2012年12月29日土曜日

「つまらない講義」の作り方

「既に知っている話で新鮮みがなく、あまり参考にはなりませんでした。」

先日の講義の後のアンケートにこのようなコメントが書かれていました。これはかなりショックでした。主催者側とは事前の打ち合わせも重ね、それではこの内容で参りましょう、と合意し作り込んだものが、受講者の期待を裏切ってしまう結果となったわけです。

なんと言っても受講者にとっては、貴重な時間を無駄にしたわけですから、「金返せ!」という気持ちでしょう。一方私としても、受講者のプロファイルや研修の趣旨を斟酌し、準備に手間をかけています。それが報われないことへの無念さもさることながら、講義の評価が今後の御依頼の判断材料にもなるわけで、ビジネス・チャンス喪失の危機でもあるのです。

この様な評価を頂く理由は様々ですが、基本的には講師側の責任です。受講者のレベルがどうのとか、研修の趣旨を受講者に徹底できない主催者の責任であるとか、自分以外のところに責任を帰することは容易ですし、気持ちも楽です。しかし、だからといって、一旦下された評価を覆すことはできません。

お金を頂き引き受けさせて頂いた以上、言い訳をしていては、次の仕事はありません。また、改善の余地もありません。

このような事態にならないためには、どうすればいいのでしょうか。自戒を込めて、講師という立場から、できることについて整理してみました。

このブログをご覧の皆様の中には、講師をされる機会をお持ちの方もいらっしゃるかと思います。そんな方々のご批判も期待しつつ、私なりの考えを紹介させて頂きます。

1.主催者ではなく受講者の立場で考える

研修やセミナーで講師の仕事は、その主催者から依頼されます。あるいは、主催者から依頼された研修会社などが仲介している場合もあります。どちらにしても、主催者と必ず直接面会し、会話をすることが最初です。

主催者は、講義や講演の趣旨について、説明をしてくれるわけですが、これが必ずしも受講者の立場や期待を反映しているという訳ではありません。

例えば、社内研修の場合、総務や人事の方が主催者となられている場合、受講者の現場と意識に隔たりがあることを覚悟すべきでしょう。そのような意識の隔たりを意識したならば、受講される方の部門責任者や受講予定者の代表者との面会をお願いすることにしています。

もちろん、総務や人事の方でもそのあたりを良く理解されている場合や、自分自身が現場経験を持たれている方も少なくありませんので、これは全てに当てはまるわけではありません。ただ、現場は日々刻々変化しています。ですから、主催者のお話をしっかりと伺い、それを仮説として、可能な限り受講者の現場に近い方と会話して検証することが理想だと思っています。

また、対外的なセミナーで講演をさせて頂く場合は、マーケティングや販促などのスタッフが主催者である場合があります。そういう場合も、その商品やサービスを販売されているお客様と会話している営業やパートナーの方と話をし、現場の感覚を身近で感じる機会を作るように努力しています。

主催者は、こちらを慮って、簡潔にわかりやすく整理して話をしようとしてくれます。それはありがたいことなのですが、それはその人の立場で解釈したフィルターがかかっています。実際に訊いていると、現場は全く違うところに問題意識を持っている場合があります。ここを理解し、感じ取り、そこに講義の焦点を合わせなければ、受講者を満足させることはできません。

常にこのような対応ができる訳ではありません。ただ、可能な限り、そのような機会を作って頂けるようにお願いをしています。もし、できない場合でも、私が経験的に感じ取った疑問や現場に確認して欲しいことなどを託すようにしています。

このようなことをして、実際に講義を受けられる皆さんのプロファイルを知り、目線に近づくことが大切だと思います。講義のテーマを考え、内容を作り込むときに最も大切な視点となるからです。

このような視点を持つことが、なぜ大切かと言えば、それは「相手の知りたいことを伝える」ことが、講義や講演の目的だからです。「自分の伝えたいことを伝えること」ではないからです。

「せっかく資料作ったので、とにかくそれを伝えたい」という独りよがりの講義は、講師としての自覚が足りません。講師は、受講者に喜んでもらえてこそ、お金を頂けるわけです。自分の知識をひけらかすだけなら、それはカラオケと同じであり、自分でお金を払うか、せめて無料でお引き受けすべきでしょう。

相手の知識のレベルを知り、相手の思考の動線を知り、相手が何を知りたいのかを知る。これらを知るためには、受講者に近づく以外方法はなのです。

2.美しい資料を作る

「内容さえしっかりとできていれば、資料の美しさは化粧であり、必ずしも追求する必要は無い。」

私はこの考えには反対です。徹底して美しさを追求する。それは、必ず内容を伴うからです。

そもそも「内容」とは何でしょうか。私は「物事の本質」であると思っています。講義や講演は限られた時間の中で完結させなくてはなりません。これは書籍とは大きく異なるところです。また、人間は同時に多くの情報を与えられると、どこが重要なのかを判断することができません。

よく見掛ける「ここに全部書いてあります」という資料は、講義や講演の資料では、最もレベルの低いものです。これでは、何が重要かの判断を受講者自身にゆだねているようなもので、講師の力量は何も発揮されていません。

あるいは、このような資料を使って、「ここが重要な点です」と語る人もいます。ならば、そこだけを描き出し、あとは参考資料にするということをなぜしないのでしょうか。これは、講師の手抜きです。

重要な点とは、「物事の本質」です。それが理解できているかいないかは、資料を見れば分かります。情報量が多く、整理されていないと感じる資料を使っている講師は、物事の本質が理解できていないのです。あるいは、理解していても、それを説明できる自分の言葉を持っていないというべきかもしれません。

自分では分かっている、その情報を使って様々な判断や仕事をこなしている。その分野で一流であっても、それを説明できないとなれば、それは講師としては失格です。講師の能力とは、その知識を使って仕事ができることの能力とは同じではないのです。

良くある話ですが、自分が知っていることは、他人も知っているという前提で話をする人がいます。あるいは、そういう前提知識を持たない人が悪いのであって、わからなければ分からないでしょうがない、と考えて話す人がいます。

確かに、そのような講義もあるわけで、この考えを一概に否定するつもりもありません。ただ、このような考えの持ち主は、往々にして前節で述べたように、「相手の知りたいことを伝える」という意識をもっておらず、「自分の知っていること、伝えたいことを伝えるだけ」になっていることがあります。そのような人の講義は、たとえ内容が網羅されていても、講義として高い評価をいだくことは難しいでしょう。

「美しい資料」とは、このページに込めるメッセージを絞り込み、何を伝えたいかをはっきりと意識して、それだけを描いた資料です。それぞれのページに込められたメッセージは、そのページで完結させることが理想です。一枚にたくさんのメッセージを詰め込もうとする一体そのページは何を伝えようとしているか訳が分からなくなります。例え、口頭で補っても、それは資料と一致しませんから受講者は混乱するだけです。

物事の本質を追究し、それをメッセージとする。それを修飾し、補完する最低限の情報を配置する。そのためには、図形の配置やフォント、色使い、全体のレイアウトなども大切な要素です。つまり、伝えたい中心となるメッセージを浮かび上がらせるように幾何学的、色彩学的に配置しなければなりません。

また、情報量が多く、引きつける美しさがなく、どこに目線を定めればいいのか分からないような幾何学的な構成を伴わない(簡単に言えば、ぐちゃぐちゃな)資料は、受講者の集中力を維持させることはできません。

細かいことを言えば、タイトルの形式や文字フォントが統一されていない、用意されているテンプレートをはみ出し、無視して内容が描かれている・・・など、表現に気配りのない「汚い」資料は、人を不快にさせます。

このようなことができるようになるには、それなりの経験を積む必要があります。ただ、学ぶ手立てはいくらでもあります。もっとも効果的な方法は、美しい、かっこいいと感じる他人の資料をまねることです。そのような資料は、ネットにいくらでもあります。そこから自分の感性に合うものを見つけては、まねしてみることです。それが最も手っ取り早い方法でしょう。

物事の本質を追求する。それをそのページのメッセージとする。それを浮かび上がらせる配置や構成を工夫する。資料は、自ずと「美しさ」を放つようになるはずです。

つまり、「美しい資料」とは、受講者に優しいのです。そこには、受講者への愛情があるのです。つまり、「汚い資料」は、受講者への愛情の欠如でもあるのです。自分たちに愛情を持たない講師から話を聞くことは、いやいや養子にされた継母から、説教を聞かされているようなものです。耐えるしかないのです。

3.講義をエンターテイメントにする

先日あるITベンダーの製品説明セミナーに出席しました。そこで、マーケティング部門の製品担当の女性が、製品の概要を説明してくれました。私は、そのひどさにあきれてしまいました。

何がひどかったかなんて、あげればキリがありません。まず、声が小さい、会場に目線を向けず演台の机の上をずっと見ている、抑揚がなく資料の棒読み、資料に書かれている以上の情報が無い、息継ぎのタイミングがおかしい・・・などなど、ほんとうに苦痛でした。

そのセミナーが有償であろうが無償であろうが、お客様に貴重な時間を使って頂いているということの自覚と責任感がないのです。

Presentationと言う言葉があります。pres præ=前にという接頭辞であり、presentとは現在という意味があります。また、en esse=be動詞のラテン語です。つまり、人々の「前に」「現在」「在る」から Presentation なのです。平たく言えば、「現在、そこにいることを示す」と解釈することができます。

残念ながら、彼女のPresentationに彼女の存在する意義は感じられませんでした。資料を見れば十分です。つまり、プレゼンテーションの目的を果たしていないのです。

プレゼンテーションも、講義も、これは双方向のエンターテイメントでなくてはなりません。もちろん、それは常に受講者と言葉を交わすという意味ではなく、相手の反応や様子を伺いながら、それにあわせて、話の内容やペース、声の強弱、質問やジョーク、話をする位置、沈黙・・・などを駆使する行為です。

例えば、うとうとしている人が居るとします。そういうときは、その人のそばに立って話をしてみるとか、その人の隣の人に質問します。

少し、難しい話をして、疲れたぁ、といった顔をしている人が多くなってくると、「疲れたでしょ、お気の毒さま」なんて、言ってみたりします。

また、質問を求めてもなかなか出てこない時は、「質問を聞けばその会社の実力が分かりますねぇ」などといい、「じゃあ、この会場で一番実力ある人って、どなたです?」などと会場に問いかけます。すると、特定の人に指先が集まります。そして、お名前を伺い、「じゃあ、吉田さん、あなたが会社の代表に選ばれましたので、会社の実力を証明してください」などといいます。すると、ええ・・・なんて顔をするのですが、案外まともな質問をしてくれるものです。

沈黙も時には必要です。例えば、こちらが調子よくしゃべっているとき、こちらもついつい周りを見失っていることがあります。そういうときは、必ずと言っていいほど、会場の集中力は低下しています。

あっ、いけないと気付くと、その流れを一旦壊さなくてはいけませんので、沈黙をはさむことがあります。すると、受講者は何事かとこちらを向き、一気に集中が戻ります。

特に強調したいメッセージを伝えるときは、その前後で声を小さくし、伝えたいメッセージを大きく、ゆっくりと語ります。そうすれば、何が重要であるかが、自然と相手に伝わります。

すこし、難しい話が続き、緊張感が張り詰めているとき、こんな質問でその空気を壊すことがあります。

「今どきスマホも持っていないなんて、銀座四丁目をスッポンポンで歩いているくらい恥ずかしいことですよ」と。そして、「ところで、この会場には、そんな人は居ないですよね・・・念のため、持っていない人、手を上げて頂けませんか?」なんて言ってみます。すると、何人か手を上げます。ワッと笑いが巻き起こります。

・・・などなど、あげればキリはありませんが、こういう双方向の関係を演出することこそ、講師の存在意義であり、受講者に時間の対価を頂くことへの責任であると思っています。

もちろん、このような行為は、前節で述べた内容があっての話です。それがなければ、講義の意味がありません。あくまで、これは演出であり、内容を理解して頂くための集中力の維持、心の抵抗の低減、共感の創出のための行為なのです。

「いい講義でした」とご評価頂くためには、内容と演出の相乗効果が必要です。内容だけであれば、だれがやっても一緒であれば、この世界でお金をもらうことはできません。

また、相手との対話を忘れなければ、「なんか違うぞ」という空気を感じ取ることもできます。その時には、講義の内容の力点を変えることや、時間配分を変える、あるいは、別の資料を使って別の話をする、などということも可能になります。

このような対話こそ、講演というパフォーマンスをエンターテイメントにするための基本と言えるでしょう。

「既に知っている話で新鮮みがなく、あまり参考にはなりませんでした。」という、冒頭のコメントは、現場を感じることを怠り、対話を怠った講師の責任です。また、作った資料も、こちらとしては、メッセージを絞ったものだと思っていたのですが、相手の知りたいことではなく、この程度で十分だろうという、自分の経験にあぐらをかいた独りよがりだったと言うべきでしょう。高慢なのです。


すみません、長い文章になってしまいました m(_ _)m 

正直に申し上げれば、こんなコメントを頂いたことは、私にはかなりショックでした。だから、あらためて原点に立ち返りたかった、というべきかもしれません。そんな私事にお付き合いさせてしまい、申し訳ありません。

いつも、ここに掲げたようにできているわけではありません。だからこそ、先の手厳しいコメントを頂戴したわけです。自戒を込めて、書かせて頂きました。

これを他山の石として、皆さんのお役に立てて頂ければと願っています。

それでは、皆様、良いお年をお迎えください。

■募集開始■ 第12期 ITソリューション塾 ■

「自社製品の知識はありますが、世の中の常識となると、うまく説明できません。」
このようなことで、お客様の信頼を手にすることはできません。
  • クラウドと仮想化の違いが説明できません
  • ERPは知ってるけれど、BPR,BPR,SOAとの関係は説明できません
  • HTML5とスマホやクラウドの関係は説明できません

世の中の常識に自社の製品はどう位置付けられるのでしょうか、あなたの提案は、世の中の常識からから見て妥当なのでしょうか・・・

プロとして自信を持つこと、そのための取り組みです。

2013年2月6日から4月17日までの全10回、毎週水曜日の夜に開催します。これまでも、多くのSIerやITベンダーの皆さんにご参加頂きました。また、ユーザー企業の情報システム部門からもご参加いただきました。

詳しくは、こちらをご覧ください。

なお、会場の制約上すぐに満席となりますので、もし未決定ながらご意向がある方は、こちらにお知らせください


参加者募集■ 2013年1月22日(火) 企業の変革をITで実現する大会議 ■

ユーザー企業の変革の流れを感じて、どう動くか? 

そんなことを本気で考えるIT企業の「イノベーター」たちのための大会議です。 

2012年7月5日。ユーザー企業、IT企業のビジネスパーソン 100名が集まって両者の接点である『IT』の活用を進めていくために、それぞれの立場でどのようにあるべきかを3時間議論し続けました。そして、参加者の心の中で課題が明確になりました。 

そして、2013年1月21日。ユーザー企業のCIO、情報システム部門、その他ITユーザー部門の方々が集まって、「ユーザー」としてどのようにイノベーションに取り組んでいくかを大会議を開催します。

---> ユーザー企業側の方はこちらからお申し込みください。

その議論した結果を受けて、翌日のこの1月22日にその変革の意識にITを提供する側として、どのような姿勢で向き合っていくかを大会議で議論しています。

IT企業の皆さん、是非ご参加ください m(_ _)m 

詳しくは、こちらをご覧ください。

■ Facebookページに、皆さんのご意見やご感想を頂ける場所を用意いたしました。よろしければ、お立ち寄りください。

2012年12月22日土曜日

「全ての道はクラウドに通ず」それは、SIビジネス衰退への道?

「全ての道はローマに通ず」という言葉があります。たとえ手段は違っても、物事が中心に向かって集中することのたとえとして使われる言葉です。

古代ローマ帝国が全盛を極めた時代、世界各地から帝国の首都ローマに通じる道が整備されたことを誇り語られたものと言われています。

そして、今、「全ての道はクラウドに通ず」と言っても過言ではないほどに、クラウド・コンピューティングはITを語る上で大きな存在となっています。

しかし、クラウドが米国のビジネス文化や価値観のもとで生まれたこと、つまり、クラウドという帝国の首都が米国にあることを、私達は理解しておかなくてはなりません。つまり、米国におけるクラウドの価値は、日本における価値と同じではないのです。

SIビジネスを考える上で、この違いは大きな意味を持っています。そして、この違いを踏まえ、クラウドをSIビジネスの武器としてゆくためには、どのようなシナリオを描けばいいのでしょうか。今日はこの点について整理することにします。

1.クラウドのもたらす生産性の向上はSIと利益相反の関係にある
日本では、調達や構成変更・運用管理における作業の多くがITベンダーに任され、その都度見積もりをとり発注するという手続きがとられています。そのため、ものの調達や作業の開始が、数週間、あるいは数ヶ月先になることもあります。
一方、クラウド・コンピューティングでは、「セルフ・サービス・ポータル」と言われる構成や設定を行うメニュー画面から行うことができます。つまり、システムの利用者自身が、この画面を介して設定するだけで、必要とするリソースを即座に調達することや構成の変更ができるのです。この仕組みによりエンジニアの生産性は著しく向上します。
エンジニアの生産性向上は、米国においては、ユーザーに直接的な価値をもたらします。それは、ITエンジニアの72%がユーザー側に属しているからです。
一方、日本においては、ITエンジニアの75%ITベンダー側に属しています。そのため、このような仕組みはITベンダーの生産性向上になります。しかし、これは、ビジネス的に見れば案件規模の縮小です。また、米国のように、お客様自身がリスクテイクするのではなく、ベンダーにリスクを負わせる構図が定着している我が国においては、ベンダーから見れば利益相反の関係となります(詳しくは、こちらの記事をご参照ください)
また、ユーザーも自身のリスク負わずベンダーに任せることが、これまでは当たり前でした。結果としてユーザーとベンダーは相互に利害が一致しています。このような意識が、我が国におけるクラウドの普及の足かせとなっているのではないでしょうか。
2.「オープン」とは「プロプライエタリ」へのレジスタンス活動
エンジニアの多くがユーザー企業側に籍を置く米国において、オーブン・ソース・ソフトウエア(OSS)のコミュニティには、ユーザー企業のエンジニアが積極的に関与し、ユーザーの立場から影響力を行使しています。
このような取り組みは、プロプライエタリに握られた主導権を、ユーザー自身の手に取り戻そうとするレジスタンス活動ということができるのです。
ベンダー・ロックインを嫌い、真にユーザーにとって必要な仕組みを構築する自由を手に入れる。それが「オープン」の旗印なのです。
OpenStackCloudStackなどのオープン・クラウド基盤に関わる活動もまた、vmwareMicrosoftなどのビッグ・ベンダーにクラウドの主導権を握られることへのレジスタンスとして生まれた活動なのです。このような動機付けは、結果としてオープン・クラウドの普及を促す強い原動力となっています。
このような考えが広く受け入れられている米国においては、プロプライエタリ側も「オープン」を無視することができません。そのため、vmwareが自身の対抗としてはじめられたOpenStackコミュニティのスポンサーとして参加していることや、Microsoftが新しいWindows Azure Platformにおいて、Hyper-Vをサポートし、Linuxへの対応などオープンに積極的にコミットしていることをアピールしているのは、このような背景があるからです。
3.日本的SIerという業務形態の特殊性
我が国においては、システムのインテグレーションの実務をSIerが担っています。しかし、米国ではユーザー自身がその役割を担っています。これは先に述べたエンジニアの人数比率の違いもあるのですが、CIOITのスペシャリストであることも大きな理由としてあげられます(詳しくは、こちらの記事をご参照ください)
我が国の場合、CIOの多くが財務や経理、総務などの役員と兼務であり、ITについての経験がなく、ITに関する知識やスキルが乏しいということは珍しいことではありません。そのため、ITの実務は配下の情報システム部門に任せています。つまり、ITのイニシアティブを経営のトップラインが掌握しておらず、戦略的な活用を育む環境が整っていないのです。
そのためシステムの構築を自ら主導する力が乏しく、クラウドに限ったことではありませんが、ITを戦略的につかうというメカニズムが、ユーザー主導では起こりにくい構図ができあがってしまっています。
一方、米国におけるCIOは専任のITスペシャリストであり、経営のトップラインとしてIT活用のリーダーシップを発揮します。経営のトップラインに居ることは、組織の人事やルールにも関与できる立場にあり、ITと経営を融合した戦略的な情報とシステム活用の陣頭指揮に立てる立場にあるのです。従って、先に説明したクラウドのユーザーにとってのメリットについても良く理解しており、これを積極的に活用していこうというモチベーションも高く、それを主導する権限も持っています。
米国において、クラウドが積極的に活用される背景には、このようなCIOのイニシアティブがあるのです。

米国発クラウドが、どのような背景のもとに生まれ、それが、日米において異なる価値に結びついていることが、おわかり頂けたのではないでしょうか。

では、我が国のSIビジネスにおいて、どのようにクラウドを活用してゆけばいいのでしょうか。これは、上記のようなビジネス文化の違いを、むしろチャンスとして積極的に活用するという発想が必要であるように思います。



フローのSIをストックのITOに拡げるビジネス基盤」と捉えて見てはどうかと、私は考えています。

ITO(IT Outsourcing)基盤としてクラウドを考えると、オンプレミスにはない高い柔軟性と生産性が期待できます。また、初期投資コスト(CapEx)を抑えることができます。さらに、従量課金を前提にすれは、運用・維持に関わるコスト(OpEx)ITOサービスの利用料金の中に変動費として組み込むことができます。

つまり、構築だけのSIから本番実行のための基盤と運用管理業務を一体化したサービス提供が容易になるのです。

従来であれば、このようなサービスは、資金余力のある大手SIerが自ら設備を持って提供する以外、方法はありませんでした。しかし、クラウドを使えば、システム資源を初期投資リスクなしに、しかも従量課金で外部から調達することが可能となり、中小のSIerでも十分にサービス提供が可能になるのです。

ITエンジニアの構図が日米で大きく異なっていること、その前提の上で生みだされたクラウド・コンピューティング。この違いを今更変えられるものでありません。しかし、この違いは、正しく理解すれば、クラウドはSIerにとってビジネスの強力な武器になり得るのです。

SIビジネスの「全てはクラウドに通ず」る』と考えれば、逆転のシナリオを描くことが可能になるかもしれません。

参加者募集■ 2013年1月22日(火) 企業の変革をITで実現する大会議 ■

ユーザー企業の変革の流れを感じて、どう動くか? 

そんなことを本気で考えるIT企業の「イノベーター」たちのための大会議です。 

2012年7月5日。ユーザー企業、IT企業のビジネスパーソン 100名が集まって両者の接点である『IT』の活用を進めていくために、それぞれの立場でどのようにあるべきかを3時間議論し続けました。そして、参加者の心の中で課題が明確になりました。 

そして、2013年1月21日。ユーザー企業のCIO、情報システム部門、その他ITユーザー部門の方々が集まって、「ユーザー」としてどのようにイノベーションに取り組んでいくかを大会議で議論した結果を受けて、翌日のこの1月22日にその変革の意識にITを提供する側として、どのような姿勢で向き合っていくかを大会議で議論しています。

IT企業の皆さん、是非ご参加ください m(_ _)m 

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2012年12月16日日曜日

お客様の3年後に責任を持つ仕事

「モバイルねぇ・・・確かに、やらなきゃいけないんですけどね、案件単価も小さいし、もうけも少ないし、なかなかできる人間もいなくてねぇ。検討はしてるんですけどね、もうちょっと世間の様子を見ながら、考えようと思ってるんですよ。」

ある中堅SIerの経営幹部からこんな話を伺いました。

「わかってないなぁ (0)」、のどから出かかった言葉を呑み込まざるを得ませんでした。

今を何とかしなければならない経営者にとっては、直ちに収益を期待ができないモバイルにリソースを傾けることに不安があることは理解できます。しかし、確実にマーケットが変わろうとしている現実を直視せず、これまでの常識の延長線上にビジネスが存在するという思い込み、いや、思考停止は、むしろ大きなリスクであることを理解すべきです。

「まあ、具体的な案件があれば、うちも動くんですけどね。あんまりそういう話しもないしねぇ。」

ますますもって、この方の非常識に、いらいらしてきてしまいました。

そんなことは当たり前の話しです。「モバイルだったら、うちも真剣に取り組んでいるんです。例えば・・・」と言わない事業者に、お客様が相談するはずもありません。

黙っていても、お客様から仕事を頂ける時代が終わりを告げている今になっても、「獲りに行く」遺伝子がいっこうに育っていないところに、残念ながら未来はありません。



このサイトに掲載されているチャートを見ると、既にスマートフォンやタブレットの出荷台数がPCを上回っていることや、2015年には、インターネット・アクセスの85%がモバイルになることが示されています。

※ このサイトは Agil Cat - in the Cloud さんにご紹介頂きました。

先日、公表されたIDCのレポート「2013 国内IT市場の主要10項目」には、次のような記載がありました。

2013年はマラソンに例えれば、先頭集団がペースを上げ、脱落するランナーが出始める時期にあたる。第3のプラットフォーム(小職註: モバイル・プラットフォームのこと)は、すでに市場を支配し始めている。ITベンダーは既存ビジネスとの競合があるとしても、第3のプラットフォームへの事業シフトを実行に移す必要がある」

確かに、モバイルは案件単価も小さく、それだけを見れば儲からないかもしれません。しかし、マーケットがこの方向に動き始めている以上、どう対処するかを真剣に考え施策を打つべきは論を待たないでしょう。モバイルという入り口を獲らなければ、バックエンドの開発や運用など、稼げるところも獲れないと言うことをなぜ考えないのでしょうか。

ITビジネスは、お客様の3年後に対して責任を持つ仕事です。モバイルに限らず、ITの3年後がどうなるかを説明できないSIerに、お客様は期待しません。

ITビジネスに限った話ではありませんが、これからの事業戦略を考える上で注目すべきは現在の市場規模そのものではなく、その加速度、すなわち成長率であり、トレンドメーカーたちの製品発表やM&Aなどの未来を先取りする様々な動きの活発さです。

この視点から見れば、モバイルやビッグデータ、SNSSDNなどの市場は、市場規模こそまだまだですが、その加速度には目を見張るものがあります。そういうところで、いち早く存在感を示し、将来の市場の成長に備えることが、変化と競争の激しい業界の中で、生き残ってゆく術であることは言うまでもありません。

「そうはいいますが、簡単なことではないですよ」、そんな声も聞こえてきそうです。特に中堅中小の企業には人的、資金的な余裕がありません。その通りだと思います。だからこそ、経営者はトレンドを知り、自分たちの立ち位置を考え、最もふさわしい決断をしなければならないのです。その経営者が、トレンドを学ぶことを怠り、これまでの成功体験がそのまま使えると思考停止に陥っている。これでは、部下がかわいそうです。

人売りビジネスが「じり貧」であることは、既に体感されている方も多いはずです。例え人数的需要は維持できても利益の確保はますます難しなるでしょう。だからこそ、トレンドを見据えた方向に向かわなくてはなりません。そして、その時間的余裕は、あまりないということを肝に銘じておくべきでしょう。

IDCのレポートに限らず、年末年始にかけて、来年を予測するレポートが、これからいろいろとでてくるでしょう。しかし、それらを見るまでもなく、大きな流れは見えているのです。

ドラッカーが、次のような言葉を残しています。

「既に起こり、後戻りのないことであって、10年後、20年後に影響をもたらすことについて知ることには重大な意味がある。しかも、そのような、すでに起こった未来を明らかにし、備えることは可能である(ドラッカー「経営論」)。」

「すでに起こった未来」を知り、それに対処することが、経営者の役割であると彼は語っています。

そのためには、まず「すでに起こった未来へ」の流れ、つまりトレンドを知ることに関心を持たなくてはなりません。トレンドとは、「時流」であり、未来への道筋を示してくれる流れです。

そして、自分たちの立ち位置を定めることです。得意不得意、これまでの経験、そんな中で、自分たちの果たすべき役割について、考えることです。

そして、「すでに起こった未来」に向かう流れに自らをゆだね、その船頭として舵を取ることこそが、経営者の役割ではないでしょうか。そして、その流れにお客様を乗せることこそ、営業という仕事の大切な役割なのだと思います

流れに乗ることを怠り、「すでに起こった未来」とは、別のところに行き着いていたと気付いても、それは後の祭りです。

今の時代の変化は、これまでの常識の延長線上だけでは、理解できないことなのかもしれません。だからこそ、お客様も迷っています。そこに道を示し、お客様を導いてゆくという役割を担うことが、自らの存在感を示す方策なのだと思います。

お客様の3年後に責任を持つ。それは、とりもなおさず、自分たちの3年後に責任を持つことでもあるのです。

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2012年12月8日土曜日

どうすればコモディティを武器にできるか

「御社の新しいデータセンターは、首都圏近郊では最もハイスペックです。しかし、ここからわずか数キロ離れたところにも同様にハイスペックなデータセンターがあります。この両者の違いと、なぜ御社のデータセンターが優れているかをご説明いだけるでしょうか?」

先日、あるITソリューション・ベンダーでの講演でこんな問いかけをしてみました。しかし、明確な回答を頂くことはできませんでした。

PCサーバーの違いを説明することはもっと難しいかもしれません。
HPIBMDELNECと・・・どこが違うのでしょうか。プロセッサーはどこもIntelOSWindows、データベースはOracle・・・、違いを出そうと各社努力はしているものの、ユーザーからみれば甲乙つけがたく、「どれを買っても同じ」という状況です。

クラウド・サービスもIaaSについては、数年前までは、まだまだ進化の途上にありました。そのため、特徴や機能の違いは明確でした。しかし、今となっては、その違いは曖昧なものとなりつつあります。

これは、決して技術的に退化したわけではありません。それぞれが切磋琢磨し、高い完成度を目指した結果、技術的に飽和してきたこと、そして、普及が進むことで規格化がすすみ、どれも個性を失い、差別化できない状況になってきたのです。

例えて言えば、粟・稗などの「雑穀」と「白米」の違いから、どれも美味しい白米となり、「コシヒカリ」か「あきたこまち」程度の違いへと変わってきたのです。

しかし、その一方で、PCサーバーやクラウドの存在感は高まり、ビジネスや生活において無くてはならない存在となりました。

どれを買っても同じ、しかし、無くてはならない存在。これが、「コモディティ(Commodity)」です。

「コモディティをどう売るか」。ここにITソリューション・ベンダーの大きな課題があります。




まず、前提として、コモディティを使いこなす高い技術力が必要です。テクノロジーを理解し、そのトレンドを見極め、最適なものを選択できる目利き力や構築力が求められます。この技術力を基盤とすれば、3つの戦略を考えることができます。

まず、最初は、「コモディティ・イニシアティブ戦略」です。
コスト・パフォーマンスを徹底追求して、コモディティにおける競合優位を確保する戦略です。これは相当に覚悟のいる戦略かもしれません。それでも、この戦略に成功すれば、例えばAmazonのように、大きな市場を確保し、自らをデファクト・スタンダードとすることが可能になります。

次は、「コモディティ・ソリューション戦略」です。
お客様の業務や経営の視点からお客様に最適化されたコモディティの利活用を提案し、それを利用してアプリケーション・システムやIT基盤を高いコスト・パフォーマンスで構築することで競合優位を確保する戦略です。 
例えば、AmazonGoogleを基盤として利用し、お客様に個別最適化されたアプリケーション・システムを構築します。場合によっては、その運用まで含めて受託するアプローチです。もし、自社で提供するクラウド・サービスやマネージドサービスなどのITO基盤があれば、そのITO基盤そのものを売るのではなく、お客様の個別の経営目標の達成や課題解決の方法を提案し、結果としてITO基盤が売れるというシナリオを描くことです。 
コモディティ化したものは、それ自身で明確な競争優位を見出すことは困難です。ですから、上流からアプローチして、結果としてコモディティを売るというシナリオを描くしかありません。ただしこれには、お客様の業務や経営、あるいは、システム全体の企画や戦略を描ける能力が必要となるでしょう。

最後は、「コモディティ・サービス戦略」です。
コモディティを積極的に活用し、蓄積した業務ノウハウやシステム・ノウハウを先鋭化して、魅力的なサービスを自ら提供することで競合優位を確保する戦略です。 
例えば、ERPの業務ノウハウを駆使し、AmazonIaaSであるEC2上にERP SaaSを構築、これを自社のサービスとして提供するアプローチです。 
IT基盤は従量課金で手に入りますので初期投資リスクを抑えることがてきます。業務ノウハウが十分にあれば、そこで差別化することができるはずです。また、グローバルに標準化された基盤であれば、これまでの国内をお客様とするだけではなく、広く世界にお客様を拡大することが可能となるでしょう。飽和した国内市場に頼るだけではなく、グローバル・ビジネスを展開する術を手に入れることもできるわけです。

コモディティ化の流れを避けることはできはません。たとえ今はコモディティではなくても、それが「無くてはならない存在」となれば、いずれはコモディティ化します。

コモディティは、必要があるからこそ存在します。つまり、市場は確実にそこに存在するのです。問題は、その中で自らの立ち位置を明確にすることです。

コモディティ同士をぶつけ合い、価格競争を強いられる状況から脱却するには、コモディティをどのようにすれば武器にできるかを考えなくてはなりません。ここに掲げた3つの戦略は、そんなシナリオを考える切り口とならないでしょうか?


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2012年12月1日土曜日

クラウドの都市伝説に思考停止している残念な人々

「クラウドでビジネスを再発明する」

米Amazon Web Service(AWS)が、先日ラスベガスで開催したカンファレンス「AWS re:Invent」のタイトルには、このような思いが込められているそうです。クラウドは、まさにビジネスの新たな道筋を生みだしつつあります。

クラウドの当たり前が、わずか一、二年の間に大きく変わっています。それにもかかわらず、この変化に目を向けることなく、旧態依然としたビジネス・スタイルを踏襲している企業は少なくありません。

それは、決して、売る側だけではなく、ユーザー企業もまた、これまでのやり方の延長線上で物事を解釈しようとしていることにおいては、何も変わりはないように思います。

  • クラウドは信頼性が低いから
  • セキュリティが保証されないから
  • 運用管理が不透明で安心できないから

クラウドについて、こんな都市伝説が、未だまことしやかに語られています。そんな話を聞くと、勉強不足、新しいリスクを背負い込むことへの忌避、そして、これまで蓄積してきたスキルが使えなくなることへの不安であり、言い訳と聞こえてしまうのは、私の耳が遠くなったせいなのでしょうか。



以前にも紹介したクラウド・サービスのベンチマーク・サイト「Cloud Harmony / Availability Report for Last 90 Days」を見ると、主要なクラウド・サービスの多くが、uptime(最後にコンピューターが起動してからの経過時間) 100%を維持しています。

このベンチマーク・リストの上位には、我が国のクラウド・サービスも多数含まれています。また、大手SIerである新日鉄住金ソリューションズのクラウド・サービスであるabsonneのように、「99.999%保証する」としているサービスもあり、「クラウドの信頼性は低い」とは、もはや言い切れないでしょう。

また、Googleには、セキュリティ担当の専任技術者が300人いるそうです。それに比べて、我が国のユーザー企業の情報システム部門にセキュリティ専任のエンジニアは何人いるでしょうか。他の業務との兼任であり、専門的なことは、外部に任せているところも多いのではないでしょうか。

米国連邦政府のクラウド・ファースト・ポリシーやAWSが「金融機関等コンピュータシステムの安全対策基準」を満たしているとのレポートなどは、その裏付けとなるものです。

運用管理については、そもそも常識が違うことを念頭に置いて考えなくてはなりません。従来のように、専任の運用エンジニアを配置し、個々のアプリケーション毎に運用設計し、個別に運用管理するという常識は、クラウドにはありません。



あらかじめ用意された運用メニューから、運用パターンを選び、条件設定する。つまり、リソースとセットでパッケージングされた運用を調達するという考え方です。

運用はそれ自体パッケージングされた部品であり、機能の作り込みと品質保証がなされています。これを組み合わせて、運用を自ら組み立てるという発想が求められます。これは、運用管理をエンジニアの個人的なノウハウ、つまり暗黙知に頼るのではなく、高度に工業化された部品を組み合わせて利用することに相当します。従って、用意された運用内容や、サービス毎の運用思想を正しく理解しなければ、使いこなせません。その一方で、だれもが品質保証され、標準化された運用管理サービスを利用できることにもなるのです。

確かに、上記の要件を満たさないサービスもあることは確かです。だからこそ、それを見極める情報収集力と目利き力が必要になるのです。

「クラウド・サービスはエンタープライズ・プラットフォームとしての要件を満たしつつある」ことは、もはや常識です。

この現実に目を背けることなく、その得意不得意を見極め、最大限に活用することこそ、TCOの削減やITの戦略的活用を促すことになるのです。

ところで、SI事業者は、この現実をどのように受け止め、対処してゆけばいいのでしょうか。その戦略は、大手と中堅中小とは、異なると考えています。



大手は、自ら戦略的な取捨選択を行い、ミッション・クリティカルなSI案件と絡めつつ、その受け皿となるクラウド・サービスを提供する戦略で手堅く地歩を固めるか、Amazonに対抗する徹底したコモディティ戦略を推進するか、そのいずれかの選択ではないでしょうか。中途半端なSaaSや曖昧なポジショニングは、自らの存在感を放棄することに他なりません。

中堅中小は、コモディティ化されたクラウド・サービスを最大限に利用し、これまで大手しかできなかった大規模インフラを前提とした開発や、本番実行環境のITO(IT Outsourcing)を受託するストック・ビジネスへのシナリオが描けるように思います。

これまで積み上げてきた現場や業務のノウハウを特定の領域に特化しSaaSビジネスを展開することも可能です。従来のように自ら資産を持つ必要はなく、拡大も撤退も容易です。そのためには、改めて自分たちの強みを再定義し、その価値をどのようにサービス化するかを考えることが必要です。そして、ユーザー企業にダイレクトにアプローチすることを考えるべきでしょう。これまで同様に、大手SIerの配下で受託、派遣に甘んじ、自らのリスクを回避しづける限り、この先はないと思います。

時代が大きくシフトしていることに、私達は真摯に目を向けなくてはなりません。例えそれが、既存の収益基盤を脅かすものであっても、それが時代の流れであれば、対応しなければなりません。ただ、現実に目を向ければ、「ああ、大変だ。どうしよう・・・」で思考停止に陥っている人たちが実に多いことを残念に思います。

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