2012年4月7日土曜日

新しく社会人になった君たちへ「本を読みなさい」

「電車の中で、漫画を読んだりゲームをする暇があったら、本を読みなさい。」

こんなことを書くと時代錯誤と顰蹙(ひんしゅく)を買うかもしれない。それでも私は伝えたい。なぜなら、このささやかな取り組みが私の人生に大きな価値をもたらし、豊にしてくれた実感があるからだ。

「漫画やゲームも勉強になるし、役に立ちますよ」という言い訳も聞こえてきそうだ。しかし、本はそれ以上に役に立つ。

本の最大の価値は、読みにくいことにある。漫画のように直感に頼ることは少ない。考え、想像し、自分で作者の筋立てをなぞらなくてはならない。これはなかなかの労力で、エネルギーを使う。だからこそ価値がある。

また、本には作者の思想や知識が詰まっている。本を書くことに人生を捧げてしまう人さえいるくらいだ。私に言わせれば、それは狂気だ。自分でそんな人生を送りたいとは思わない。だからこそ価値がある。

作者の思想や人生を追体験する。それが「本」の役割である。

そんな体験を僅か数百円で手に入れられるとすれば、その価値の大きさは計り知れない。わずか数百円で他人の人生や知識を買うことができるのだ。

先日、ある新入社員研修で、本をどれくらい読むか聞いてみた。すると月に一冊も読まないという人が少なくなかった。一年に一冊読むかどうか、つまり全然読まないと言うことだろうが、そういう人もいた。ああ、なんともったいないことだろう。

君たちが社会人になるとはどういうことだろう。簡単なことである。自分で稼ぎ、家族や他人に頼らず自立して生きてゆくことである。

そんな社会人に欠くことのできない能力のひとつが「想像力」だ。

社会とは常に人との関わり合いで成り立っている。相手が何に困っているのか、何を求めているのか、どうすれば幸せになれるのか。相手の課題は何か、それを解決する最適な手段は何か。自分は何をすべきか・・・正解はすぐにわからないかもしれない。しかし、そんなことすら想像すらできないとすれば、仕事の糸口さえつかめないだろう。

社会で大きな役割を果たしたいと思うのであれば、想像力は人の何倍も豊でなければならない。それが人の幅であり、大きさでもある。

本には、凝縮された他人の時間が詰まっている。本を読むとは、それを手に入れることだ。これは人との係わりの模擬体験でもある。

本に正解が書いてあるなど期待してはいけない。書かれていることは、正解に至るヒントや解決策の素材にすぎない。物事に同じことなど絶対にないからだ。

本を読むことで、人がどのように考え、それを整理しているのか、そんな思考のプロセスを知ることはできる。また、自分とは違う目線や価値観にも出会うことができる。さらには、様々な感性に触れ心の機微を知る手掛かりを見つけることもできるだろう。本を読むとは、そんなデータベースを蓄える作業である。それが想像力の源泉となる。

そして、自分の考えを相手に伝えよ、果敢にチャレンジせよ、そして失敗し、打ちのめされよ。その繰り返しが、想像力をさらに豊かなものにしてくれる。

これができるのは今だけだ。責任が大きくなれば失敗は多くの人に迷惑をかけることになる。自分が苦しめば済む時代に苦しむことだ。若気の至りで済まされるうちに、大いに若気の至りをした方が良い。誰もが通る道であり、大人たちもまた、それがどういうことかを知っている。

人生を楽しく生きたい、豊かに生きたいと願うなら、相応の努力が必要だ。しかし、その努力は、実にささやかなところから始まる。この「ささやか」を蔑(ないがし)ろにし、見た目のかっこよさや大きさに道を求めても、背伸びしている自分に苦しみ、いずれは底が抜けてしまう。

電車の中で本を読む。それが、成功に至る全てだと言うつもりなど毛頭ない。ただ、そんな簡単なことさえできない自分であるとすれば、人生の成功など望むべきではない。

他人からどう見られるかではなく、自分をどう見るかである。そんな視点を持てない人生に真の豊かさがもたらされることはない。

それをできない自分を残念だと思う気持ちこそ、人生を豊かに生きるための始まりでる。

君たちの人生に成功の約束はない。君たちがこれから生きる社会が今まで以上に豊になるという保証はない。若者には未来があるという人もいるが、私は本人次第だと思う。

全ては君たちが自分で決めることなのだ。


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