2010年4月24日土曜日

こんな営業は、お断わりだ!

 信頼できる営業、相談したくなる営業は、お客様にとってもありがたい存在だ。そのための努力もしているだろう。

 しかし、信頼さ れる、相談されたくなるための努力の前に、お客様から、「まあ、つきやってあげてもいいよ」と最低限のハードルを越える努力をしているだろうか。

  これがなければ、それ以上の努力は、所詮は、空回りに終わる。では、その「最低限」とは、何かを考えてみようと思う。

1.こちらの 話しを聞いてくれない営業は、お断りだ!

 先日、Twitterで、システム部門の方から、こんなつぶやきを頂いた。「ソリュー ションと称していろいろと売込みには来るんだけど、自分達の話しばかりして、こちらの話しをぜんぜん聞いてくれないんです(怒)」。

 人 は、自分の話しを聞いて欲しい、伝えたい、ましてや営業である以上、自分の商品を説明することが仕事だ。話したいことが山ほどある。その欲求のはけ口に、 お客様を使っている。

 彼等の目的は、売込みではない。お客様に伺って、話しをした。ただそれだけが、目的である。そんな彼等の「営業ノ ルマ」達成のために、あなたはつき合わされているだけである。

 本当に売り込みたければ、お客様の聞きたい事を伝えるべきであり、自分の 伝えたいことには、口をつぐむべきである。だって、そうじゃないですか、聞きたくもない話しなんか、話されても苦痛なだけですから。

 お 客様の聞きたい事を知るためには、お客様に教えてもらわなくてはなりません。お客様に、いろいろと話していただくことが先に来なければおかしい。

  聞くより話すことのほうが、普通は気持ちいいものです。お客様に気持ちよくなってもらおうとすれば、相手に話してもらうきっかけや話題を提供することでは ないですか。そんなことも考えられず、自分だけが気持ちよくなっている。おかしな話です。

 まずは、お客様の現状や課題を、お客様に話し ていただく。その心がけとテクニックを持たない営業は、お断りだ!

2.常識を知らない営業は、お断りだ!

  「うちもそろそろクラウドを本格的に使っていこうと思うんですよ。」

 そんな、お客様の話を聞いて、「なるほど、G-mailです か・・・?」程度のことしか、返せない営業は、即座にお引取り願おうではないか。

 SaaS、PaaS、IaaSの区別もできず、クラウ ドと仮想化の違いが分らないとすれば、彼は、なんの助けにもならない。

 仮想化についても同じ話。サーバーの仮想化は、思い浮かんでも、 仮想化には、デスクトップの仮想化、アプリケーションの仮想化、ストレージの仮想化、ネットワークの仮想化などがある。いったい、お客様は、どの話しをし ようとしているのか、区別がつかないような営業は、役に立たない。

 国際会計基準の話題になり、「それは、会計システムの問題ですね。」 と自信を持って話をするとすれば、もはや、その営業は、御社に悪意を持っているとしか考えられない。

 お客様の話を聞くとは、お客様の話 を整理整頓し、その本質を見出すことである。そんな、営業として、持つべき常識をわきまえない営業は、お断わりだ!

3.資料の汚い営 業は、お断わりだ!

 中堅製造業のシステム部長から、「A社(SIer)からもらったシステム構成なんだけど、これどう思う?」と 相談を受けた。私は、それを見て驚愕した。

 EXCELの資料にシステム構成が、一覧となっている。しかし、どういうわけだか、フォント に明朝とゴシックが混在している。しかも、合計金額の欄を赤い色で塗りつぶしており、数字が良く分らない。

 補足説明が、下に書かれてい るのだが、右端が文字の途中で切れていている。その文章も冗長で、小説でも書いているのかといいたくなる内容だ。

 たぶんシステム部長 は、内容を見て欲しかったのだろうが、その前に生理的に受け付けなかった。

 フォントの混在は、自分の作った内容と、Webからコピペし た内容が混在していたからだろう。
 合計が、赤になっていたのは、「安いですよ!」を強調したいためだろうが、そもそも赤を数字に使えば、「マイ ナス」や「赤字」といったネガティブな印象を与える。
 途中で切れていたのも、ディスプレイ上では収まっていたが、印刷したら切れちゃったの類だ ろう。
 補足説明の文言が小説調で冗長なのは、相手にわかってほしいではなく、言うべき事を伝えなければという、こちらの都合にすぎない。

  私は、部長に申し上げた。「これ、ダメですね。こちらに分ってもらおう、判断を楽にしてあげようという思いやりがありませんよ。こんな会社と付き合って も、苦労するだけですから。」彼も苦笑いしながら同意した。

 美しい資料とは、アニメやイラストに凝ったビジュアル重視の資料を言ってい るのではない。お客様がその資料を見て判断が楽にできるようにとの配慮。生理的な拒絶反応を感じさせない思いやり。そんなセンスを感じられる資料のことで ある。

 内容が整理されていて簡潔明瞭、直ぐに要点が分る。縦横、左右がそろっている。フォントの種類やサイズに統一されたルールがあ る。順序がロジカルで、こちらが知りたい順番に構成されている・・・つまり、相手の思考のプロセスや要望をちゃんと考えて作られているかどうかである。

  そんな、思いやりの片鱗を感じさせない資料を、躊躇なく持ってくる営業は、お断わりだ!

4.自分勝手な解釈を押し付ける営業は、お断 わりだ!

 最近、永田町では、こんなジョークが、ささやかれているらしい。

“普天間問題で、5月の決着が困難となった鳩 山首相がひと言、「わたくしは、今年の5月とは、一度も申し上げておりません!」”

 お客様の課題や要望を聞いてはくれたものの、自分達 にできないとなると、なんとか自分達ができることの範囲に収めようとする。そのため、こちらの要望を都合のいいように解釈し、「御社のご要望にあわせ ました」と自信たっぷりに説明に来る。こういう相手は、怒りを越えて、もはやあきらめの境地である。

 某国の宰相が、「私は、愚かな首相 かもしれませんが・・・」と言ったにもかかわらず、愚かではなく、愚直と後で言い換えても、だれもそんな言葉には騙されない。

 こんなテ クニックを労して、仮に相手をその気にさせることができても、そのシステムが動き出せば、必ず問題が生じる。一時的な売上にはなっても、お客様との信頼関 係を築くことはできず、リピートはありえない。

 そんな、自分勝手な解釈を押し付ける営業は、お断わりだ!

5.こち らの言いなりになる営業は、お断わりだ!

 何でも直ぐにやってくれる営業はありがたい。しかし、主体性もなく、こちらから言われた ことしかできなければ、音声入力機能を使って、WEBから注文することと、大差はない。そんな営業の人件費が、請求金額にのっかっていると思うだけで、 ぞっとする。

 こちらが何を必要としているのか、先回りして欲しい。こちらの知らない事を教えて欲しい、整理がつかない課題を整理整頓し て欲しい。

 だから、営業の存在価値がある。そんな当たり前を自分の仕事と考えていない営業は、出入り禁止だ!

 
■  情報システム部門の方へのご提案

 来社した営業が、上記いずれかに該当すると感じた場合、最後にこういう話をしてください。

  「今日は、本当に有難うございました。参考になりました。ところで、もしよろしければ、私たちの考えている事を分り易く整理したホームページがあるので、 一度見ておいていただけますか。お役に立つと思いますよ。」と申し上げて、このホームページのURLを書いたメモを渡してあげてください。あまりにもこの 手の営業が多い場合には、名刺サイズの紙に印刷して持ち歩きましょう。

 それで、心を入れ替えてくれたら、御社は大いにメリットを享受で きますよね。しかし、それができなければ、もう二度と来ることはないでしょうから、無駄な時間を使わなくてすむようになりますよ。

■  心当たりのある営業の方へのご提案

 「やばい・・・」と気付かれた方は、まずは、望みがあります。ではどうすればいいの か・・・

 こちらを ご覧ください

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2010年4月17日土曜日

PMになりたくない症候群

 「最近、PMになりたくないというエンジニアが増えて、会社でも問題になっているんですよ。」

 毎週水曜日の夜に開催している「ITソリューション営業塾」の後、参加者との会食で、ある大手ソリューション・ベンダーの方から、そんな発言があった。

 私はその話しを聞いて、「まあ、いつの時代にも、そのような人はいますよ。今に始まった話じゃない。せいぜい、10人にひとりいるかいないかじゃないんですか?」

 すると、別の会社の方が、

 「いや、そんなことはありません、うちの場合は、10人いたら半分は、そんな感じです。」

 すると、他の方も同感だと相槌を打った。

 「聞くところでは、新卒の入社面接で、『私はPMを目指しています』といいなさい・・・という指導を受けているそうです。PMになろうという人が少なくなったので、このような発言をすると採用されやすいからだそうです。」

 いやはや驚いた。

 なぜPMになりたくないのだろうかという質問に、「PMになっても、苦労するだけで何もいいことがない」という答えが返ってくるという。

 では、PMになることが、昇給や昇進のキャリア・パスになっていないのかというと、そういうことでもないらしい。PMは、確かに大変な仕事ではある。しかし、社内における評価は高く、やりがいのある仕事と感じている人も少なくない。

 ではなぜなのだろうか。こんな意見が出た。

・仕事を任され、その責任を持つことが、いや。

・他人を束ねるために、人に関わることが、いや。

・人と競いたくない。

・人に厳しく評価されたり、悪く見られたりはしたくない。

・大きなことは望まない、そこそこで十分。

・自分の好きなことができればいい。

 本当にそうなのだろうか。

 確かに、学校教育の問題もあるだろう。一等賞のない運動会。学力テストの成績や順位を曖昧にする成績評価制度。「勉強しすぎ」は悪いことといわれ続けたゆとり世代。社会が競争であることをタブー視している中で育ってきた若者たちに、親父目線の価値観を押し付けるのも酷なのかもしれない。

 もうひとつは、公共心の喪失ということもあるのかもしれない。これも広い意味では、教育問題なのだろうが、自分達が社会に活かされている存在であるという自覚の欠如である。

 「世のため、人のため」ではないが、社会に貢献することで、世の中が豊かになる。その見返りとして、自分達もその恩恵を受ける。だから、自分も「世のため、人のため」に成長しようではないかという意識である。

 世の中が豊かになり、与えられることが当たり前の世代。誰かが与えてくれるであろうという漠然とした安心感の中で、何をがんばる必要があるのかという思いが、あるのかもしれない。

 しかし、本当にそうなのだろうか。振り返れば、自分が、大学を出たばかりのころは、似たようなものではなかったのか。

 彼らに、「PMになりたくない」といわせるのは、世の中が悪いから、教育が悪いからと責任を転嫁しているようで、なんとも居心地が悪い。ことの本質は、もって別のところにあるのではないかと思っている。

 車を走らせていると、「あっ、こんなところに信号があっただろうか」と思うことがある。また、今までなかった、狭い道にガードレールが作られ、走りにくくなったなぁと思うこともある。

 しかし、信号が減らされたり、ガードレールがなくなるといった経験は、かつて一度もない。安全のためという大義名分のもとに、こんなところにほんとうに必要ないだろうと思うようなところにも、どんどん作られてゆく。しかし、それらが、「あっ、なくなってる」という経験はまったくない。

 会社でも同じことが言える。業務手順や社内ルールは、増えることがあっても減らされることはない。コンプライアンス、環境対策、個人情報保護・・・どんどんと規制やルールは増えていっても、減らされることがない。

 その精神を考えれば、もはや過去のルールは廃棄してもいいのではと思えることも、ルールを減らすことは、タブーであるという意識が働いている。その結果、過剰なまでの規制意識、コンプライアンス意識が、リスクを犯してチャレンジすることを許さない。とにかくリスクを徹底的に排除するといった風潮を生み出しているのではないか。

 いい仕事とは、画期的なこと、「そこまでやるのか!」とおどろかれるような仕事をすることではない。そこそこでもいいから、絶対に失敗しない、確実で、無難に成果を出す事を評価する。

 先日、ある研修会社で、新入社員研修の日報をオンラインで書き込み、人事担当者がコメントできるシステムの開発に関わった。

 新入社員研修が始まり、その使い勝手や課題などを伺った折、お客様の人事担当者から、「受講生が日報を書き込んだ際のタイム・スタンプを消すことはできないか」という相談をうけたという話しを聞いた。

 タイム・スタンプがついていると、就業時間後や休日に仕事をしたということが、明らかになるのでまずいというのである。

 そこまで、意識しなければならないのかと、その人事担当者の心情が思われ、ちょっとかわいそうになってしまった。

 ルールで縛り、リスクを犯す事を絶対に許さない。もし何か問題が起こっても、それは「あってはいけないこと」なので、表に出すことができない。相談できない。仕方がないので、自分で抱え込んでしまう。最初は些細なことで、何とかなるだろう、何とかできるだろうと考えていたものが、どんどんと事態を深刻なものにしてしまう。それに耐え切れなくなり、心の病で苦しむ人も出てくる。

 最初は、仕事を任せていた上司が、なにか問題が起きそうになると、そんなことをやらした覚えはない。本人が自分で判断したこと。自分には関係ないとはしごを外す。

 そんな苦労はしたくない。だから、大きな仕事、責任のある仕事、チャレンジはしたくない。「PMになりたくない症候群」とは、そんな会社が、自ら生み出した過剰な「自己免疫疾患」ではないのだろうか。

 不安もあるが、希望に満ちた若者たちである。いろいろと大人たちは言うが、彼らにも熱い思いや意欲がある。それをどんどんと萎縮させ、「PMになりたくない」と言わしめているのは、大人達ではないのか。そんな自分達の責任を棚に上げ、「最近の若い者は・・・」と嘆いている。実に滑稽なことではないか。

 今年度、ゆとり世代の第一期生が、新入社員としてやってきた。大人たちは、そんな彼らを心配し、疑心暗鬼になっている。しかし、まずは、自分の足元を見るべきだ。

 かれらの可能性を開花させ、会社に貢献してくれる人材として育てるのは、職場の環境である。若気の至りを許し、何かがあれば、いつでも相談に乗り、助けを差し伸べる、そんな彼等の心のセーフティ・ネットを用意することではないのか。

 自分達が築き上げてきた環境を省みることもせず、彼らを、ゆとり世代だ、草食系だ、覇気がないなどとは、軽々しく言うべきではない。

 そうさせているのは、自分達だという、大人としての自覚が必要なのではないだろうか。

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2010年4月10日土曜日

OJTという「ほったらかし」

 Twitterで、企業研修の内製化が増えているという話題がつぶやかれていた。その理由は、不況でコスト削減を図りたいためだけではなく、「実践的な教育をしたいから」だという議論であった。

 しかし、もしこれが事実であるとすれば、研修講師に「実践的教育の能力がない」ということの裏返しとも受け取れる。企業研修に関わる一人として、耳が痛い話しだ。

 では、内製化すれば実践的教育が出来るようになるかといえば、それも大いに疑問である。

 どれほど現場で修羅場をくぐっていても、その経験だけで、相手の才能を引き出し、能力を高められる「教育者」になれるのかといえば、決してそんなことはない。「名選手、必ずしも名コーチにあらず」のたとえである。

 経験知、暗黙知が、たとえ豊富にあったとしても、形式知として相手に伝えることが出来なければ、教育にはならない。

 確かにがんばった実戦経験を語ることは、精神論として相手を鼓舞し、モチベーションを高めることには一定の効果はある。しかし、同じ状況は、絶対に再現しない。だから、あらゆる状況に対処できる体系化、法則化、手順化をしなければ、教育としては、不十分といわざるを得ない。

 もしかしたら、ここでいう実践的教育とは、社内用語、事務処理手順、組織内の役割分担や力関係を理解させる意味であろうか。確かにこれも、実践には不可欠ではあるが、これは、実践能力の本質ではない。

 外部講師にこの部分を期待することは難しいが、仕事の本質に関わるところであれば、彼らもまた素人ではない。私もそうだが、講師を生業とする者は、それなりの、いや人並み以上に実践経験をつんできたものが多い。

 しかし、その経験を伝えようとするとき、自分の言葉や理論を築けず、既成の手法や他人の言葉の受け売りで、研修を行おうとすれば、せっかくの実践経験も色あせてしまう。その程度であれば、プロの研修講師として、お客様の期待に応えることはできない。

 また、過去の栄光が、いまだ通用するという思い込みも厳に慎まなければならない。もはや高度経済成長の時代は終わり、靴底を減らしてお客様に通えば、仕事をもらえるような時代ではない。

 時代に即した知識、そして体系化や手順化を心がけなければ、それはもはや古典の愉しみである。過去の栄光を懐かしみながら「オレの若い頃はなぁ」という根性論と成り下がる。これは、研修ではなく、精神訓話に過ぎない。

 企業が、内製化を進める理由として、外部の講師に、このような時代の流れに即した教育が期待できないという思いも、その本質にはあるのかもしれない。

 もうひとつ、企業研修の現場で、よく話題になるのが、OJTである。「わが社は、OJTで社員を鍛えているので、研修やセミナーには期待していない」という話しを聞く。しかし、この理想をを実現するには、OJTを担当する者が、次の3つの条件を備えていなくてはならない。

1.OJTの責任を担う自覚と意欲があること。
2.教えるスキルや能力が備わっていること。
3.育成の目標が明確に示されていること。

 これがないままに、若者を現場に放り込み、あとは自助努力に期待する。これでは、「ほったらかし」である。

 「あとは、自分で何とかしてください。自分で何とかなった人だけが、残ってくれればいいですよ。」これを、トレーニングとはいわない。

 「いや、そうやって、みんな一人前に成ってきたんだ」といわれるかもしれないが、それはOJTの成果ではなない。たまたま、本人の自助努力の成果が実っただけである。

 当然、その結果には、ばらつきが出る。できるもの、できないものが、顕著に偏ってしまうのは、まさにそんなOJTの成果(?)と言えるだろう。

 企業研修の本質は、自分達の事業目標を達成するに資する人材を育てることにある。そのためには、教育を通して、あるべき姿を示し、対象となる人材を一定のレベルまで底上げする必要がある。

 つまり、一定の高さまで、教育という「はしご」をかけて上らせてあげる。高い「はしご」の上に立たせ、このように仕事をすれば、成功し、成長するんだよという、景色や地図を高い視点で見せてあげることが目的である。

 OJTとは、その「はしご」の上で目にした景色の印象と地図を片手に、実践の現場を歩かせ、感覚として身体に記憶させることが目的である。

 その「はしご」を用意もせず、ただ体験の現場に放り出すだけでは、本人はどこに向かって歩けばいいのか分らない。当然、計画的な人材の育成は期待できない。これでは、本人の自助努力というはっきりしないものに期待した「博打」以外の何者でもない。

 こんな事を言うと、中小の企業経営者は、「自分は教育など受けず、現場でたたき上げて今までやってきたんだ。だからOJTで十分」という気持ちをもたれるかもしれない。しかし、自分がそうであったからといって、部下に同じ事を期待しても無理である。むしろ、そのような存在が稀有であるからこそ、経営者になれたという事を自覚する必要がある。

 人材の育成は、容易なことではない。高い志と精緻な戦略があってこその成果である。OJTは、その戦略の一環として、有用な育成の手段である。しかし、本来の目的で正しく使わなければ、それは、放置であり、手抜きの言い訳となってしまう。

 以前のブログで、こんな事を書いた。------------------------------

 「わが社は、OJTでやっている」という話を聞くと、「わが社は、人を育てる取り組みを放棄しています。自分でできる人間だけが残ってくれれば、それでいいんですよ。」そんな風に聞こえてしまうのは、私の耳が悪いせいでしょうか?

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2010年4月3日土曜日

組織力を活かす営業の要:アカウント営業

 チーム営業、組織営業という言葉をよく耳にする。この言葉には、ふたつの意味があるようだ。

 ひとつは、営業成績が、特定の営業担当者 に偏ってていることへの懸念から出ている場合だ。営業担当者全員が、一定以上の営業成績を上げ、営業組織全体で目標達成が出来るように、一丸となってがん ばってほしいという意味である。

 もうひとつは、社内にいろいろと売るもの、売れるものがあるにもかかわらず、それを活かしきれていな い。あるいは、優れた技術や才能のある個人や組織があるにもかかわらず、それを営業活動の武器として、あるいは、協力し合って、営業活動を行っていないと いうことへの懸念から来ている。

 夫々のスペシャリストが、協力し合って営業活動を行えば、もっと業績を上げられるはずだというものであ る。

 前者の課題への処方箋は、適材適所による役割分担、教育研修による個人の能力の底上げ、営業活動プロセスの「見える化」とプロセス のに着目したマネージメントということになるだろう。

 これについては、いずれ話しをまとめてみようと思うが、今日は後者の意味でのチー ム営業、組織営業について、考えてみようと思う。

 結論から申し上げれば、「組織営業力の強化は、アカウント営業の役割を明確にし、その 能力を育成すること」である。

 組織やチームを活かした営業を強化するために、製品やサービス内容の充実、デリバリー部隊の技術力育成、 SEやサポート部門のプリセールス責任の付与などの施策をとる企業も多い。しかし、これは、戦うための武器の充実、強化である。それを使う兵士たちが、う まく使いこなせなければ、所詮は宝の持ち腐れとなってしまう。

 だから、営業個々人の能力育成をすればいいのかと考えるのも早計だろう。 確かに、武器を確実に使いこなせる優秀な兵士が必要である事は言うまでもないが、どこに向けて撃てばいいのかは、現場指揮官の裁量と判断である。

  特に相手が、手強わければ、ひとりの兵士に任せるわけにはゆかない。斥候、歩兵、戦車を適材適所に配し、総合力で圧倒しなければ、敵に勝つことはできな い。

 組織力を活かす、つまり、自社の強みとなる武器と兵士を、目標攻略のために動員し、もっとも効率よく、効果的に使いこなす。その役 割を担う現場指揮官なくして、組織力を最大限に発揮することは出来ない。

 この現場指揮官こそ、アカウント営業である。

  「お客様は、自分達の抱える課題解決を求めている。あなたの会社の商品やサービスを買いたいわけではない。

 営業は、この当たり前の前 提を時に忘れてしまうことがある。

 営業目標という数字を背負う営業にとって、自分達の商品を売りたいという気持ちは当然のことではあ る。しかし、それは、お客様の課題を解決する手段の一部にすぎない。

 あなたの商品でお客様の課題がすべて一掃されるということは、奇跡 である。もし、そんな事を本気で信じているとすれば、常識がなさ過ぎる。お客様は、そんな非常識を直ぐ見抜くだろうし、そんなあなたを信用しなくなるだろ う。

 そこまでではなくても、自分の出来る事を前提にお客様に売り込む営業も少なくない。「自分達は、ここまでできます。足りない分は、 お客様が自分で何とかしてください。」という営業である。これもた「お客様に信用されない営業」の典型的パターンである。

 「お客様が求 めているのは課題の解決であり、商品の購入ではない」という、前提を心得ない営業のひとつの姿である。

 「自分が何が出来るかではなく、 お客様のために何をすべきかを考える」。

 それが、営業という仕事の基本的な姿勢であろう。自分達に出来るかどうかはわからない。しか し、お客様の課題を解決するためには、自分達の商品やサービス、あるいは人材にこだわらず、最善の手段の組み合わせを考える。そして、その組み合わせを構 成する手段の一つとして、自社のモノを組み入れる努力をする。

 お客様の個別の課題を整理し、課題解決に最適な組み合わせ、つまり「ソ リューション」を考える。そのために社内外から必要なリソースを引き出し、お客様に最適化された提案を纏め上げる。

 これをひとりで行う ことは容易なことではない。特に、案件規模が大きくなれば、関わる人や組織が大きくなる。だからこそ、全体を取りまとめ、関係者をお客様の課題解決という ひとつの方向に結集させる役目、つまりプロデューサーが必要となる。

 このプロデューサーこそ、アカウント営業である。

  組織力を生かした営業活動、チーム営業とは、武器を充実させ、営業個々人の能力を高めるだけでは、実現できない。お客様に責任を持ち、お客様の課題解決の ために全体をプロデュースする現場の指揮官が必要だ。

 この指揮官を育てること。そして、彼の役割をはっきりとさせ、だれもが彼に従う組 織としてのコンセンサスを確立すること。

 組織力を生かす営業とは、このアカウント営業なくして、実現はしないだろう。

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