2008年10月15日水曜日

怒りには理由がある

 「あたまにくる」「冗談じゃないよ」「ゆるせない」「なにやってんだよ」「いいかげんにしろ」・・・私が、このような言葉を口にすることはまずない。そう思うこともあまりない。自分は感性が欠如しているのだろうかと考えてしまうこともあるが・・・しかし、できないものはできない。

 このような表現を感情豊かに平気で言える人を時にうらやましいと思うことがある。これもまたひとつの才能なのかなあとうらやましく思うこともある。

 怒りには、その人なりの理由がある。受け取る側が相手に合わせて、感情的に捉えてしまうと、相手の思いの本質が見えてこない。

 怒りの言葉には「絶対にその考えを変えるつもりはないぞ!」というような確信とでもいうか、信念とでも云うか、ものすごいエネルギーが、渦巻いている。このエネルギーの一部が「口」という小さな窓を通して、ちらりと見えただけである。氷山の頂上が見えているだけであって、その下には大きなエネルギーの塊が隠れていることを覚悟しなければならない。

 怒りに「論理的」に対抗しようとしても所詮勝ち目はない。論理とは言葉を整理するための手段であり、そのエネルギーに対抗できるものではない。多少なりとも、力のかけどころを分散する効果はあっても、「エネルギー不変の法則」を変えることはできない。

 では、こちらも「感情的な表現」を使って対抗すればいいのかというと、それも簡単なことではない。どうも怒りのエネルギーというのは、ぶつかり合うことで相殺されることはないようだ。原子核に中性子を打ち込むようなモノで、怒りに怒りのエネルギーをぶつけると核反応でもするかのように、さらにエネルギーの量が拡大し、世界の終末まで戦うぞと云うことになりかねない。

 私も怒りを感じないわけでもないのだが、それを言葉にすることにとても抵抗を感じる。そんな気持ちがあるので、ますます怒りを自分の中に封じ込めているのかもしれない。だから、相手が怒りを顕わにしているときも、努めて冷静に相手の言葉の裏側にある論理を読み取ろうとするのだが、相手にしてみれば、自分の気持ちが通じていないと見えるのだろう、「君はどう考えているんだ」などと突然振られることがよくある。

 怒りの言葉は、時にして論理的一貫性を欠く。というよりも、基本的なところの論理は一貫しているのだが、表現がワープするというか、煮詰まった表現の断片が、時間軸を無視して打ち出されることが多く、簡単には相手の論理をこちらで再構成できない。「何怒っているのだろう?」と直ぐには分からないこともしばしばだ。

 しかし、問われた以上は、自分の考えを伝えなくてはならない。だが相手の論理がまだ読み切れていない。自ずと的はずれなことも多く、結果として相手の怒りに油を注ぐことになる。

 営業という仕事をしていると、お客様の「怒り」に遭遇することはしばしばだ。さて、どう対処すればいいのだろうか。簡単なことではないが、次の3つの手順に従ってみるというのは如何だろう。

1.相手の気が済むまで、徹底的に話を聞く
 まずは、これしかないだろう。怒りの感情を持続させるには、相当のエネルギーを消費する。永遠に燃え続けることなどできない。時に耐え難い屈辱的な言葉を浴びせられることもある。それでも、なるほどと耳を傾ける。

 決して聞き流すのではなく、打ち出される言葉の断片の裏側にある、論理や法則を再構成すべく、脳みそを全開にする。
 「また、なんか怒ってるよ」と馬耳東風で聞き流していると時間はものすごくゆっくりと流れる。そんな応対をしていると自分が「無駄な時間を過ごしている」ことに怒りを感じてしまう。それを相手にぶつようものなら核爆発を起こしかねない。

 一方、相手の論理を理解しようとすると、知的好奇心が刺激されて、推理小説の謎を解くような興奮がわき上がってくる。そうこうしているうちに、「ユーレカ!」である。相手の怒りが大きければ大きいほど、こちらの喜びも大きい。気がつけば、あっという間に時間が過ぎている。

 相手に対する感謝の気持ちさえわき上がってくる。仲間になれたとでも云うか、相手の側に立てたことは営業として何よりの成果だ。

 「分かりました!こういうことだったんですね。あなたを理解することができました。ありがとうございます。」そんな言葉が自然と口をついて出てくれば、なんと幸せなことだろう。

2.相手と一緒に怒る
 相手の論理が読めたなら、それを受け入れることができる。なるほど頭にくる。おっしゃるとおりですと思えるのなら、その感性に素直に従い、相手に伝えることだ。怒っている相手が例え自分であったとしても、悪いものは悪いと思えるのなら、そう云えばいい。

 もし、その論理に問題があるとすれば、素直にあなたの考えを伝えてみるといいだろう。但し、冷静に、客観的に言葉を選びながら、通常の1.5倍時間をかけて、ゆっくりと話すことを心掛けよう。

3.時間を味方に付ける
 それでも、相手の怒りが収まらないのなら、あとは時間を仲間に引き入れるしかないだろう。なるほどなるほどとうなずき、相手への理解を示す。
 
 もうこれ以上言葉がない、あるいは、相手が精根尽き果てるまで、相手の怒りの言葉を聞き続ける。それしかない。

 このような状況においては、相手は圧倒的に不利である。なぜなら、単位時間当たりのエネルギー消費量は、相手がはるかに多いはずだ。こちらは余裕を持って、悠然と構えることができる。そして、ひたすら、相手の言葉の裏側にある状況を分析する。
 相手の立場、今置かれている状況、例えば、会社での軋轢、なぜ怒っているのか、その理由はどこにあるのか。もし、彼が何らかの要求をしているのなら、その要求が通らないとき、彼はどのような立場に置かれるのか、家族の目、会社での評価・・・いろいろと想像してみる。これはなかなか興味深い。こういうときこそ、普段見ることのできない心の内面を覗くことができる。お客様の立場に立つ、お客様を深く理解する絶好の機会だ。

 気がつけば、相当な時間が過ぎている。腹もすくし、他の仕事もしなければならない。一時の興奮状態は多少なりとも収まり、冷静さ、論的思考力が蘇る。この時を待って、あなたの考えを静かに、時間をかけて伝える。そして、次のステップを探るのが賢明だろう。

 「怒りには理由がある」。ただ理由もなく怒っているのではない。例えその理由があなたにとって直ぐには理解し得ないモノであっても必ず理由がある。怒りを恐怖や威圧として受け取るのではなく、なぜ?の気持ちで想像を巡らし、相手について考えてみる。

 「なんと、理不尽な!」「なんと自分勝手な!」「こちらのことなど何も考えていない。」などと先入観を持たないことだ。相手をより深く理解するきっかけを逸することになる。

 となればいいのだが・・・こんな冷静でいられるばずはない。

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