2008年11月30日日曜日

目標を決めてチャレンジする だから続けられる

 昨晩、雑誌「ランナーズ」の取材で、座談会に出席した。タイトルは、「メタボ解消には、ランニング」。私も含め元メタボの4人のランナーが同席した。それぞれにつらくて重い過去を持つ人達。走歴3ヶ月から最長の1年8ヶ月の駆け出しランナーが、何故走り始めたのか、そして何故走り続けているのかを語り合った。詳細は、12月発売の雑誌をごらん頂きたい。

 ある44歳の男性は、タバコをやめて数ヶ月で17キロ太り、中性脂肪、コレステロール、血糖値ともに異常な値となり、入院した方がいいと進められたそうだ。その日に思い立って走り出したという。それまで全く走った経験がなかったそうである。走り始めて一年、今では検査の値にまったく異常は見られず、次のレース(本日開催のつくばマラソン)では、フルマラソン 3時間30分を目指しているという。

 ほかの誰もが、血液検査で異常を抱え「要精密検査」だったそうだが、走歴3ヶ月の人でさえ、最近の検査で異常はまったくなかったという。

 私も一年で12kgの減量と体脂肪率15%減を経験している。普通こんな事を話すと、「すごい」ということになるのだが、ここに同席した人たちの反応は、きわめて平静で、「そんなもんですよ」といった感じ。改めて、ランニングの効用を実感した。

 ランニングを続けることに何の苦痛もないという。むしろやめて再びリバウンドするのが怖い、だから走り続けている。もちろんそれだけではない。走り始めると欲が出る。少しでも速く、少しでも長距離を・・・自分なりの目標をその都度定めレースへ臨む。そんなチャレンジを誰もが楽しんでいる。だから続くんですという言葉に誰もが納得した。

 さて、今日もそろそろ走ってきましょうか・・・

2008年11月29日土曜日

省エネ営業の時代

 ランニングをしていると季節の移ろいを肌で感じることができる。

 今日は、抜けるような青空に誘われて久し振りに自宅周辺で走ることにした。自宅から北上し、玉川上水にぶつかる。この上水に沿って小金井公園までの10km。そこを折り返し同じコース戻ってくる20kmが休日の定番コースだ。

 クヌギやナラなどの武蔵野の広葉樹がトンネルのように囲む玉川上水。鬱金や山吹に色づいた木々の合間から漏れる日差しは、とても透き通っている。時々吹き抜ける冷たい風に舞い落ちる枯れ葉が秋の終わりを伝えているようだ。

 こんな季節のランニングは、ついついオーバーペースになりがちだ。勢い余って駆けだしてしまうと後半はスタミナ切れで失速してしまう。わかっているのだが、今日もまた同じ失敗をしてしまった。まだまだ修行が足りない。

 最近、自分のランニングフォームにちょっとした異変が・・・実は、相当「うるさい」走りになってきたのだ。靴の裏を地面にパタパタと叩きつけるように走る。かかとやつま先からではなく、足の裏を水平に地面に叩きつける走り方。フラット走法というのだが、それがうまくできるようになるとこんな音が出る。

 以前からそれを意識して走ってはいたのだがなかなかいい音が出ずに試行錯誤していたのだが、最近やっといい音が出るようになった。

 フラット走法のメリットは、無駄のない効率的な走りが出来ることにある。かかとから入る走りでは前へ進もうとする力をかかとで止めてしまう。つま先からでは、ふくらはぎに負担がかかり、より大きな筋肉で余裕のあるももやおしりの筋肉がうまく使えない。フラット走法は、ランナーにとっては、無理、無駄のない、もっとも効率的な走り方といわれている。
 
 もう若くはないのだから、いかに省エネで走るか。筋肉よりも技で勝負しなければ、これからの向上はない。この異変のおかげだろうか、今までよりペースを上げても疲労感が少ない。今日の20kmもそれほどの消耗感もなくいつもより5分ほど早い1時間31分で戻ってくることが出来た。涼しくなったこともあるのだろうが、こんなささやかな成長が何ともうれしい。

 営業という仕事もそうである。若気の至りですまされるうちは、がむしゃらに走りまわる事も勉強であろう。しかし、後輩もでき、リーダー的な役割を担うようになれば、そうもゆかない。如何に効率よく、かつ効果的に仕事をこなしてゆくことが必要となる。

 「営業という仕事は本当に忙しい」という言い訳は、20代までなら許されるが、いい年をして未だに同じ事を言っているようでは、「自分は能力がありません」と宣言していることと同じである。

 「ソリューション営業プロフェッショナル養成講座」で、「営業の仕事は、エンジニアリングである」という話をする。決して個人の経験と勘、そして度胸に頼るのではなく、正しい手順をこなしてゆけば自ずと結果が得られるという考え方だ。ただ、闇雲に走り回るのではなく、セオリーに基づく手順を踏めば、無駄はない。省エネ営業である。

 営業活動プロセス、それをベースとしたオポチュニティ分析やプロジェクト分析。仕事の無理、無駄を排除する手だてはある。

 プロジェクトの延期、予算執行の先延ばし・・・営業にとっては、厳しい話が増えてきた。こんな時こそ、気合いと根性だけでがむしゃらに走り回るだけではなく、冷静に案件を分析し、営業活動の手順を見直してみるべきではないかと思う。

2008年11月24日月曜日

言葉は営業の武器 ファミレス言葉を考える

 「お名前様は、斎藤様のほうで、よろしかったでしょうか?」、「ご注文のコーヒーになります。こちらのほうで、よろしかったでしょうか?」・・・とても気持ちが悪い。

 なんとか丁寧な言葉を使わなければいけないと思っているのだろうが、とても違和感を感じる。「ファミレス言葉」、「バイト敬語」、「マニュアル語」などと言うそうだが、これだけ世間で話題になり、おかしいぞ!と騒がれているにもかかわらず、いっこうに無くなる気配がない。

 こんな話を、たまたま東北出身の人にしたら、そんなにおかしくはないよという反応が返ってきた。というのも、東北や北海道の人に電話をすると「はい、斎藤でした」という返事が返ってくる。「こんばんは」も「おばんでした」となる。現在のことなのに表現は過去形。昔からごく普通に交わされている表現だ。なるほど、「ファミレス言葉」に似ているような気もする。もしかしたら、ファミレス言葉の起源は東北にあるのかもしれない。

 しかし、起源がどうあれ、言葉は適材適所である。東北で使うならそれは方言として普通であっても、東京ではおかしいという自覚をもってほしい。
 自分では、丁寧に話せた思って勝手に満足しているのかもしれないが、その一方で相手を不快にさせているという事実に気付いてほしい。

 こんなケースもある。

 「イラッシャイマ~セェ」、「ア~リガトウ、ゴザイマシタ~」・・・人の顔も見ないで、節(ふし)を付けて声を出すコンビニ店員。パブロフの犬である。その言葉の意味も考えず、感情すらない。ドアの開け閉めに対する単なる条件反射に過ぎない。こんな声を聞くぐらいなら、チャイムやブザーをならしてくれた方が、よほど心地いい。

 このように相手のことを慮(おもんぱか)る態度の欠如は、今の若者達の間に広がっているようで、とても気になっている。

 営業という仕事は言葉を武器として使う。正しい言葉遣いは、相手の心を動かす力がある。相手の気持ちや求めに応えようとすると、人は相手に伝わるように、そして、心に響くように言葉を選ぶ。そんな経験の積み重ねが、正しい言葉遣いを育ててゆく。

 私は大学時代、「特殊教育学科言語障害児教育課程」を専攻していた。その授業の中で、こんな話を聞いた。
 
 聾唖者の母親が子供に言葉を覚えさせようと、毎日テレビを見せていたそうである。しかし、結局その子供は言葉を話せなかった。その理由について教官は、「言葉は、相手に何かを伝えたいという気持ちが無くては習得できない」からだという。

 普通母親は、その意味が通じているかどうかはともかくとして、子供に盛んに話しかける。子供もまた、話しかけられたことに何とか応えようと言葉にならない声を母親に返す。母親もまた、その声に反応して、「そうなの・・・、そうなのよねぇ~」などと言葉を返す。子供は、その母親の反応が嬉しい。そうやって子供は、また何かを伝えようという気持ちを持つようになる。このような関係が先ずできなければ、言葉は習得できないというのである。

 人は、言葉を学ぶ以前に、相手への思いやりや愛情を育てる。言い換えれば、相手への思いやりや愛情無くして、言葉は学べない。

 「ファミレス言葉」やコンビニの「条件反射言葉」には、相手の目線、相手への思いやりや愛情がまさしく欠如している。

 自分さえ良ければいいという風潮。これは、言葉だけの問題ではない。日本の良き伝統が崩壊する兆しなのか・・・私の考えすぎならばいいのだが。

2008年11月21日金曜日

部下への信頼 社長の大切な仕事

 今朝5時のNHKニュースで、渋谷の気温は7.5度。一方自宅のある国分寺の気温は、1.0度。あらためて、田舎なんだなぁと思う。
 5時30分、快晴の空、オフィースについたら仕事を始める前に皇居を走るつもりで準備をして家を出たが、あまりの寒さ!少し暖かくなってから走ることに・・・何ともふがいない。

 さて、先日、あるネットワーク・インテグレーターの社長にお会いする機会があった。100人ほどの会社だが、優秀なエンジニアがそろっているという。

 そのお人柄とともに、言葉の端々に自信がみなぎっていた。自社の技術についての自信、部下への信頼、新たな仕事への意欲、この厳しい景気情勢の中でも売上増を予定とのこと。こんな社長の下で働く社員たちのモチベーションは、きっと高いに違いない。

 社長に社員への期待を伺った。

 「お客様を病人だと思いなさいといつも言っています。医者にとって、ひとりの患者さんは、大勢のうちの一人かもしれない。しかし、その患者さんにとっては、唯一の医者。生きるか死ぬかを託する相手。その期待に応えてこそ、本物の医者。そんな医者こそがプロフェッショナル。社員には、そんなプロフェッショナルになってほしいと思っています」。

 お客様の信頼に応えるということは、こういうことを言うのだろう。

 「うちの社員は、この会社がつぶれても困りませんよ。彼らの力ならば、高給で雇ってくれるところはいくらでもある。優秀な人間が集まっているんです。」

 なかなかこんなことを言える社長はいない。可能性を信じてくれる上司の下で働く部下は、その期待に応えようと、ますます優秀になる。そんな職場を作ることもまた、社長の大切なしごとなのだと思った。

2008年11月20日木曜日

ケーススタディ:部下の転職相談 さあ!どうします?

 久し振りにケース・スタディを掲載させて頂きます。対象は、営業マネージャーのあなたです。ちょっとヘビーな内容ですが、営業現場では良くある話です。

 さて、あなたならどう対処されますか。是非コメントにて、皆さんなりの考えをお聞かせ頂けませんか?グループ・ディスカッションみたいに、みなさんのお考えをコメントのやり取りで共有できればいいですね

 長文ですが、是非トライしてみて下さい。!

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1.ケース分析の目的
 営業マネージャーの役割は、自身の組織目標を、組織メンバーを使って達成することにあります。ここが、個人目標達成だけを考えればいい担当営業と大きく異なるところです。

 ここに設定されたケースは、そのようなマネージャーの役割を改めて考える機会を提供することを目的としています。

 組織の長であるあなたは、この事態をご自身の組織で起こっていることとして受け止めて下さい。そして、どう対処すべきかを自分の問題として、考えて下さい。

 ご自身がこのケースをどのように受け止め、どう対応するかについては、下記の設問に従い、考えて下さい。

 絶対的な正解はありません。是非コメントにてお考えをお聞かせ下さい。

 自分の考えを他人に伝えること。他者の意見を読むこと。その意見に自分の意見をぶつけてみること。その過程を通じて、自らの考えを整理し、新たな視点に気付いて頂くことが、このケース分析の目的です。

 コメント投稿で、そんなディスカッションができればと願っています

2.ケースの概要
 あなたは、営業マネージャー(あなたが、SEマネージャーや営業リーダーなら、置き換えて考えてみて下さい。)です。あなたが期待している有能な部下であるA氏が、転職について相談に来ました。彼は、まだ結論を出しているわけではありません。かれは、自分の現状や会社の状況を冷静に整理し、どのような結論を出すべきか、真剣に悩んでいます。

3.ケース分析の進め方
(1)「4.ケースの詳細」をよく読んで下さい。あなたは、A氏の上司になりきり、感情移入してください。この状況が現実であり、自分の問題であるかのように、イメージをふくらまして下さい。

(2)設問に回答するカタチでコメントして下さい。文章でも箇条書きでも、かまいません。とにかく、自分の考えを何らかの方法で、そこに書き出して下さい。完全な文章になっている必要はありません。論理的に矛盾していても、思いついたことのメモ書きでもかまいません。とにかく、考えたことを書き出してみることが大切です。真剣に考えることが大切です。

(3)この設問について、自分だけではなく、他人の意見を読むこと、自分の考えたことをどんどん発言して下さい。正解はありません。自分中の矛盾や葛藤も意見として述べて下さい。その過程を通じて、自分の考えを整理し、新たな気づきを見つけて下さい。

4.ケースの詳細
 お客様を担当する現場の営業やSEからは、「今までのお客様に加えて、担当するお客様が増え、ますます忙しくなった」とか、「お客様の状況が十分に引き継がれないまま担当が変更となることで、お客様への信頼関係を損ない、ビジネス継続を難しくしている」などのネガティブな話を聞くことが多いようです。同じ業界と比べて、どうかという議論も気になるところではあるのですが、明らかに営業活動に支障をきたしていることは事実です。

 このような状況の中、営業A氏が、個人的に相談したいことがあるとのことで、あなたの所に来ました。
 彼は、転職3年目の31才、まだライン職ではありませんが、若手の中では、リーダー的な役割を担っています。
 仕事の緻密さには欠けますが、何事にも積極的で、人当たりも良く、社内外を問わず、人間関係をうまくこなしてゆく才能があります。また、他人の考えと自分の意見を切り分けることもでき、他人の意見に迎合することなく自分の考えをはっきりと主張できます。ただ、思いこみが強く、容易に自分の意見を曲げない頑固なところもあります。ただ、頑迷で融通が利かないというほどではありません。

 彼の相談とは、転職のことでした。まだ決心をしたわけではないが、以前働いていた会社の元上司から、「別の会社に移ったのだが、新しい会社で営業として一緒に働いてくれないか」と相談を受けているとのことです。

 A氏が働いていた以前の会社は、外資系ネットワーク機器の日本子会社。販売する商品は限られ、お客様もSIerやNIerなどのシステム・ベンダーに限られていました。また、設定された数字目標も相当高く、現実的ではないと感じていました。また、目標達成に対するプレッシャーもきつく、ストレスを強く感じ、仕事への意欲を失っていたそうです。

 仕事の範囲は狭く、面白味に欠ける、ノルマも厳しく、いくら忙しく働いても目標達成は困難。このような状況では、自分の才能をのばすことはできないと感じるようになっていたそうです。そこで、転職を決意したとのことです。このときは、まだ20代ということもあり、あまり後先を考えていなかったそうです。とにかくこの現状から脱したいという気持ちが優先していたそうです。早速、人材会社に登録をしたところ、この会社を紹介され、面接を受けて入社することになりました。

 それから3年がたち、営業として、ビジネスを自らマネージできるまでになっています。また、昨年結婚し、今年夏には、最初の子供が生まれる予定です。

 そんなA氏に話を聞きました。

 「今までの会社と違い、ネットワーク全般にわたるビジネスに関われること、ブランド力もあり、今までのネットワーク・ビジネスについての経験を生かしながら、より広い範囲での仕事に携われること、そして、中間の販売会社ではなく、実際にシステムを使うお客様と直接関われる職場であることなどが、入社の決め手となりました。

 入社間もない頃は、何事も新しいことが多く、新鮮な驚きと勉強しなければならないことも多く、忙しくも楽しく仕事をしていました。ユーザーであるお客様に直接接することができることも、今までにない楽しみとなっていました。

 しかし、ここ最近、そういう驚きや楽しみも時間とともに薄れ、日常のルーチン・ワークに埋没する忙しい毎日を送っています。会社を辞めたいという決定的な理由があるわけではありません。ただ、ほんとうにこのままでいいのだろうかと、漫然とした不安を感じています。忙しいことそのものは、そんなに気にはなりません。しかし、不安があります。

 自分の今やっている仕事の価値への疑問、不完全燃焼とでもいうような、もやもやとした不満があります。自分の仕事についての責任は自覚しているつもりです。職責を全うすべく、必死で働いていることには自信があります。目標達成についても、厳しいながら、周りに比べれば、それ以上はやっています。でも、一方では、忙しさで、自分をごまかしていることも事実です。よけいなことを考えずに済ませるために、忙しさを装っている面があるということです。自分に対して、「そんなこと考えても意味ないだろう」と言い聞かせているのかもしれません。また、他人に自分の不安を悟らせることは、周りの士気にも関わります。忙しく見せることで、自分には迷いなど無く、必死で働いていることをアピールしているのかもしれません。

 最近、営業本部長が、「新しい提案を仕掛けなさい!」と言われる機会が増えました。APSでもそのようなことが求められます。しかし、日常の仕事をこなすことに精一杯で、なかなか、そんな心の余裕が生まれません。決して、時間がないわけではありません。その必要性も十分に承知しています。しかし、現実には、なかなかそれもできず、少し焦りもあります。また、仮に新しい提案を仕掛けても、それを受けられる体力がこの会社にあるのかどうかという不安もあります。

 今の体制では、新しい提案をしても、結局は実現できず、お客様の信頼を裏切ることになるのではないか?そのことに、会社はどう対応しようとしてくれるのか不安です。自分がやらないことへの言い訳のようにもなってしまうのですが、上司の求めていることと会社の向かう方向のちぐはぐさを感じています。

 そうかといって、会社を辞めれば、このような不安を解消し、自分の実力を発揮できるかというと、その確信もありません。転職は、確かに状況を変え、気分を変え、新たなチャンスを与えてくれることも事実です。しかし、この会社に転職した経験から、限られた期間の中で、転職先の会社のすべてが分かるわけではなく、自分の才能や経験が、本当に新しい職場で発揮できるという保証はどこにもありません。それよりも、状況がよく分かっているこの会社で、仕事をしているほうが、とりあえずは確実です。自ら「会社を変革する」というほどの意気込みも、力もありませんが、会社がそのような方向に向かおうというのであれば、自分もその中で頑張りたいという思いもあります。

 ただ、自分の今後のキャリアについては不安です。自分が将来この会社にとって、どういう役割を果たし、処遇されるのか、まだ先のことですが、不安です。言い換えるなら、会社自身の将来の姿が、はっきり見えてこないのです。漠然とした言い方ですが、この会社の将来に不安を感じています。

 このような状況の中で、残るべきか、それとも、思い切って転職すべきか、判断できずにいます。」

 A氏は、決して会社を感情的に批判しているわけではありません。むしろ、自分が迷っている状況をなんとか冷静に伝えようと整理し、その中で、今の会社の現状に言及しています。もし会社を辞める気であれば、もっと感情的な表現や批判があってもいいものですが、そのようなことはなく、本当に、今の状況に迷っているようです。

 A氏は、転職の期限を決めているわけではありません。ただ、元上司の手前もあり、結論を先延ばしすることはできないとも考えています。また、今自分が辞めてしまったならば、他の営業や上司に相当の負担を強いることになることも承知しています。また、このような曖昧な気持ちのままで辞めてしまえば、現実から逃避するための手段にも思え、自分で自分を納得させられないようにも感じています。
 
5.設問(コメントに答えて下さい)

(1)あなたは、A氏に期待しています。100点満点とは言えませんが、部下としては優秀であり、若手のリーダー的存在として、組織の中核で仲間を引っ張って欲しいと考えています。彼との間には、個人的な信頼関係もあると感じています。かれは、今回の転職を考えるきっかけについて、あなた個人に、なんら責任や理由はないとはっきり言っています。あなたは、彼になんとか残ってもらいたいと考えています。あなたは、このようなA氏にどのようなアドバイスや提案ができるでしょうか?また、マネージャーとして、なにができるでしょうか?
 
(2) A氏のような会社への不安や不満は、彼だけではないようです。もし、あなたが、経営者ならば、あなたは、どのような施策を打ち出し、どのような行動を行うでしょうか?

2008年11月17日月曜日

情報=インフォメーションとインテリジェンス

 先日、釧路の小学校の給食に出された「鹿肉丼」に猟銃の弾が入っていたとのニュースがあった。給食に「鹿肉丼」とは、豪勢なことと驚いたが、何と片手落ちで見識のない報道だろうかとも驚いた。

 フランス料理にジビエという料理がある。本来はハンターが捕獲した野生のものを料理したものを指す用語だが、供給が安定しないことや入手困難で高価になってしまうといったこともある。そこで、飼育してから一定期間野に放したり、また生きたまま捕獲して餌付けしたものも、ジビエとして流通している。今回給食に出たものも、野生のものを飼育した後、食肉加工したものだという。

 そもそも、ジビエに鉄砲の弾が入っているなど、何も珍しいことはない。レストランでジビエを注文すると「気をつけてください」と一言添えられる。そんなものである。

 最近、食の安全が問われている。そんな話題と絡めたかったのであろうが、どうもとんちんかんな気がする。記者の良識のなさもさることながら、そういった知識背景を語らず、まるで給食を提供した学校や食肉業者の不手際を攻めるような内容となっている。

 鹿肉を給食に出すアイデア。過剰な保護で増えすぎた鹿の頭数抑制と地産地消への取り組みと言う。こんなマスコミの不見識な報道で、この取り組みに水が差されないことを願うが、早速「豚の焼き肉」に変更というニュースが飛び込んできた。それ見たことかと思う。

  • こんにゃくゼリー(8件)よりも餅でのどを詰まらせる人(77件)がはるかに多いという事実を伝えていない。
  • マンナライフのみがマスコミに取り上げられ、しかも大臣までがこの会社の社長を呼びつけ写真や映像入りで報道、対策していないことへの対応を求めた。しかし、容器も変え注意書きなどが改善されていたことについての報道はほとんどない。
  • 事故が起きた8件の内、6件は他社製品であったという事実も伝えていない。
まさに意図された情報操作としか言いようがない。

 「ソリューション営業プロフェッショナル養成講座」でも紹介していることだが、日本語の「情報」という言葉を英語にすれば、インフォメーション(information)とインテリジェンス(intelligence)という単語になる。

 素材である“データ(data)”を規則に従って整理したものを“インフォメーション”という。そのインフォメーションを蓄積し、分析した結果に基づき価値評価を加えたものが“インテリジェンス”となる。両者は、まったく異なる意味を持っている。

 アメリカ陸軍の参謀マニュアルによると、「指揮官はインフォメーションをインテリジェンスへと転換させ、必要とされる適正なインテリジェンスを配下の部隊に伝え、それを活用させる責務を負っている。その際、恣意的なものを排除し、論理的かつ適切に行われていることを確認しなければならない」とされている。

 この「指揮官」を「部門長」に、「配下の部隊」を「部下」に読み替えてみれば、営業の現場でも通用する話だ。

 お客様の情報、部下の情報、それは、インフォメーションなのかインテリジェスなのか。それを見極めることができなければ、現場の指揮官である部門長としては、失格である。
 
 研修では、こんな話もする。「『事実と推測と期待』を分けて話してください。」と。自分の思いこみや願望は、ことの真実を曇らせることがある。人それぞれに求めているところが違う。その結果、インフォメーションとインテリジェンスの違いを斟酌することのないまま、「情報」として意志決定をしてしまうと、大きな失敗を犯しかねない。

 また、インテリジェンスを駆使することで、お客様の考えを変えさせ、自社に有利な意志決定を引き出すことは、営業の仕事でもある。

 先日、伊達公子が、12年のブランクを乗り越え、全日本選手権で16年ぶりの優勝を果たした。本当にすばらしいことだと思う。しかし、もうひとつの事実が報道されていない。破れた瀬間友里加のことである。若干21歳の彼女であるが、全日本選手権の決勝に勝ち残った日本のトップ・テニスプレーヤーだ。その彼女が負けたと言うことは、見方を変えれば、若手が育っていないと言うこと。そのことに触れた報道を未だ見ていない。

感動には、素人もプロもない/東京国際女子マラソン

 昨日[2009年11月16日(日)]は、東京国際女子マラソンの応援に出かけた。30回目を迎えるこの大会も今年が最後。来年からは、横浜に会場を移して新たなスタートを切る。

 この大会は、誰でも出られるわけではない。もちろん「女性」であることは当然として、過去2年の間でフルマラソンの公式大会で、3時間30分以内でゴールしていることが条件となる。そのため、参加者は1000名足らずの少数精鋭揃い。

 12時10分のスタートを見ようと国立競技場へ向かう。気温15度、小雨、湿度90%。ランナーには決して悪くないコンディションだが、応援にはちよっとつらい天気となった。

 高橋尚子、野口みずきが、過去好記録で優勝している大会である。今年は、渋井陽子に期待が集まっていたが、その期待通りの好調なスタートだった。
 友人達は、市民ランナーと言えども決して遅い連中ではない。中には、サブ3(3時間切り)を狙っている者もいる。しかし、オリンピックを狙うトップランナーと比べると、申し訳ないが「なんとゆっくりなんだろう」と思ってしまう。

 まあ、トップアスリートたちの戦いについては、私が言及するまでもないだろうから、友人達の話をする。

 マラソンの楽しみは、何かとよく聞かれるが、我々市民ランナーにとっては、やはり自己ベスト更新の醍醐味だろうと思う。
 誰と戦うわけではない。自分との戦いだ。そのために日々練習して身体をつくる。週末の山練習もこなし、気持ちも追い込んでゆく。しかし、その成果が本番に出せるという保証はない。その日の天候や体調、コースの状況など、レースの度に違ってくる。そんな厳しさのなかで、レース当日のコンディションをベストの状態にすることは、容易なことではない。「レース展開をどうするか」といった知力の戦いも死命を制す。彼女たちは、そんな準備を重ねて、この大会に臨んでいる。

 国立競技場を快調に周回する彼女たち、その勢いを保ちながら千駄ヶ谷門をどびだしていった。きっとやってくれるよな!と熱い思いがこみ上げてくる。
 
 私たちも早速会場を出て、北品川に向かう。ここは、往路16kmと復路26Kmの通過点となっている。

 往路16Km。完全独走で先頭を行く渋井を見送り、はるか遅れて友人達が通過する。精一杯の大声で「ガンバレー!」と声をかける。みんなまだ余裕の笑顔で応えてくれた。
 しかし、26Kmの戻りでは、そろそろ明暗が分かれてきた。快調に飛ばす者、汗を一杯かき、苦しさをこらえながら走る者。足を引きづりながらスピードが出せず苦しんでいる者。言葉では「ガンバレー!」としかか言えない。歯がゆい思いが残る。

 走り続ける彼女たちを見送り、再び国立競技場へ。既にトップグループはゴールした後だった。なんと独走を維持していた渋井が4位。あんなに遅れて走っていた尾崎が優勝とは、本当にレースは分からないものだと思った。それがまた楽しくもある。

 続々、ランナーが還ってくる。しかし、サブ3を狙う彼女がついに時間には現れなかった。残念。しかし、その悔しさを感じさせない笑顔のゴールに感動した。厳しい練習を重ねてきた彼女を知っているだけに嬉しかった。

 多くのランナーに混じり、友人達が周回コースに入ってくる。最後の一秒を縮めたい。その必至の思いでスパートする彼女は、ゴールした瞬間に倒れ込んでしまった。担架に乗せられるものの起きあがり、なんとか歩き出した。声をかけると涙を滲ませ、自己ベストを更新できなかった悔しさを語ってくれた。よく頑張ったと手が痛くなるまで拍手で応えた。熱い思いがこみ上げてくる。

 26Kmまでは快調に飛ばしていた別の彼女。競技場に入ってきた時には、まったく勢いが無くなっていた。しかし、ゴール直前に背筋を伸ばし、気力でゴールを切る。「お疲れ様」という声がのどに詰まる。

 悲喜こもごもである。自分が走るのとはまた違う感動があった。

 所詮素人の趣味に過ぎない。その通りかもしれない。しかし、感動には、素人もプロもない。人間の一生懸命は、本当にすばらしいと思う。

 改めて、自分もレースに出たいという思いを強くした。