ベルリンの中心部、あのシロクマ「クヌート」のいるベルリン動物園のすぐそばにある"Hotel am Zoo"に宿を取りました。1920年代に立てられた古い建物ですが、現代アートで仕立てられた内装は、とても洒落た雰囲気です。
堅牢な造りは、90年近い時代を経てもしっかりと仕事をしています。古いものを大切にし、それを新しい時代に合わせて活かし続ける。そんなドイツの国民性を感じさせてくれます。
滞在期間中の朝食は、毎日ホテルのレストラン。普段は、コンビニのおにぎり程度で軽くすましている朝食もこの期間だけはフルコースでした。
小さなレストランですが、テーブルには白いクロスがかけられ、落ち着いた雰囲気。食事の会話もみんな静かで、どこやらの温泉宿の朝食ビュッフェのような喧噪もありません。とてもゆったりと落ち着いた時間を過ごすことができました。
レストランの中央部に置かれたテーブルには、何種類ものハムやパン、チーズが並べられています。どれも化学物質無添加のフレッシュなもので、美味しいものばかりです。レース前だというのについつい食べ過ぎてしまいました。
パンはどれもずっしりとしたもの。「XXXソフト」というような、ふんわり系は一切ありません。噛むほどに味が出る。しかし、噛んでも噛んでもなかなか飲み込めないほどに密度の濃いものばかりです。パートナー女史は、「マラソンの筋肉痛はないけれど、あごが筋肉痛」と嘆くほどです。
特に酸味のある黒パンは、ずっしりと鉛のように重い(笑)。それにレバーゲーゼ(レバーペースト)を付けて頂く。これはもう絶品でした。
そんな朝食につい時間を忘れてしまいます。パンを何度もしっかりと噛んで食べる。噛むという時間がどうしても必要です。口に入れてふわっと溶けて直ぐのみ込めるような日本パンとはまったく違います。そんな時間が当たり前のように存在する。子供の頃から、そして、長い歴史の中でそんな時間がずっと流れている。それがドイツの時間のようです。
レースの翌日、レンタカーを借りてドレスデンへ向かいました。行ってみたかった街のひとつです。第二次世界大戦中、連合軍の無差別爆撃にあい、街の80%が消失したといわれています。サグクセン王国の古都で、日本で云えば、京都や奈良のようなところ。バロック時代の豪華で荘厳な建物が建ち並ぶところでした。軍需施設はほとんどなく、歴史的建造物の建ち並ぶ街。終戦間近、この街だけは空襲にあうことはないだろうと、ドイツ各地から多くの難民がこの街に身を寄せていたそうです。そんな街が爆撃され、何万人もの命が奪われたそうです。
エルベの川岸に建つ王宮や寺院、その大きさと芸術性の高さ。ひとつひとつの建物だけではなく、辺り一帯の街並みに時空を越えたモノや時間へのこだわりを感じます。
そして、何よりも感動し、実感したのは、我々日本人とは違う歴史のとらえ方です。
街の中心部に建つ「聖母教会」。荘厳な聖堂は、黒と淡いクリーム色の石のブロックで斑(まだら)に組み上げられています。黒い石のブロックをよく見ると、それは紛れもなく焼けこげたもの。そこに銃弾でえぐられたと思われるくぼみがいくつも見ることができます。
聞くところによると、がれきの山となっていた教会からひとつひとつ石のブロックを拾い集め、それをもう一度昔の通りくみ上げ、足りないところを新しいもので埋める。そうして再建された建物だそうです。
この「聖母教会」だけではなく、周辺にある多くの建造物がそのようにして建て直され、改修されてきたそうです。
広島の原爆ドーム。破壊された当時の姿をそのまま後世に残し歴史の証人とする。一方、このドレスデンでは、破壊と再生をひとつの建物に封じ込め戦争の悲惨さを今に伝えています。それぞれの伝え方があります。
ベルリンのホテル、ドレスデンの聖母教会。ドイツの時間は、どうも日本とは違った流れ方をしているようです。
1 件のコメント:
パンについて一言、どうも日本のパンは、米を主食とするからでしょうか、もちのような食感がします。これが悪いとは言っていませんが世界中にはもっとうまいパンがあるよーと言いたいのです。ずいぶん前の話になりますが、日本が米不足の時にタイか緊急輸入しました。そのときの国全体の反応は”こんな米まずくて食えない’というのが政府からではなく市民レベルからも上がったことです。これは日本の政府が意図的に低品質の米を輸入したのか、あるいはタイの輸出がそうしたのかは計り知れますが、実際にはタイ産の米は正直って非常にうまい。しかも日本の米の10分の一ぐらいの値段です。どうも国産至上主義が極端のようですこの国は。
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