2008年8月5日火曜日

走り始めたきっかけ

 この3週間、毎週休日に埼玉県・奥武蔵の林道を走っています。うち2回は、アップダウンを繰り返す45Kmを5時間くらいかけて走りました。暑い市街地を走るのがいやだということ、なんとか夏の間に体重を絞り、スタミナをつけて秋のレース・シーズンに備えたいというのが理由です。考えてみれば、こんなにもよく走れるようになったものだと自分でも驚いています。

 走り始めたきっかけは、極めて不健全なものです。我がパートナーが、「デブは嫌い」と言ったのがきっかけ。当時、身長168cmの私は、体重:77Kg、体脂肪率:31%もありました。自他共に認めるデブでした。

 最初は嫌々です。とにかく、彼女の手前、着替えて走り出しますが、数百メートル走っては休み、またちょっと走っては休みの繰り返し。あとは、走った振りをするためにダラダラと当たりで時間つぶして、家へ帰るというランニングです。とにかく、走ることがいやでいやでしかたがありませんでした。

 そんなある日のことです。「足柄峠の練習会、申し込んでおいたわよ!」・・・なんですかそれ?実は、彼女は、マラソン・コーチの岩本さんにランニングのプライベート・レッスンを受けていたのですが、彼が主宰するMY☆STARというランニングチームの練習会に参加しようというもの。聞くと、神奈川県の山北から足柄峠までの登り片道13Kmを駆け上り、同じ道をおりて来るという地獄の特訓です。当然ながら拒否。足が痛い、ちょっと風邪気味、ここのところ仕事が忙しく寝不足気味・・・しかし、「そ~、行かないのね(毅然)!」と言われると、軟弱にも「まあ、いいけど」。

 ついにその日が来ました。忘れもしません、2007年2月26日。新宿に集まったおよそ50人がバスに乗って目的地へ。それは、もう地獄でした。それまでの私の最長不倒ランニング距離は、だらだら走りでせいぜい3Kmです。それが一気に26Km、しかも最大斜度15%の坂道を登って下るという練習です。

 本当につらかった!このまま走りと切れるだろうかという不安と経験したことのない消耗感。当然ダントツの最終ランナーです。およそ4時間。よく耐え抜いたと思います。

 しかし、それがまさにきっかけでした。初心者の女性達にも追いつかず最終ランナーという屈辱。一方でおそいながらも26Km走った(否、歩いた)という事実は、ちょっと自信になりました。ただ、その日からしばらくは、かつて経験のない激しい筋肉痛に苦しんだことも忘れられない出来事です。

 「なんとか、走れるようになりたい。」気持ちに火がつきました。自分の意志で走り始めたのはそれがきっかけでした。まじめに走り始めると、いろいろなところに不具合が出るものです。膝やくるぶしの痛み、筋肉痛の連続です。しばらくは足を引きずる毎日が続きました。スポーツ鍼灸師のアドバイスで、筋肉を付けることだと教えられ我慢の日々です。また、岩本コーチの正しい走り方のアドバイスのおかげで、そんな状態にもかかわらず無理せず走り続けることができました。

 走りはじめて1年。体重は激減し77Kgが65Kg、体脂肪は、31%が16%まで落ちました。あの4時間かかった足柄峠も2時間15分以内で走れるようになりました。今ではそれだけ走っても筋肉痛はほとんどありません。フルマラソンにもチャレンジしました。そして、ちょうど1年後のレースで3時間24分3秒。現段階での自己ベストです。

 だんだん走れるようになるとついつい欲が出てしまいます。もうこの年ですから高望みはしませんが、少しずつでも自己ベストを更新したいという気持ちは、練習をする上で大きな励みになっています。

 しばらくは、フルマラソンのタイム更新が目標です。さて、どこまで追い込めるか・・・自分に課した目標をクリアする。楽しい趣味の世界を手に入れたものだと思っています。

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