2008年9月17日水曜日

紐で吊されたCD 日本の美意識を見た

 今朝、総武線を四ッ谷駅で降りてエスカレーターを上ってゆくと、渡り廊下の梁から紐(ひも)で吊されたCDが目に飛び込んできた。しかも、その紐は引越で使うようなナイロン製で、ほこりにまみれて薄汚れている。鳩避けだろうとは思うが、なんとわびしく、汚らしい光景だろうか。

 皇居・半蔵門から続く広々とした新宿通り、上智大学や聖イグナチオ教会も目の前にあり、外国人の乗降者も多い。駅員の判断なのか、JRの方針なのか、私には分からないが、こんな汚い物をぶら下げたままで恥ずかし気もなく平気でいられる無神経さに、怒りを越えてあきれてしまう。

 いつの頃からかは分からないが、ペットボトルに水を入れて玄関や塀の前に並べている光景を目にするようになった。これも耐え難い。目的はともかく、なぜ自分の家をわざわざ貧相に飾らなければならないのだろうか。

 無節操な道沿いの看板、過剰な道路標識、マンションからはためく洗濯物・・・この国には、まっとうな美意識がないのだろうか。自分の理にかなうなら、他人の不愉快はどうでもいい。そんな、悪しき常識が今の日本にはあるようだ。

 10年ほど前のこと。仕事で中国・深センの機械工場を訪問したことがある。「ライン内で食事をするな」「つばを吐くな」「ゴミはゴミ箱に捨てろ」・・・当たり前のような標語が、工場内の壁のあちこちにペンキで殴り書きされていた。同行してくれた日本人によると「当たり前のことを守らないから、どんどん標語が増えてゆくんですよ。」とあきらめ顔で話していた。

 今の日本でこのような光景を見ることはないが、日本人の美意識が廃れつつある現実を目の当たりにすると、似たような標語が巷にあふれるのではないかと空恐ろしくなる。 
 以前ブログで紹介したが、海水浴場にゴミやビニールシートを見事にそのまま残していった若者達。決してあり得ない心配ではないだろう。

 当たり前のことと思っていること、マナーの範疇と考えていたことが通用しなくなると、それは罰則のついた規則や法律になる。そんなことになる前に何とかできないものだろうか。

「美しい国 日本」。なんとも抽象的なメッセージを掲げたものだ。意地悪に解釈すれば、日本は、美しくない国だからなんとかしなければならないと考えてのことだったのか・・・あっという間に消えてしまったので、何の効果もなかったことは確かだろう。

 CDをぶら下げた鳥避け、これに効果がないことは常識となっている。たぶん、水を入れたペットボトルも同じようなことだろう。それでもゴミをぶら下げ、ゴミで玄関を飾っている。看板や過剰な道路標識もなくなる見込みはない。

 多少なりとも心のある人にとって見れば、無言の暴力だ。嘆かわしいことだと思いませんか?

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

今回はなんだか、Hさんみたいな内容ですねえ。でも全く同感です。美意識の欠如した社会ってのは、貧しいですねえ...