2012年9月1日土曜日

どんな営業になればいいんだ

オープン化の時代を迎え、プラットフォームのコモディティ化が進んでいる。テクノロジーは、コンシュマライゼーションの流れの中で多様化し、その進化は加速している。PC中心の時代も終焉を迎え、インターネットは人々の行動と密着し、膨大なデータが行き交うようになった。

ITを取り巻く環境は、変化のスピードを速めたというような単純なものではない。人々の生活や価値観、仕事や経営のあり方を巻き込んだパラダイムの転換であり、あたらしい情報社会が出現しようとしている。

このような変化の中で、IT営業もまた、これまでのままでいいはずがない。お客さまのITへの期待は変わり、意志決定の基準はこれまでとは違ったものになっている。その変化をこれまでの延長と捉え、過去の経験と実績を頼りに力業で乗り切ることなど、もはやできない時代になっている。

どんな時代になろうとも、お客さまとの信頼関係は営業活動の基本だ。しかし、この変化の中で、その信頼関係の意味が変わろうとしている。

これまでの常識を置き換えてしまう様々なテクノロジーが世の中に出現している。クラウド、ビッグデータ、HTML5・・・大きなイノベーションであり、それは既存の常識に対する創造的破壊をもたらしている。そんな世の中の常識を理解し、お客さまのこれからの「あるべき姿」に対して、よき相談相手になっているだろうか。

これまで同様、お客さまのご要望に応え、QCDを誠実に守っているだけで、お客さまの満足を得られる時代ではない。

お客さまは、これまでの資産とテクノロジーの常識に縛られている。しかし、その一方で、TCOの増大、急激な経営環境の変化、グローバル対応などの大きなプレッシャーがかかっている。それに応えられない情報システム部門は、その存在意義を問われている。

「このままではいけない、何とかしなければ」・・・その危機感は日ましに増大している。お客さまは、その答えを模索している。

あなたは、そんなお客さまに答えを示せるだろうか。自分たちにできること、自社の製品やサービスのことだけを語っているだけで、お客さまに満足して頂くことなどできるはずがない。

「そんなことを言っても、うちにはそんなお客さまのニーズを満たせるようなサービスも製品もないんですよ」

もし、そういう言い訳しかできないならば、営業失格だ。お客様は、あなたにできるかどうかを聞きたいのではない。課題を解決するにはどうすればいいかを聞いているのだ。それは、自分たちができるかどうかの問題ではない。

自社の製品やサービスに関わらず、お客さまの良き相談相手になれるかどうかである。その上で、自分たちにできることできないことを語ればいい。

「しかし、そんなことを学ぶ機会を会社は与えてくれないし、忙しくてそんな時間はありませんよ」

電車の中でゲームをしたり漫画を読む暇があったら、本を読めばいい。就業時間の1時間前に出社してニュースサイトやIT系のメディアを調べることだってできるはずだ。本や雑誌は、いくらでも手に入る。

「できない」ではなく「したくない」という言い訳。勉強することに興味を持てないのなら、これからのIT営業は務まらない。

これまでに変化のない時代はなかった。だから、それに対処することが人生であり、成長であると言える。

IT営業もまた常に変化への対処を求められてきた。それは、お客様のご要望に誠実に応える営業から、世の中の常識を理解し、多様化する選択肢の中から最適な解決策を示すことができる良き相談相手として営業への変化である。

「そんなことは昔から何も変わっちゃいない」

そういう方もいらっしゃるだろう。しかし、これまでは、そうじゃなくても何とか営業は務まった。それだけ世の中に需要があったからだ。しかし、今はそうはいかない。ITはもはや成長産業ではなく成熟産業だ。そして、プレーヤー過剰の時代を迎え、競争に打ち勝つ力が求められている。これまで以上に営業の真価が問われている。営業という商品の価値が、勝敗を決する時代になろうとしている。

その備えができているだろうか。

■ 第11期・ITソリューション塾 を開講します ■

今日の記事にもあるように、ITビジネスやテクノロジーの最新トレンドを整理できないままに、お客様の良き相談相手にはなれません。

4年前、何とかできないだろうかと相談を受け、はじめた「ITソリューション塾」も第11期を迎えることになりました。営業やSE、情報システム部門の方、IT企業の経営者など、志の高い300人を超すみなさんが、呉越同舟・切磋琢磨の機会として、ご参加頂きました。

改めて、これまでの資料を見直しますとその変化のスピードを実感します。

さて、今回は新たに「データベースの最新動向」を追加しました。また、仮想化については、OpenFlowも含む"Software-Defined"という切り口から、整理しようと思っています。このふたつのテーマは、これからのITビジネスに大きく影響してきます。そして、業界の勢力地図を大きく書き換える可能性もあります。

詳しくはこちらから資料をダウンロードしてください。

■ ご意見をFacebookページで聞かせください。ご意見を交換できればと存じます。



2012年8月25日土曜日

営業は楽しい仕事なのでしょうか?

「毎日忙しく、仕事が楽しいなんて、とても思えませんよ・・・」

入社3年目の営業さんから、そんな言葉を聞かされました。思い返せば、私もまた同じような時期がありました。金曜日が待ち遠しく、日曜日になると「あ~、また明日から仕事だ・・・」と考えてしまう。本当に憂鬱でした。

当時の先輩は昼前にしか出てきません。だからといって新前の私がそれに合わせる訳にもゆかず8時頃には出社していました。

昼間は忙しく仕事をこなし、お客さまにも足を運び、疲れて夕方戻ってきます。そして、また事務処理や明日の準備です。気がつけば夜も9時、10時、すると先輩が、「打ち合わせするぞ!」と招集をかけます。一通りの指示が与えられ、それが済むとまたその指示に従って資料を作りました。作っても、一発OKなどということはなく、赤線を入れられ、時にはせっかく仕上げた資料を破り捨てられることもありました。

「なんと理不尽なことをいうんだ、これで十分じゃないか・・・」。反発する気持ち、悲しみと怒りの入り交じった納得できない悔しさが胸を締め付けました。それでも従わなくてはなりません。

見切りをつけて帰ろうという頃には終電もなくなっています。じゃあ、「飯でも食って帰るか」という声にラーメンと餃子を食べて、タクシーで帰宅する。タクシーに乗れば、目的地を告げて、そのまま爆睡。帰宅後シャワーを浴びて、少し眠ればすぐに朝です。着替えて電車に乗れば、そこもまた貴重な睡眠時間でした。そして、何時ものように朝一番にオフィースに到着する。先輩は昼前・・・

当然、徹夜仕事や休日出勤は当たり前でした。近くのカプセルホテルは常連宿と化していましたね。

出張の車中は、貴重な休息でした。お客さまが東北に多かったので、毎週のように長距離出張していました。ただ、深夜まで資料を作り、そして、上野駅前(当時の東北新幹線は上野発、また、常磐線沿いのお客さまもいらっしゃいましたので)のカプセルホテルで2、3時間仮眠し、始発に乗って、その日の夜に帰ってくる。そして、また同じサイクルの始まりです。

・・・ 今思うと、よくやっていたと思います(笑)。

楽しいどころか、苦痛でしかありませんでした。何度も会社を辞めようと思いました。自分は、営業に向いていないんじゃないかとも思いました。しかし、ここで音を上げては、かっこわるいし、負けになる。そんな見栄のようなものが、最後の支えになっていたように思います。

そんな私が、「営業は楽しい!」と思えた切っ掛けは、ごく些細なことでした。

入社3年目の頃、先輩がお客さまを連れて海外視察へゆくことになり、2週間不在となったときです。担当するお客さまから既に使用されているコンピューターのアップグレードの相談を頂いたときでした。わずか数百万円の話しです。当時、数千万円、数億円のビジネスが当たり前の時代。わずかな売上です。しかし、その構成や手配はなかなか複雑で、手間のかかるものでした。しかし、お客さまは緊急に対応してほしいと要求されています。「まいったなぁ」そんな思いがよぎりました。

それまでは、何事においても先輩の指示に従い、確認を取って進めていたのですが、当時は電子メールも携帯電話もない時代ですから、全て自分で判断し、進めなくてはなりません。もちろんやり方は心得ていました。しかし、全ては自分で判断しなくてはなりません。とても不安でした。面倒な作業でもありました。社内の技術部門やパーツセンター、工場などとも調整し、交渉しなくてはなりません。

それを何とかこなし、一切の仕事を自分で完結した時、「なんだ、自分にもできるじゃないか・・・」。なんとも満たされた思いでした。お客さまからも「斎藤さん、ほんとうに助かったよ。ありがとう。」そう言われたときの喜びは、今でも忘れることができません。

改めて思い返すと、営業という仕事が楽しいと思えた最初だったかもしれません。

先輩が長期出張から戻ってきても、仕事のペースは何も変わりませんでした。しかし、私の気持ちは全く変わっていました。自分のやっていることに意義を感じ、先輩が指示していることの意味も、なるほどと素直に思えるようになりました。そうすると、仕事が楽しくなり、いろいろなことがうまく回りはじめたように感じられたのです。

営業という仕事の楽しさは何かと聞かれることがよくあります。しかし、それは自分で見つけるしかありません。「お客さまに感謝される仕事だから」、「いろいろな人と係わり調整し、大きな仕事をする機会が与えられているから」・・・ありきたりのことはいろいろいと申し上げることはできます。しかし、それは何の答えにもならないでしょう。

ひとつ言えることは、自分のやっている仕事は何が楽しいのだろうかを追求し、考え続けることです。そして、自分でそれを見つけたとき、それが貴方にとっての答えだということです。

私は、今、営業という仕事を選び、その仕事を続けてきたことを、本当に良かったことだと思います。そして、それを誇りだとも思っています。それは、理屈ではなく、私の心がそう感じていることなのです。

楽しいと感じられるかどうかは、本当に小さな心のスイッチの切り替えだけなのかもしれませんね。その小さなスイッチにまず手をかけることからはじめなくてはなりません。それは、「営業という仕事の楽しさって何だろうか?」と真剣に考え、向き合ってみることです。

「営業の楽しさが分からない」。そう思われている方は、まず心のスイッチに手をかけることからはじめてみてはいかがでしょうか。

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2012年8月19日日曜日

ゴールから始める提案活動

「この案件を獲るために、お客さま内に大きなシェアを持つA社の下でやるのがいいように思っていまして、その辺の関係作りからはじめようと思っています。」
「手近な運用から入り、何を提案すべきかを探った上で、提案をまとめようと考えています。」
「まだまだ、お客さまの考えを十分に聞き取れているとは言えません。もう少し時間をかけて、情報収集をしてから、提案しようと考えています。」

こういう話しを聞くと、「本当にやる気があるのですか?」と申し上げてしまいそうになります(笑)。

確かに、適切なアプローチ・ルートを考えることや、お客さまの情報を徹底的に収集し的確で精緻な提案内容を組み立てることを否定しているわけではありません。それは、是非とも必要なことです。

しかし、それは提案をクローズするために必要なことではあっても提案のチャンスを得るためには必ずしも重要なことではありません。

残念ながら、このようなアプローチを続けている限り、いつまで経ってもどこかの下請けに甘んじるか、自ら進んで競合状況を演出することになると思います。

提案活動においてまず行うべきことは、意志決定に関わる人が誰かを見つけ出し、その方と提案の目的や本質を合意することです。言い換えれば、「なるほど、これはいい、これでやりましょう!」と、お客さまと握手を交わすことです。

具体的には、次の3つのステップをこなすことです。
  1. 課題を解決し、ニーズを満たした結果、「どうなっていたいのか」を合意すること。「どのように満たすか」ではありません。「実現の手段(To Do)」ではなく、「あるべき姿(To Be)」を合意することです。
  2. 結果に至る大きなマイルストーンを明らかにすること。それは、決して、具体的な製品やサービスの名称を示すことではなく、どのような段階を経て「あるべき姿(To Be)」に至るかを明らかにすることです。
  3. 最後に、自らの強い意志と安心感をお客さまに与えること。「あるべき姿(To Be)」を実現するにあたり、自らもリスクを覚悟で真摯に取り組む姿勢を示すことで、お客さまに安心と信頼を与えることです。

お客さまは、常に厳しい現実に縛られています。ですから、お客さまだけでは、どうしても現実の拘束条件を前提に、手段(To Do)に縛られた解決策しか考えられないことがよくあります。だからこそ、営業は、そんなお客さまの夢を代弁し、しがらみのない本来のあるべき姿(To Be)を提示してあげるからこそ、存在価値があるのです。

そして、そのあるべき姿(To Be)に相対する現実についても冷静に目を向ける必要があります。当然、そこにはギャップが存在します。そのギャップを明らかにし、埋める手段を考えなくてはなりません。しかし、まずは、ゴールをお客さまとしっかり共有すること。それがあって、私達ははじめて、提案活動のイニシアティブを握ることができるのです。

人は、明確な目的を持たずして、前へ進もうとは思いません。その目的が、魅力的であればあるほど、人はその困難を乗り越える勇気と力を高めてゆくことができるのです。

提案活動とは、お客さまとあるべき姿を合意すること。そして、一緒になってそのゴールを目指しましょうと握手することが、出発点です。それを実現するルートや手段を具体化することは、クローズのための活動であり、スタートのための活動ではありません。

100点満点の内容を示すことにこだわり、お客さまがなるほどと思える本質であり、核心が何かをおろそかにしては、本末転倒です。それ見出すために、現場に入り込み時間をかけて情報収集してもなかなか目的を達することはできません。意志決定に関わる人や現場に精通したベテランの方と本音で語りあうことです。

だらだらと時間をかけるのではなく、聞いては簡単な資料にまとめ、「あるべき姿はこうですね」と仮説を提示する。それを何度かお客さまとの間で、やり取りすることで、合意できる「あるべき姿」が見えてくるはずです。

始めるために時間をかけるべきではありません。まずは、「あるべき姿」を合意することから、始めてみてはいかがでしょうか。

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2012年8月11日土曜日

日米のCIOの違い

米国と日本のCIO(Chief Information Officer:最高情報責任者または情報統括役員)の違いを一枚のチャートにまとめてみました。


CIOの設置企業の数についてですが、経済産業省の“「IT経営力指標」を用いた企業のIT利活用に関する現状調査”によると、「社内にCIOがいる」日本企業は58.3%、これに対して、米国は83.1%、韓国は71.3%という数字になっています。

これとは別の調査ですが、総務省の「平成22年度版 情報通信白書」では、CIOを役職として設置している企業の割合は5.1%。日本情報システム・ユーザー協会(JUAS)の「企業IT動向調査2010」では、7%となっています。

経済産業省の調査結果がこのように大きくなっているのは、たぶん役員としての本来の意味でのCIOだけではなく、情報システム部門長もCIOとして算入しいるためかもしれません。感覚的には、総務省やJUASの調査結果の方が、納得感はあります。ただどちらにしてもCIOという役員クラスの責任者が少ないことだけは確かなようです。

また、日本ではCIOとして専任役員を設置している企業は多くありません。一般的には財務や総務を担当する役員が兼務する形を取っており、その社内的な位置づけは曖昧です。

一方、米国の場合、CIOを独立した役員ポストと位置づけ、社外からスペシャリストとしてCIOを採用し情報システムの利活用を一任する形態を取っています。

つまり、CIOは、CEOやCFOなどと同様に経営のトップライン位置し、企業の全体最適を推進する立場にあります。その権限は日本と違い強力で、情報システムの利活用だけではなく、組織や業務ルールの変革にもおよび、まさにトップダウンで「経営と情報システムの融合」を実現する立場にあると言えます。

これに対して、日本のCIOは、仮に役員であったとしても、情報システムの専任でもスペシャリストでもありませんから、実務実践は情報システム部門に一任することになります。そして、一スタッフ部門としての情報システム部門は、現場からの個別の要望に対処することが暗黙の了解事項です。そして、CIOは、このような現場主導ですすめられる情報システム構築を上長として承認するというボトムアップ型の意志決定を行います。結果として個別最適なシステムの構築に向かうことになります。

情報システム部門の権限の低さと現場部門の相対的優位の構造は、情報システム部門が現場の組織や体制、業務の仕方にまで踏み込むことを許しません。そのため、現場の要望を拾い上げそれを反映させた現場最適のシステムを個別に作り上げることになります。

米国のようにトップダウンで業務の改革や組織の変更を伴う「企業全体の収益拡大や成長の維持」というような全体最適を指向した戦略的情報システムを構築することは難しく、個々の「業務の効率化とコスト削減」の道具に留まっているという状況です。

このような様々な個別の情報システムを人数の限られた情報システム部門のスタッフで保守、運用することは難しい状況にあります。そこで、それぞれを個別に外部のSIerやベンダーに任せることになります。そのほうが効率的であり、QCDもコントロールしやすいからです。

そのため、情報システム部門のスタッフは、全体の調整役あるいは契約や手続き等の業務対応に時間が割かれ、技術的なことは外部ベンダーに任せてしまうこととなります。また、経営と融合した情報システム戦略は明確にはないわけですから、技術や情報システム戦略を学ぶ機会は乏しく、結果として人材の育ちにくい環境となっています。

戦略の乏しさや人材の不足では、自らがイニシアティブを取りにくく、ベンダー任せ、ベンダー・ロックインの構造を助長することになります。そして、その構造にあぐらをかいているのが、ITベンダーでありSIerと言うことになるのでしょう。

しかし、企業の経営基盤が、今後ますます海外にシフトする中、情報システムの戦略的活用は、これまで以上に経営戦略上の重要性を増すことになります。そうなると、これまでの日本型のスキームが成り立たなくなることは明白です。それは情報システム部門にとっても、ITベンダーやSIerにとっても、大きな変革を迫られることになります。

日米のCIOの違いから、情報システム戦略のこれからが見えてきます。グローバル化の加速は、我が国の情報システムのあり方に大きな変革をもたらすことになるでしょう。そして、昨今の社会環境は、そのスピードを益々加速しているように見えます。

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2012年8月4日土曜日

日本IBMの営業力は、なぜこんなにも弱体化してしまったのでしょうか

かつてをご存知の方は、このような感慨を持たれる方も多いのではないでしょうか。

私は、元IBMの営業として、過去の栄光を懐かしみ、昔は良かったと感傷に浸っているわけではありません。私は、この現実にこそ、日本が世界の常識と乖離していること、そして、だからこそ、日本のIT営業は、この違いを理解した上で、その役割を果たすべきだと申し上げたいのです。

IBMの営業パーソンの個々人の能力や志について、語ろうというものでありません。多くの友人や先輩諸氏が、営業の現場で頑張っています。彼等の営業としてのセンスや能力の高さは、憧憬に値するものです。

私が、ここで申し上げたいことは、そういう個々人の話しではなく、組織のメカニズムとして、日本IBMの営業体制が、日本の実情にそぐわないこと、そして、それは一方では、日本のCIOであり、情報システム部門の役割が米国とは大きく異なっていることが、その根底にあると言うことを申し上げたいのです。

現在、日本IBMの営業体制は、一部の戦略的大企業を除けば、実質的なお客様担当営業はおらず、サービスやプロダクトごとに個別に担当営業を配する体制を取っています。つまり、ひとつのお客様に複数の営業担当者がいることになります。

このような営業スタイルは、ユーザー企業のCIOや情報システム部門が、次の役割を果たせる場合、有効に機能します。
  • 技術のトレンドや業界の動向に精通し、しっかりと情報システム戦略を組み立てることができること
  • 各製品やサービスを目利きし、的確に取捨選択できる体制や能力を有していること
  • CIOが意志決定に当たって、経営の立場から強いリーダーシップを発揮できること

つまり、ユーザーがシステム・ベンダーに対して、おんぶにだっこの依存関係ではなく、自らの知性と意志で判断し、ベンダーに対するイニシアティブを発揮できるとが前提です。

ユーザー自身がインテグレーターとしての役割を果たすならば、個々のサービスや製品を目利きし、最適なインテグレーションを考えなくてはなりません。そのとき、今の日本IBMのような個々の製品やサービスについての深い知識を持ち、提案できる営業体制は、たいへん重宝な存在です。

つまり、日本IBMというひとかたまりの存在とらえるのではなく、様々なサービスやプロダクトを提供する個別ベンダーの総体、つまりITプロダクトやサービスのデパート、専門店街としての存在としてとらえれば、今の日本IBMの営業体制の意味は、理解しやすいかもしれません。

しかし、我が国におけるユーザー企業の実態を鑑みると、CIOや情報システム部門が、自らをインテグレーターと自覚し、その能力を磨き、役割を果たしているところは、必ずしも多くはありません。それにもかかわらず、グローバル・スタンダードを貫くIBM本社の方針に沿う形で日本IBMの営業体制は、作られています。残念ながら、今はその役割を十分に果たすことができず、心ある現場の営業たちが、そのギャップを埋めるべく奮闘しているというのが実態ではないでしょうか。これが、日本IBMの営業力が弱体化している背景にあると考えています。

これを他山の石と見るならば、このような我が国の実態に即した営業体制を構築することが当面は効果的であろうと考えられます。つまり、アカウント営業を前提とした組織体制を構築することです。つまり、お客様を担当する営業が、唯一の窓口となり、お客様の様々な事案のとりまとめ役になり、良き相談相手としての存在感を高めることだろうと思います。そのための能力を磨き、体制を構築することだろうと思います。

プロダクトの販売を専業とする営業についても、この考え方は成り立ちます。つまり、自分のプロダクトを売るために、このようなお客様のさまざまな相談を引き受ける。その上で、自分たちの製品やサービスの位置づけを伝え提案することができれば、お客様は大助かりであり、信頼もされるはずです。

グローバル化を目指す日本の企業は、いずれは、米国型のCIOであり、情報システム部門としての役割を果たすべきだと思います。ユーザー自らがこの変化を受け入れ、自らの能力を高めてゆくべきでしょう。それができなければ、我が国の情報システムはグローバルな時代の流れに取り残され、いずれはIT後進国としての汚名を戴くことになります。

一方、営業は、アカウント・エクゼクティブ(Account Executive)を目指すか、ソリューション・スペシャリスト(Solution Specialist)を目指すか。自分の役割を自覚し、その能力を磨いてゆくべきだろうと思います。そして、どのような時代が来ようとも、それぞれの立場でプロフェッショナリティを活かせる存在になれば、どこででも生きてゆけるはずです。

ここで申しあげたことへのご批判もあるかと思います。ぜひ、そんなご意見をFacebookページで聞かせください。ご意見を交換できればと存じます。

2012年7月28日土曜日

課題発見とはお客様の課題を知ることではありません

「最も必要なスキルは“課題発見力”」

こんなアンケート調査の結果が紹介されていました。

ところで、課題発見力とはどのような能力なのでしょうか、また、どうすれば身につけられるのでしょうか。今日は、そんなことを考えて見ました。

結論から申し上げれば、課題発見力とは、お客様がどのような課題を持っているかを知る能力ではありません。

例えば、私達が「それは課題だ!」と思ってみても、お客様にそれを解決したいという意欲がなければ、それはお客様にとっては課題ではありません。お客様の「なんとしてでも解決したい」、その想いを引き出すことができてこそ、お客様の課題になるのです。そんなお客様の意欲があるから、私達は、課題解決のための提案が可能になるのです。

課題発見力とは、このような「課題を解決したいというお客様の意欲」を引き出す能力なのです。

では、そもそも「課題」とは、何でしょうか。まずこの点から考えて見ましょう。

「課題」とは、お客様の望んでいる「あるべき姿」と「現状」とのギャップです。そのギャップを埋めることが「課題解決」であり、その手段が「ソリューション」です。


例えば、1000億円の売上達成がお客様の望まれている「あるべき姿」だとします。しかし、「現状」は800億円しかありません。ここには200億円のギャップがあります。お客様は、このギャップをなんとか埋めたいと思っています。つまり「200億円売上を増やすこと」がお客様の課題となります。

もしお客様が800億円で良いと考えるなら現状が800億円ですからギャップありません。つまり、課題がないと言うことになります。

つまり課題とは、「お客様が自ら意欲を持って解消したいギャップ」ということになります。

課題を知るとは、このギャップを見つけることです。そのためには、お客様が何を望んでいるのか、そして現状がどうなっているのかを知ることからはじめなくてはなりません。この両者が分かってこそ、ギャップが明らかになります。

ところで、どのようにすればこのギャップを知ることができるでしょうか。

例えば、お客様に「何をお望みですか?」「現状はどうなっているのですか?」などと質問して、お客様は素直にその答えを教えてくださるでしょうか。ほとんどの場合、その期待はむなしいものに終わります。

当然ことです。お客様にしてみれば、説明できるほど整理できているとは限りません。そもそも、何について聞いているのかさえ定かではなく、何をどう答えて良いのか分からないのかもしれません。あるいは、なんでそんなことをあなたに話さなくてはならないのかと思っていれば、たとえ分かっていても話しなどしてくれないでしょう。

結局は、「何もありません」と言われ、話しはそれ以上先には進みません。

まず行うべきことは、お客様についての徹底した情報収集です。お客様の現状はどうなっているのかを自分なりに丁寧に調べ整理しておくことです。その上で、お客様はこんなことを望まれているのではないか、あるいは、こうすべきだという自分なりの仮説を立てることです。そして、お客様にこんな問いかけをしてみてはいかがでしょう。

「御社では社長方針として2015年度までに売上高1000億円の達成を掲げられています。しかし、現状は800億円であり、直近3年の売上高の増収も2%程度であることを考えると、あと3年で25%の増収を狙うというのは、容易なことではないように思います。やはり、同業他社が取り組まれていると同様のECサービスに新規参入し、そのギャップを一気に埋めようとお考えなのでしょうか?」

その答えは、YesかNoしかありません。そして、Yesであれば、「では、やはりA社の提供されているソーシャル・メディアとの連携を考えたサービスを御社でも展開されるわけですね。」などと、さらに質問を重ねてゆきます。その繰り返しにより、お客様の「あるべき姿」と「現状」とのギャップを明らかにしてゆきます。

もし、Noであれば、「では、アジア圏での販売拠点を拡充されるのですか?」と別の仮設を示しながら、お客様のYesを探り出すことです。こういう仮設をいくつか用意し、お客様との会話に望むことが大切です。

「何かありませんか?」ではなく「これはどうですか?」の質問をあらかじめ用意し、それをお客様にぶつけてみる。これがギャップを発見する、つまり、課題発見するための効果的な方法です。

ただ、お客様が「あるべき姿」を知らないことも少なくはないでしょう。ならば、お客様に、お客様の「あるべき姿」を知らせることで、ギャップを創り出すことができます。

例えば、IFRSの適用によって、お客様は業務をどのように変えなければならないのでしょうか。クラウド・サービスの普及やITテクノロジーの進化によって、情報システムの「あるべき姿」はどのようになるのでしょうか。そして、その進化にふさわしいお客様の情報システムの「あるべき姿」は、どうあるべきなのでしょうか。

このようなお客様の「あるべき姿」をご理解頂き、現状との間にギャップがあることに気付かせることで、それを解決したいという意欲を引き出すことができます。

あるいは、お客様の現状をこちらが丁寧に整理し、本来あるべき姿との間にどのようなギャップが存在しているのかを、客観的に、分析的にお知らせすることも、ひとつの方法です。そうすれば、お客様は、そのギャップを知り、自らやるべきことに気付かれるかもしれません。

課題発見とは、このようにお客様の意識の中に、現状とあるべき姿のギャップを描き出し、それを解決したいという意欲を引き出すことなのです。

一般論をかざして、「御社の課題は・・・」と押し売りしても、お客様はそれを解決したいと思わない限り、課題を発見できたとは言えません。

課題発見力とは、広く様々な情報を収集し、それをお客様に当てはめて分析し、仮設を組み立てる力です。そして、それをお客様に伝え、検証する手順をこなす力と言うことになるのでしょう。

課題とは、解決したいという意欲を伴う問題意識。問題の存在に気付かせ、それが何かをお客様の実際の業務やデータを交え具体的なイメージとして表現し、このままではたいへんなことになる、何とかしなくては、と解決への意欲を引き出すこと。これが、課題を発見することなのです。

課題発見力とは、言葉の言い回しや思考のフレームワークを学ぶだけでは、その能力を高めることはできません。むしろ、お客様やお客様を取り巻く環境、社会や経済の常識に関心を持ち、そういう情報をしっかりとアップデートしておくことが大切です。その情報を使って、的確な仮設を立てる。その能力こそ、課題発見力の本質と言えるのではないでしょうか。


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2012年7月21日土曜日

東北は日本の縮図


先日(7月16日)、宮城県南三陸町志津川の海岸線にそびえる震災瓦礫の頂から眺めた美しい三陸の海の景色です。この光景は、まさにこの町の今の縮図かもしれません。


上の写真は、昨年の7月9日にはじめてこの町を訪れた時の光景です。瓦礫も手つかずの状況が残っていました。

私は、それ以来、福島県、宮城県、岩手県の沿岸部を幾度となく訪れるようになりました。この南三陸町は、そんな私の震災に関わる原点となったところです。



地元の方に話を聞くと、「町はキレイになった」とよく言われます。この写真は、今の南三陸町の光景です。確かに、いたるところに散乱していた瓦礫は取り払われましたが、その後には広漠とした廃墟が、広がっています。そして、取り払われた瓦礫はこうして山積みにされ、この町の未来に重くのしかかっています。



瓦礫の広域処理が簡単ではないことはわかります。しかし、放射線量が都内よりも低いこの場所の瓦礫でさえ、根拠のない感情的な拒否反応を示されているわずかばかりの人たちがいること。そして、こういう人たちに過剰に反応する自治体首長が、判断を先送りしているという現実。そんな話しを聞くたびに、この国の心の貧困を悲しく思います。そして、「絆」という言葉の虚しさを感じざるを得ません。



その一方で、「自分たちに何ができるだろうか、何をすべきだろうか」を考えている人たちがまだまだいることも確かです。

私は、「被災地を訪れたことがない人たちに、まずはこの事実を感じてもらいたい。」それが震災に関わる原点であると信じています。そんな想いから幾度となく彼等を連れてこの町を訪れています。そして、地元の人たちから話しを聞く機会をできるだけ作ろうしています。カタチだけではわからない人の心や生活を知ること、そして、それに応えてゆくことこそが、この震災に関わることだと思うからです。



地元の人たちは、忌憚なく震災当時のこと、そして、今とこれからのことを語ってくれます。そんな話しには、マスメディアが報道する美談とは違う、おどろおどろしい光景や醜い出来事も含まれています。そんな声を聞くこと、そして感じることが、この震災に向き合うためには必要なのだと思います。


話してくださる地元のみなさんも、決して気持ちの良いことではないはずです。以前、ある年配の男性から話を伺ったとき、突然号泣されたことがありました。それでも彼等は私達に自分たちのこと、この町のことを伝えようとしている。そういう気持ちに接することができなければ、震災に向き合うことなどできないと思っています。

美しい三陸の海とまぶしいほどの緑は、この町に豊かな自然の恵みをもたらしています。しかし、その前途はこの瓦礫の山に象徴されるように、前途多難です。この現実を知ることが、震災に関わることの起点であると思っています。


この町で水産加工会社を営む及川さん。彼は、5つの工場のうち4つが壊滅し、わずかに残ったひとつも浸水したそうです。今は、残った工場を復旧し仕事を再開され、新たな工場のための土地も手当てされようとしています。こういう方の話を聞くと、何ができるかなんておこがましい話しで、むしろこっちがもっと頑張らなければと勇気づけられます。


この光景もまた、同じ日の宮城県石巻市長面浦の光景です。地盤沈下で水没した集落は、手つかずのままに放置され震災直後の光景を今もとどめています。これが現実なのだと改めて衝撃を受けました。

南三陸町を訪れる前の二日間は、福島県の相馬市、南相馬市、福島市を訪れました。こちらは、津波によるモノの被害に加え放射能の問題が重くのしかかっています。


この写真は、南相馬市の小高地区で、原発20キロ圏内として、つい先日まで入ることができませんでした。そのため、震災直後の姿が今も手つかずで残されています。

以前、「東北は日本の縮図。震災は、その姿を露わにし、未来を加速した」そんな話しを聞いたことがります。今回の訪問では、その現実を実感してきました。

ひとことで語れることではありませんが、その本質的なところに「地縁血縁」ということがあるのかもしれません。

厳しくも豊かな自然環境の中にある東北は、遠く都会から離れていても人々は豊かです。水は豊富で、美味しい野菜やお米はタダで手に入ります。例え都会より金銭的な所得が低くても、そんな地の利を活かして、人々は強い結束によって寄り添い助け合い、安心と安全が担保された豊かな生活を営んでいます。

この結束は、都会育ちの私には実感のできない強さです。理屈ではなく遺伝子の中に組み込まれているといっても良いくらいです。

この震災は、この「地縁血縁」でつながっていた部落というコミュニティを破壊しました。多くのモノを破壊し、命を奪ったことも事実ですが、このコミュニティの破壊がもたらす被害は、これまでの生き方の破壊であり、安心と安全のよりどころの崩壊といえるものでした。これは、モノと違い、新たに作り直すことや修復することが容易ではありません。



例えば、部落のつながりを無視した「公平な抽選」によって人々を振り分けた仮設住宅。多くの人が住むというのに、会話もなく、孤独な人たちも少なくありません。
また、復興に対する様々な補助金や交付金は、不公平感を助長しています。そして、それにつらなる利権は小さな町の中で対立を引き出しています。
また、放射能は人々の生活に見えない恐怖と疑心暗鬼を助長し、それぞれの考え方の違いから生ずる様々な感情的もつれを産み出しています。

物理的な破壊ではない、心や生き方の破壊はとても深刻なものです。

なぜ、それが日本の縮図かと言えば、グローバル化の流れの中で、日本は、国の単位で、このような「地縁血縁」のまとまりに安心と安全を求めていると見えるからです。

この「地縁血縁」に頼れない被災地、それはまるでグローバリゼーションの波に翻弄される今の日本にも見えます。我が国は、この震災の結果もたらされた東北の地域社会同様、日本という国の小さなまとまりだけに頼れない社会になりました。アジアの一部として、世界の一部として、私達は世界の流れに放り出されているのです。

これまで私達は、その時代に与えられたパラダイムの中でむしゃらに前を向いて生きてきたのです。そして、多くの成功を手にしてきました。しかし、世界の経済や政治のスキームが、大きなパラダイムの転換を迎えつつある中、これまで常識として受け入れてきた価値観が、見事に破壊されてしまったと言うことなのでしょう。この事態は、もはや逃れようもなく、向き合ってゆくしかないのです。

世界の常識は大きく代わり、日本はその流れに翻弄されているように見えます。それを政治の無策と切り捨てることも容易です。しかし、政治は常に国民の反応に敏感であり、また、そういう人たちに為政を託したのは私達自身だと言うことを忘れてはいけないでしょう。まさに、私達の国民としてのアイデンティティが、今の政治であり、この国の姿なのです。

東北に向き合うとき、私達はこの視点を持たなくてはいけないと思っています。それは、これからの日本が置かれている縮図であるという視点です。東北に向き合うと言うことは、私達自身に向き合うことであるという自覚です。そして、東北という一地方と見るのではなく、この国に向き合うと言うことです。

こうなってしまった以上、私達は、もはやこの現実から逃げることはできません。この現実にどう向き合ってゆくかが、今問われているように思います。


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