花斉放のこどく、その本領を発揮させることに、日本人は長けているように思う。

 さて、話を「メインフレーム」に戻すが、「メインフレーム」は、確かに欧米の優れた着想と思想に支えられた製品であり、外国で作られた製品である。しかし、その能力は、機械本来の性能だけではなく、高度な運用管理能力無くして、最高のパフォーマンスを引き出すことがてきないのは言うまでも無い。

 あるコールセンターのコンサルタントから聞いた話だが、「日本の顧客ほど、応対の品質にうるさい客はいない」そうだ。当然、コールセンターもお客様の満足度を高めるために、徹底した工夫と教育を怠らない。そんな積み上げが、世界でも最高の応対品質を実現しているという。

 このような顧客の高い要求に応えなければならないという、強迫観念にも似たプレッシャーは、チャレンジを避け、ユニークなことを排除するというネガティブな一面はある。しかし、その一方で、徹底して品質や完成度を高めなければならないという、モチベーションを生み出していることは確かだろう。

 「メインフレーム」は、IBM、「NGN」も使われている機器の多くは、CISCOなどの外国製品も多いと聞く。その意味では、純粋な国産ととはいえない。しかし、そんなことはあまり意味が無い。

 私が、日本型クラウドと申し上げているのは、単に機械のことではない。高い品質を求め、徹底して運用の品質や完成度を高めたサービスを提供することに、日本人は、執拗なまでにこだわるところがあるからだ。これは、家電製品同様、世界でも十分に受け入れられるのではないかと思っている。



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2009年7月6日月曜日

日本型クラウドの可能性(2)

 クラウド・コンピューティングの課題として、よく言われるのが可用性と信頼性だ。それには、3つの要素が相互に関係している。

 まず、ひとつは、PCサーバーの信頼性。昔に比べて、PCサーバーの信頼性は、高まったとはいえ、銀行の勘定系に使えるレベルには無い。だから、可用性を高めるためには、冗長度を高めなければならない。しかし、冗長度を高めれば高めるほど、今度は、運用管理が複雑となり、システム全体を見たときの信頼性は、再び低下する。

 PCサーバーの魅力は、取得金額(TCA:Total Cost of Acquisition)が安いことにあるが、それは同時に信頼性もその金額に見合うものという現実をうけいれることでもある。それでは困るということで、冗長度を高めれば、今度は、TCO負担が増大する。結局は、どこかでこの両者に折り合いをつけなければならない。

 二つ目は、ミドルウェアの組み合わせ。たとえば、クラウド環境を構築する上で欠かせないのが、仮想化だ。これには、サーバーの仮想化やストレージの仮想化がある。また、分散ファイル管理機能も必要だ。さらには、負荷配分のための機能も必要になる。このように、クラウド環境を実現するためには、さまざまなミドルウェアが介在する。

 これらミドルウェアを単体で取り出せば、夫々に責任の所在も明確であるだろうし、各社完成度を高めるための努力は行われている。しかし、いったいそれらシステムの組合わせについては、誰が責任をもってくれるのであろうか。

 結局は、運用事業者の責任となるのだが、彼らにも、全体の信頼性を保証できる根拠が無い。従って、ユーザーにクレームされれば、「ネットワークの障害です」、「相性の問題です」、「仕様なので仕方がありません」という言い訳で、乗り切るしかない。

 最後は、ネットワークの信頼性だ。いうまでも無く、インターネットにQOSを求めることには無理がある。セキュリティ上の課題も存在する。従って、たとえデータセンター・システムの可用性を高めたとしても、ネットワークが、ボトルネックとなることは、さけられない。

 PCサーバー、ミドルウェア、ネットワークが、夫々に持つ信頼性と可用性についての限界。それらが、組み合わさることで、さらにシステム全体として、信頼性と可用性は、低下せざるを得ない。というか、そもそも、だれが保証してくれるのかという、責任の所在、つまり、トータル・クオリティ・マネージメントが、できない状況の下で、提供されているのが、現在のクラウド・コンピューティング(厳密に申し上げれば、パブリック・クラウド)の現実だ。

 このような現実であっても、99.9%や99.95%を保証するというわけであるから、これは相当の努力であり、技術力だと思うべきかも知れない。しかし、ユーザーにとっては、彼らがどのような努力をしていようとも、結果として、求める可用性が提供されなければ、基幹系、勘定系ではつかえない。

 そこでであるが、品質や信頼性に、過剰なまでに神経質な我が国民気質が、このクラウドに新しい可能性を提供してくれるのではないかと密かに期待している。「高信頼性クラウド・コンピューティング・サービス」という切り口だ。ノーダウン、QOS、低コストのクラウド・サービスである。

 どうやって、これを実現するかといえば、「メインフレーム」と「NGN」の組合わせだ。

 何をいまさら、メインフレームと言われるかもしれないが、メインフレームは、ここ数年劇的に進化している。自分が、元IBMの営業だからというわけではない。最近、改めてメインフレームを勉強しなおし、それを実感した。

 残念ながら、メインフレームにまともに開発投資し続けているメーカーは、IBMだけである。その予算は、年間1000億円を超えるという。その集大成が、System/z。

 たとえば、一台のPCサーバーに仮想化ミドルを導入し、いったい何台の仮想マシンを動かすことができるだろうか。まず、10台を動かすことは無理だろう。現実的な運用を考えれば、数台がいいところだ。しかし、メインフレームならば、比較的小規模なモデルであっても、簡単に数十台、規模が大きくなれば、数百台、数千台は問題なく稼動する。

 これは、単にプロセッサー能力の問題ではない。基本機能として持っている高度な負荷管理機能、入出力の負担を専門で請け負うプロセッサーであるチャネルの存在。ハードウェア・レベルで仮想化を実現するLPARなどなど。昔から、高価なメインフレームというシステム資源を、できるだけ多くのユーザーに同時に使ってもらうための研究開発の蓄積が、今大いに生かされている。

 限られたシステム資源をできるだけ多くのユーザーにサービス・レベルを保証しながら、しかもノンストップで利用させる技術。これに、半導体やストレージの価格性能比の向上が組み合わさって、「高価なメインフレーム」の汚名を返上しつつあるようだ。

 「ソリューション営業塾」で、メインフレームについて話したときの資料を以下に掲載する。



 また、System/zは、ネイティブで、Linuxが稼動する。もちろん、複数の仮想マシンの上で多重に稼動するのである。IBMの資料によれば、40万人で3900台のLinuxサーバーを使っているのだが、これを30台のメインフレームに集約しようというプロジェクトが進んでいるそうだ。これによって、TCOは、90%削減される。

 メインフレームは、ハードウェアからOS、ミドルウェアまで、すべてIBM一社が、その組合わせに責任を持っている。全体の責任の所在が明らかであり、全体で相互の稼動を保証し、最適化されている。

 そもそも、メインフレームは、その設計思想上、ノンストップである。故障しても稼働中に修理し、復旧できるように作られている。PCサーバーでよく行われる「リブート」などという、ごまかし操作はありえない。そのプラットフォーム上で動くLinuxシステムの可用性もまた、同じレベルが保証される。

 ひとつのシステムあたりの多重度が高まれば、システムの運用管理負担も低減し、信頼性も高まる。その結果、ユーザーあたりのTCOも低下する。

System/z同様に、IBM/i(旧AS/400)も同様の思想の上に作られている。ネイティブOSに加え、Linuxも動くし、Windowsも、同時多重で稼動する。これであれば、比較的規模の小さな事業者でもサービス環境を構築可能であろう。

 さらに、わが国が誇る高信頼性のIPネットワークであるNGNサービスを組合せば、AmazonやGoogleとは、異なる「高信頼性クラウド・コンピューティング・サービス」を実現できるのではないだろうか。

 別に、IBM製品を売り込みたいわけでもなければ、NTTさんの回し者ではない。あくまで、客観的な視点で考えてみた結果だ。

 この両者の組合わせは、クラウドの弱点を克服し、しかも日本人の感性にも符合するのではないか。

 日本発世界に向けたクラウド・サービスのひとつの可能性として、考えてみてもいいのではないかと思う。

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2009年7月3日金曜日

日本型クラウドの可能性(1)

 クラウドが、ビジネスになるのかという議論は、もはや意味がないと思う。Google、Amazonを見れば分かるとおり、すでに立派にビジネスとして成り立っている。

 SaaS(Software as a Service)型クラウドの代表であるGoogle Appsは、GmailやDocsなど、パーソナル・プライベート・ツール(PPT)のクラウド化をターゲットとしている。これは、Microsoftのビジネスと完全にかぶっている。では、どちらが、お得なのか。

 私が主催している「ソリューション営業塾」で、クラウド・コンピューティングの講義を行ったとき、Googleの有償サービスである、Google Apps Premier EditionとMicrosoft Office Enterprise 2007を比較した資料である。



 これを見ると、Google Appsの年間コストは、Microsoft Officeの1/2であることがわかる。ただし、MS Officeの場合は、これ以外にも導入やアップデート、トラブル(MS OfficeかPCかどちらが原因かわからない場合も含めて)対応しなければならないので、さらにコストがかかることになる。

 同一機能ではないので、単純に比較することもにも無理はある。しかし、日本ほど、見た目やブランドにこだわらない米国では、ユーザーがどんどん増えているらしい。

 Amazonのクラウドは、システムのインフラを提供し、アプリケーションは、どうぞご自由にお作りくださいというビジネス・モデルだ。IaaS(Infrastructure as a Service)型クラウドといわれるものである。表現を変えれば、データセンターのデスクトップ化、つまり、個人でも、中小企業でも、設備の導入や運用管理を伴わず、データセンター・リソースを必要なだけ従量課金でお使いくださいというものだ。

 例えば、いままでなら、ウエブ・ビジネスをはじめようとすれば、自分のところに置くか、データセンターに預けるかは別にして、相応のシステムを所有しなければならなかった。当然、システム構築にもコストがかかる。それがなくなる。そのため、中小企業でも、少ない投資リスクでウエブ・ビジネスをはじめられるようになった。

 やはり、「ソリューション営業塾」で使った資料であるが、オンプレミス型(自身でシステムを所有し、運用管理するシステム利用形態)とクラウド型でのシステム開発形態の違いを整理したものである。



 Amazonのクラウドサービスは、このような中小企業の需要に支えられて、これまた急激にユーザー数を伸ばしているらしい。

 ただ、これらクラウド・サービスも、稼働率という点では、まだまだたよりない。Googleは、Google Appsの稼働率を99.9%としている。これは、年間でおよそ8時間停止することを意味している。ただし、メンテナンスなど、事前に計画され、通知されるシステム・ダウンについては、含まれていない。

 また、Amazonは、その中核となるサービスEC2の稼動率を99.95%としている。これとて、年間4時間の停止である。

 これに加えて、パブリックなネットワークを利用するとなると、その稼働率や信頼性も考慮しなければならないので、実質的な稼働率は、もっと低下すると考えるべきだろう。

 一般的に、大手銀行などの場合は、稼働率は限りなく100%である。具体的には、99.9999%の保証が求められる。これは、年間30秒程度の計算になる。

 ここまでの稼働率は、ともかくとしても、小数点以下一桁や二桁程度では、基幹業務で使うには、心もとない。しかし、PPTやエンターティメント系のウエブ・アプリケーションであれば、問題ないレベルといえるかもしれない。

 稼働率については、両者とも重要な課題として取り組んでいるようなので、このあたりは、いずれ改善されるだろう。しかし、そんな先のことを考えなくても、使える業務領域は、いくらでもあるように思う。

 また、そもそも、中小企業であれば、基幹系とて、99.9%の稼働率さえ維持できていないところも少なくない。そんな現実を考えれば、「基幹系でも使えるところがある」と考えていいのではないだろうか。

 しかし、これは、GoogleやAmazonだからできることであって、わが国で同じ様なサービスを提供できるのだろうかと考えると、簡単なことではない。

 では、どうすればいいのだろうか?次回、その点について、もう少し掘り下げてみようと思う。

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2009年7月2日木曜日

コミットメントとサイエンス

  「平和と科学が進歩した今日、この記録がどれほどの価値があるのか、わかりませんが、あの時代の若者たちが、祖国を守るために示した精神力が、現代の日本人、特に今日の若い人たちの気迫の上に訴えるものがあれば幸いです。」

 第二次世界大戦中、零戦を駆って戦った撃墜王、坂井三郎の著「大空のサムライ」の冒頭の言葉だ。

 友人に進められ、読み始めたのだが、あまりの面白さに分厚い上下二冊の文庫本も、三日ほどで読みきってしまった。

 戦争を「面白い」とは、不謹慎かもしれない。しかし、フィクションではない、戦争を生き抜いた生々しい体験者の言葉、そして、冒頭にもある「気迫」が、その悲惨さを越えて、伝わってくる。そんな彼の生き様、そして、私の知らない戦争のおどろおどろしい現実。驕りもしなければ、美化もしない、平明達意な文章に引き込まれてしまった。

 コミットメントという言葉がある。必達目標と訳されるが、未達ならば、その責任を取るという含意もある。戦闘機乗りである坂井氏にとっての未達とは、即ち死を意味していた。

 「どんなに不利な状況にあっても、死力を尽くす覚悟」、「必勝の信念」を持つこと。そして、そのために、冷静に自分の行動を見つめなおし、まだできることがあるのではないかと徹底的に考え、工夫し、行動することの大切さを、彼は語っている。

 「生きるためではなく、戦いに勝つために全力を尽くした。死は、ひとつの結果に過ぎず、何よりも大切なことは、勝つことである」という彼の信念こそ、まさにコミットメントそのものであるように思う。

 そんな彼の信念があればこそ、戦死率が最も高い飛行機乗りにあっても、彼を生かし、敗戦を迎えさせたとも語っている。

 不況である、予算達成も容易ならざる状況だ。果たして、自分は、自分に対して、あるいは、部下に対して、言い訳はしていないだろうか。

 幸いにも、私たちは、未達でも死ぬことはない。上司にお叱りを受けるだけである。にもかかわらず、失敗を恐れ、これでもかという工夫を放棄してはいないだろうか。

 この著のもうひとつの魅力は、零戦のメカニズムと戦法について、きわめて冷静に、論理的に考証していることにもある。彼は、単に精神論だけで、戦い抜いたわけではない。

 彼は、続著「零戦の真実」の冒頭で、「われわれの愛機であった零戦についても、万能というには、程遠い欠陥を多く抱えた機であった」ことを認めている。それでも、「零戦に遭遇したならば、戦闘を回避し、逃げるべし」と戦闘マニュアルに記載されるほどに、敵国の戦闘機乗りを震撼させのである。

 「長所を活かし、短所を補う」、「長所と短所、その相反する因果関係にある愛機に折り合いをつけ、あるときはあきらめ、あるときはほれ込んで戦っていたのである」と彼は書いている。

 私たちの現実もまったく同様ではないかと思う。万能な武器などどこにもない。だからこそ、その短所、長所を見極め、戦法を工夫し、競合他社と戦っている。

 冷静な分析力、論理的方法論なくして、必勝の精神だけでは、戦に勝つことなどできないことを彼は、自らの戦いを通じて証明して見せたのである。

 私は、今、営業研修に取り組んでいる。まさに、その精神は共通している。がんばれば、不況を乗り切れるなど、ありえはしない。お客様に足しげく通えば、案件が見つかるなどは、「がんばればなんとかなる」の類であり、なんら根拠のないばくちである。

 営業という仕事の仕方、いうなれば戦法は、論理的で科学的でなければならない。それを伝えることにこそ、私の役割だと考えている。

 2000年9月、彼は鬼籍に入られた。しかし、数多く残された彼の至言は、時代を超えて、受け継がれてゆくのだろう。久々に「これぞ」という一冊にめぐり会わせてくれた友人に感謝したい。


営業という仕事を科学すること。不況を気合で乗り切ることはできません。


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2009年7月1日水曜日

マネージャーとリーダー

 「マネージャーはいるが、リーダーがいない。」あるソリューション・ベンダーのベテラン営業さんから、そんな話を伺った。なるほど、面白い視点だと持ったので、ここで考えてみることにした。

 マネージャーとは、組織としてのパフォーマンスを最大化する責任を担っている。とすれば、部下の能力や性格を見極め、リソースの最適な配置を決め、目標達成のための行動を起こさせるなくてはならない。

 状況を冷静に整理し、行動に裏づけを与え、必要とするリソースを準備する。高度な理性と判断力が求められる。

 さて、リーダーとは何か。言葉通りに受け取れば、「先導者」である。道を示し、率先して、その道を進む。人を魅了し、従おうという気持ちにさせる。

 リーダーには、先を見通す力が必要だ。世の中の動き、人々の心の機微、時代のトレンドなどなどが、これからがどう動くかを予測し、その先を見通す感性が必要だ。直観力というべきかも知れない。たぶん理屈だけでは超えられない、見えない先を見取り、感じ取る能力というべきだろう。

 そして、欠くべからざるは、信念である。これをやるんだという強い決意である。従うものに安心を与え、ともに何とかしようという決意を起こさせる。

 よき指導者とは、理性的な側面であるマネージメント能力と感性的な側面であるリーダーシップ能力を兼ね備えた人たちなのだろう。
 
 霞を喰らうことができないように、夢だけを追いかけてみても、生きてゆくことはできない。しかし、行くべき道、あるべき姿を示されなければ、いくら合理的な行動であっても、疲れてしまう。

 営業もまた、お客様にとってのリーダーであるべし

 確かな信念と、自信を示し、お客様に正しい道を示す。それができれば、お客様はあなたに従い、売り込まずして、モノは売れる。

 さて、自分はどうか?とてもその「うつわ」では、なさそうだ(笑)。


営業としてお客様にリーダーシップを発揮する方法とは、・・・


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