2012年4月28日土曜日

育成のプログラミング

「うちの管理職連中は、部下の育成に熱意がない・・・というか理解がない。部下もまた、研修に"行かされる感"が強い。まあ、研修は罰ゲームみたいなもので、成績が悪い、うまくいかないから行かされると思っているようなんです。」

ある、大手ソリューション・ベンダーの育成担当からこんなお話を伺いました。

人は、多くの場合、差し迫っていない限り、進んで行動を起こすことはありません。研修もまた同様です。

かつて、私が所属したIBMでは、年初に設定されるノルマはとてつもなくきついものでした。手持ちを積み上げたところで、2、3割が関の山で、あとの7割りは、自分の努力で何とかしなければなりません。これはもう相当のプレッシャーです。そのために、担当するお客様のことを徹底的に調べ、何を提案すれば売れるかを考え、計画し、行動しなければなりません。また、お客様のこと、製品のこと、業界のことを勉強しなければ、お客様からは相手にもされません。大きな案件を獲得しなければ数字は達成できませんから、当然、経営層にアプローチできなければ仕事になりません。その能力も持たなくてはなりません。そういう危機感に常にさらされていました。

また、マネージャーは専任で個人のノルマを持ちません。部下の達成した数字の総和が自分の成績でした。部下の能力を高めなければ自分のノルマを達成できないわけです。また、部下を落ちこぼれさせることはマネージャーにとっては、大変不名誉なことでもありました。つまり、部下の能力を高めることは、自分の評価にとって死活問題だったわけです。

こういう両者の危機感があったからこそ、研修は大切な機会であると認識されていました。また、部下を研修に行かせることは、上司の人事評価の対象となっていました。また、部下が上司を評価するという制度もあり、学習の機会を与えてくれないとなると、上司への評価も厳しいものになります。

結果として、研修に参加することへの意欲は高まります。意欲が高ければ、学習効果も高いわけで、結果として、能力の向上に寄与することになります。

仕事柄、多くのSI事業者と関わる機会がありますが、このような危機感があまりない企業もあります。

例えば、ノルマは稼働可能な人数の積み上げを前提とし、前年度から少し上積みする程度を目標として設定します。数字は、日常の努力の延長線上であり、自分の能力を大幅に高める必要はありません。稼働率を維持することが大切ですから、お客様との関係を維持することが最優先され、研修など無駄な時間です。

マネージャーは自らも個人の数字を持つプレイング・マネージャーです。まず優先すべきは、自分の成績です。部下の育成もマネージャーのミッションではあるのですが、社内的には自分の成績達成が、高く評価される傾向にあります。ですから、部下の育成については、「気持ちはあっても行動しない」という状況を生み出しています。組織の成績達成も、できない部下に任せるよりは、自分でやった方が早いと考えがちで、部下の能力向上にモチベーションが働きません。

結果として、研修や学習への取り組みはおろそかとなります。

じゃあ、何処の会社もIBMと同じことをすべし、などと申し上げるつもりはありません。これは部下の育成だけではない、長年培ってきた企業文化の所産です。何処の会社でも同じことができるとは思いません。

ただ、人材の育成について、その必要性を日常に埋め込む取り組みが重要であるといことをご理解頂ければと思います。そして、それは、やはり経営トップがそのことの必要性をしっかり意識し、推進してゆかなければならないと言うことでしょう。現場が問題意識を持ち、それを経営者に説明、説得しなければならないようでは、うまく行きません。これは企業文化の問題であり、それを築くのは、経営者の責任だからです。

研修を生業にするものにとっては、自分で自分の首を絞めるような話しですが、研修だけで人の育成は不可能です。組織が、人を育成するのだと思います。

そのために、組織の意識を変えてゆかなければなりません。ただ、経営トップが大号令をかけるだけでは不十分です。組織の仕組みの中に育成をプログラミングすることこそが、大切なのです。

■ 第10期・ITソリューション塾を開講します ■

おかげさまで、ITソリューション塾を始めて4年・第10期を迎えることができました。この間、200名を越えるみなさんとご一緒させて頂きました。ありがとうございました。

さて、第10期は、5月23日(水)からスタートします。毎週水曜日の夜、全10回で、最新のITテクノロジーやビジネスのトレンドを整理すると共に、お客様と関わるみなさんに必須の顧客応対スキルを学びます。

詳しくはこちらをご覧ください。

既に多くの皆様から参加のご意向を承っております。ありがとうございます。そんなご意向を踏まえ、今回は会場を大きくさせて頂きました。そのため、まだお申し込みいただけますので、是非、ご意向だけでも早々にお知らせください。

改めて、4年前の資料を振り返ると、時代の変化の大きさと共に、私達の考察の未熟に恥ずかしくなるところも少なくありません。今回は、そんな反省と共に、これまで以上に、ITビジネスのトレンドや戦略についても体系的に整理してみようと思っています。

なお、これまで同様、講義に使いましたITトレンドに関するプレゼンテーションはパワーポイントのソフトコピーで提供させて頂きます。是非、社内での勉強会やお客様の説明にご活用頂き、知識の定着を図って頂ければ思っています。

多くのみなさんのご参加をお待ち申し上げております。


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2012年4月22日日曜日

ソリューションの本当の意味とカタチ


「ソリューションとはどういう商品ですか?それはどんな形をしているのでしょうか?」

今から20年ほど前、メインフレーム全盛に陰りが見え始めていた頃です。ミニコンやオフコン、パーソナルコンピューターへのダウンサイジングが、大きな潮流となっていました。

高価なメインフレームに対する安価な小型のコンピューターの出現は、情報システム部門に頼ることなく、業務部門個別のニーズに短期間で対応できる魅力からどんどん普及してゆきました。その結果、ひとつの会社が、様々なメーカーのコンピューターを多数所有するようになったのです。

確かに、コンピューター単体の購入コスト(TCA: Total Cost of Acquisition)は劇的に下がりました。しかし、その一方で、データの互換性を保つことやネットワーク接続によるシステム間の連携、トラブルへの対応、システム間の整合性を保証した上でのバージョン・アップやパッチ対応などは、メーカー個別に対応しなければならなくなりました。メインフレーム時代は、メインフレーム・メーカーが保証してくれていた「組合わせ」は、マルチベンダー化によって、ユーザー企業側に大きな負担を強いることになったのです。

また、分散するコンピューター・システムのバックアップ・リカバリー、ライセンス管理、トラブル対応などの運用管理はメインフレームのように集中で行なうことができません。そのため、会社全体のコンピューターを所有することに伴うコスト(TCO: Total Cost of Ownership)が急増することになったのです。

それでも、業務ニーズへの迅速な対応が優先された結果、マルチベンダー化は急速に拡大、部門最適化された個別システムが増殖することとなったのです。

そんな時代、世界最大のメインフレーム・メーカーであるIBMの業績が伸び悩んでいた1993年4月、IBM初となる外部招請の会長兼最高経営責任者(CEO)に就任したのが、ルイス・ガースナー(Louis V. Gerstner, Jr.)でした。

かれは、マルチベンダーシステムの組合わせが、お客さまの大きな負担になっている現実に直面し、これまでのIBM純血主義を転換して、マルチベンダー・システムの組合わせを一括してサポートすることを表明したのです。当時、私はIBMで現役の営業をしていました。そのころの私は、「他社製品との組合わせを保証できませんからIBM製品で統一しましょう」と売り込んでいたわけですから、これはもう青天の霹靂です。

彼は、「マルチベンダー製品も含むお客さまのシステム全体を一括してサポートする」ことを「ソリューション」と表現しました。そして、このソリューションを提供するサービースを「システム・インテグレーション」と説明したのです。

「ソリューション」という言葉は、既に1980年代頃から使われていた言葉です。当時のソリューションは、「プロダクトよりレベルの高い仕事をしていますよ」というための言葉であり、各社各様の定義のもと、キャッチフレーズ的に使われてきた言葉でした。また、「我が社のソリューションは・・・」というので話を聞くとパッケージソフトウェアやハードウェアであったりすることも少なからずありました。

ソリューションという言葉が各社各様に使われていた当時、IBMが示したこの定義は、時代の要請に応えるものでした。そして、この考え方が、IBMをハードウェア・メーカーからサービス事業者へという事業構造の転換を促す礎となったのです。

つまり、ソリューションという商品は、特定の商品を意味する言葉ではなく、「お客さまの課題を解決することであり、それはマルチベンダーを前提とした手段の組合わせの提供を含むものである」ということになるのでしょう。

では、このソリューションという商品は、どんな形をしているのでしょうか。

答えは、「提案書」という形です。

ソリューションには形がないという人がいます。しかし、形のないものに人はどうやって対価を支払えばいいのでしょうか。お客さまが稟議の手続きを進めようとされるとき、何を対象として検討し、判断すれば良いのでしょうか。

形のないものは売れません。形にしなければならないのです。つまり、ソリューションという商品の形は、提案書なのです。そこには、お客さまが意志決定するために必要な様々な情報が必要十分に盛り込まれていなければなりません。なぜ必要なのか、目的は、手段や体制は、費用や期間は・・・それを見て、なるほどこれは欲しいと思わせることができなければ、お客さまに買って頂くことはできません。

当然、商品である提案書は美しくなくてはなりません。誰が、汚い商品を買いたいと思うでしょうか。

内容がよければそれで十分という人がいます。私は、そうとは思いません。美しいとは、人にわかりやすく、確実に伝えたいという「思い遣り」のカタチです。コミュニケーション能力の高さを表しているとも云えるでしょう。ビジネスはコミュニケーションの産物であり、そこが確実にできないとうまくゆきません。提案書が汚いと言うことは、その能力の欠如していることを示しています。そんな会社とはつきあわない方が良いと思います。

提案書を受け取った相手は、どう思うでしょうか。自分の伝えたいことは書き込みました。それで満足し、相手の知りたいことや相手がどう見てくれるかといったことへの気遣いがない。相手の思考フロセスを想像することもなく、ただ伝えたい内容を満たしたことに満足する。

伝えたという自分の満足ではなく、伝わったという相手の真実が大切なのです。それを突き詰めれば、提案書は結果として、美しくなるのです。

ソリューションという商品は、お客さまの課題を解決することであり、自社の商品やサービスのことではありません。ソリューションという商品の形は、美しい提案書です。ソリューション・ビジネスとは、この当たり前の上に成り立っていることを忘れないようにしたいものです。


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2012年4月14日土曜日

「課題発掘」の本当の意味

「御社の販売システムの問題は、この点にあると思います。私達の製品を使えば、この問題を解決することができると思います。」

こんな説明をすると、「おいおい、うちのシステムの問題とはどういうことだ。ちゃんと使えているし、問題なんてあるようには思わないけどね・・・」などと、意地悪な突っ込みをされるかもしれませんね。

「問題」という言葉を、こんな風に使っていることはありませんか?

確かに間違えだともいえないのですが、適切な使い方ではありません。では、どのような表現なら適切だというのでしょうか。次のように「問題」を「課題」に置き換えてみてはいかがでしょうか。

「御社の販売システムの課題は、この点にあると思います。私達の製品を使えば、この課題を解決することができると思います。」

では、「問題」と「課題」、何が違うのでしょうか。今日はこの点について、考えてみようと思います。

例えば、「国際会計基準に対応した会計システムを導入する」という「あるべき姿」があったとしましょう。しかし、「現在の会計システムは国際会計基準に対応していない」とすると、この両者には「ギャップ」が存在します。このギャップが「問題」です。もし、両者にギャップがなければ問題にはなりません。

しかし、私達が「問題がある」と思っても、お客さまもまた同じように、その問題の存在を認知されているでしょうか? 

「それ問題なの?」となれば、解決する必要はありません。こちらがいくら「解決すべきです」と訴えてみても、お客さまはなんの行動も起こされることはないでしょう。

私達は、それが「問題である」ことを、まずはお客さまに認めてもらわなくてはなりません。国際会計基準とは何か、それがなぜ問題であるのかをお客さまに説明し、理解していだくことが大切です。

その上で、それを放置すればどのような不具合が起こるのかを明らかにします。そして、このままではまずい、なんとか解決しなくてはという意欲を引き出す必要があります。

その存在受け入れ、解決したいという意欲をもった「問題」、それが、解決すべき「課題」です。

お客さまが解決したいと思わないことに、いくら立派な提案をお持ちしたとしても、それを採用して頂けるチャンスはありません。「課題」とは、「解決したいという意欲を伴う問題」なのです。



「お客さまの課題を発掘する」とは、このプロセスをすすめる活動です。

「何か課題はありませんか?」とお客さまに尋ねることが、課題発掘ではありません。そんな質問をしたところで、「ありません」という反応が返ってくるだけです。

課題を発掘するためには、まず自分自身が、お客さまのあるべき姿と現状を正しく理解することから始めなくてはなりません。そこにギャップ、すなち、問題を見つけることにまず取り組む必要があります。

その問題をお客さまに伝え、存在を確認し、このままではまずいことになる、大変なことになるという危機感をいだいて頂く。そして、解決しなくてはという意欲を持って頂く。

「課題を発掘する」とは、このような取り組みを行うことです。これができて、私達は、始めて提案のチャンスを手に入れることができるのです。

課題が明らかになれば、それを解決すればいいわけです。その手段がソリューションです。

初めてのお客さまに「我が社のソリューションは・・・」と説明しても、課題が存在しなければ、解決する必要はなく、あなたの説明の声は、お客さまの背中をすり抜けてゆくだけでしょう。時間の無駄です。

ソリューションはお客さまの課題を解決することです。そして、この課題を発掘するためには、お客さまのあるべき姿と現状を理解することから始めなくてはなりません。

言葉にはひとつひとつに魂があるように思うことがあります。不用意な使い方は相手に思わぬ感情をいだかせてしまうことがあります。また、正しく使えば、相手の心を動かす力を与えてくれます。

問題と課題という言葉の意味や関係を理解することは、その言葉に込められた魂を理解することなのかもしれません。そして、課題発掘の本当の意味を理解することにもなるでしょう。


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2012年4月7日土曜日

新しく社会人になった君たちへ「本を読みなさい」

「電車の中で、漫画を読んだりゲームをする暇があったら、本を読みなさい。」

こんなことを書くと時代錯誤と顰蹙(ひんしゅく)を買うかもしれない。それでも私は伝えたい。なぜなら、このささやかな取り組みが私の人生に大きな価値をもたらし、豊にしてくれた実感があるからだ。

「漫画やゲームも勉強になるし、役に立ちますよ」という言い訳も聞こえてきそうだ。しかし、本はそれ以上に役に立つ。

本の最大の価値は、読みにくいことにある。漫画のように直感に頼ることは少ない。考え、想像し、自分で作者の筋立てをなぞらなくてはならない。これはなかなかの労力で、エネルギーを使う。だからこそ価値がある。

また、本には作者の思想や知識が詰まっている。本を書くことに人生を捧げてしまう人さえいるくらいだ。私に言わせれば、それは狂気だ。自分でそんな人生を送りたいとは思わない。だからこそ価値がある。

作者の思想や人生を追体験する。それが「本」の役割である。

そんな体験を僅か数百円で手に入れられるとすれば、その価値の大きさは計り知れない。わずか数百円で他人の人生や知識を買うことができるのだ。

先日、ある新入社員研修で、本をどれくらい読むか聞いてみた。すると月に一冊も読まないという人が少なくなかった。一年に一冊読むかどうか、つまり全然読まないと言うことだろうが、そういう人もいた。ああ、なんともったいないことだろう。

君たちが社会人になるとはどういうことだろう。簡単なことである。自分で稼ぎ、家族や他人に頼らず自立して生きてゆくことである。

そんな社会人に欠くことのできない能力のひとつが「想像力」だ。

社会とは常に人との関わり合いで成り立っている。相手が何に困っているのか、何を求めているのか、どうすれば幸せになれるのか。相手の課題は何か、それを解決する最適な手段は何か。自分は何をすべきか・・・正解はすぐにわからないかもしれない。しかし、そんなことすら想像すらできないとすれば、仕事の糸口さえつかめないだろう。

社会で大きな役割を果たしたいと思うのであれば、想像力は人の何倍も豊でなければならない。それが人の幅であり、大きさでもある。

本には、凝縮された他人の時間が詰まっている。本を読むとは、それを手に入れることだ。これは人との係わりの模擬体験でもある。

本に正解が書いてあるなど期待してはいけない。書かれていることは、正解に至るヒントや解決策の素材にすぎない。物事に同じことなど絶対にないからだ。

本を読むことで、人がどのように考え、それを整理しているのか、そんな思考のプロセスを知ることはできる。また、自分とは違う目線や価値観にも出会うことができる。さらには、様々な感性に触れ心の機微を知る手掛かりを見つけることもできるだろう。本を読むとは、そんなデータベースを蓄える作業である。それが想像力の源泉となる。

そして、自分の考えを相手に伝えよ、果敢にチャレンジせよ、そして失敗し、打ちのめされよ。その繰り返しが、想像力をさらに豊かなものにしてくれる。

これができるのは今だけだ。責任が大きくなれば失敗は多くの人に迷惑をかけることになる。自分が苦しめば済む時代に苦しむことだ。若気の至りで済まされるうちに、大いに若気の至りをした方が良い。誰もが通る道であり、大人たちもまた、それがどういうことかを知っている。

人生を楽しく生きたい、豊かに生きたいと願うなら、相応の努力が必要だ。しかし、その努力は、実にささやかなところから始まる。この「ささやか」を蔑(ないがし)ろにし、見た目のかっこよさや大きさに道を求めても、背伸びしている自分に苦しみ、いずれは底が抜けてしまう。

電車の中で本を読む。それが、成功に至る全てだと言うつもりなど毛頭ない。ただ、そんな簡単なことさえできない自分であるとすれば、人生の成功など望むべきではない。

他人からどう見られるかではなく、自分をどう見るかである。そんな視点を持てない人生に真の豊かさがもたらされることはない。

それをできない自分を残念だと思う気持ちこそ、人生を豊かに生きるための始まりでる。

君たちの人生に成功の約束はない。君たちがこれから生きる社会が今まで以上に豊になるという保証はない。若者には未来があるという人もいるが、私は本人次第だと思う。

全ては君たちが自分で決めることなのだ。


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