2010年4月10日土曜日

OJTという「ほったらかし」

 Twitterで、企業研修の内製化が増えているという話題がつぶやかれていた。その理由は、不況でコスト削減を図りたいためだけではなく、「実践的な教育をしたいから」だという議論であった。

 しかし、もしこれが事実であるとすれば、研修講師に「実践的教育の能力がない」ということの裏返しとも受け取れる。企業研修に関わる一人として、耳が痛い話しだ。

 では、内製化すれば実践的教育が出来るようになるかといえば、それも大いに疑問である。

 どれほど現場で修羅場をくぐっていても、その経験だけで、相手の才能を引き出し、能力を高められる「教育者」になれるのかといえば、決してそんなことはない。「名選手、必ずしも名コーチにあらず」のたとえである。

 経験知、暗黙知が、たとえ豊富にあったとしても、形式知として相手に伝えることが出来なければ、教育にはならない。

 確かにがんばった実戦経験を語ることは、精神論として相手を鼓舞し、モチベーションを高めることには一定の効果はある。しかし、同じ状況は、絶対に再現しない。だから、あらゆる状況に対処できる体系化、法則化、手順化をしなければ、教育としては、不十分といわざるを得ない。

 もしかしたら、ここでいう実践的教育とは、社内用語、事務処理手順、組織内の役割分担や力関係を理解させる意味であろうか。確かにこれも、実践には不可欠ではあるが、これは、実践能力の本質ではない。

 外部講師にこの部分を期待することは難しいが、仕事の本質に関わるところであれば、彼らもまた素人ではない。私もそうだが、講師を生業とする者は、それなりの、いや人並み以上に実践経験をつんできたものが多い。

 しかし、その経験を伝えようとするとき、自分の言葉や理論を築けず、既成の手法や他人の言葉の受け売りで、研修を行おうとすれば、せっかくの実践経験も色あせてしまう。その程度であれば、プロの研修講師として、お客様の期待に応えることはできない。

 また、過去の栄光が、いまだ通用するという思い込みも厳に慎まなければならない。もはや高度経済成長の時代は終わり、靴底を減らしてお客様に通えば、仕事をもらえるような時代ではない。

 時代に即した知識、そして体系化や手順化を心がけなければ、それはもはや古典の愉しみである。過去の栄光を懐かしみながら「オレの若い頃はなぁ」という根性論と成り下がる。これは、研修ではなく、精神訓話に過ぎない。

 企業が、内製化を進める理由として、外部の講師に、このような時代の流れに即した教育が期待できないという思いも、その本質にはあるのかもしれない。

 もうひとつ、企業研修の現場で、よく話題になるのが、OJTである。「わが社は、OJTで社員を鍛えているので、研修やセミナーには期待していない」という話しを聞く。しかし、この理想をを実現するには、OJTを担当する者が、次の3つの条件を備えていなくてはならない。

1.OJTの責任を担う自覚と意欲があること。
2.教えるスキルや能力が備わっていること。
3.育成の目標が明確に示されていること。

 これがないままに、若者を現場に放り込み、あとは自助努力に期待する。これでは、「ほったらかし」である。

 「あとは、自分で何とかしてください。自分で何とかなった人だけが、残ってくれればいいですよ。」これを、トレーニングとはいわない。

 「いや、そうやって、みんな一人前に成ってきたんだ」といわれるかもしれないが、それはOJTの成果ではなない。たまたま、本人の自助努力の成果が実っただけである。

 当然、その結果には、ばらつきが出る。できるもの、できないものが、顕著に偏ってしまうのは、まさにそんなOJTの成果(?)と言えるだろう。

 企業研修の本質は、自分達の事業目標を達成するに資する人材を育てることにある。そのためには、教育を通して、あるべき姿を示し、対象となる人材を一定のレベルまで底上げする必要がある。

 つまり、一定の高さまで、教育という「はしご」をかけて上らせてあげる。高い「はしご」の上に立たせ、このように仕事をすれば、成功し、成長するんだよという、景色や地図を高い視点で見せてあげることが目的である。

 OJTとは、その「はしご」の上で目にした景色の印象と地図を片手に、実践の現場を歩かせ、感覚として身体に記憶させることが目的である。

 その「はしご」を用意もせず、ただ体験の現場に放り出すだけでは、本人はどこに向かって歩けばいいのか分らない。当然、計画的な人材の育成は期待できない。これでは、本人の自助努力というはっきりしないものに期待した「博打」以外の何者でもない。

 こんな事を言うと、中小の企業経営者は、「自分は教育など受けず、現場でたたき上げて今までやってきたんだ。だからOJTで十分」という気持ちをもたれるかもしれない。しかし、自分がそうであったからといって、部下に同じ事を期待しても無理である。むしろ、そのような存在が稀有であるからこそ、経営者になれたという事を自覚する必要がある。

 人材の育成は、容易なことではない。高い志と精緻な戦略があってこその成果である。OJTは、その戦略の一環として、有用な育成の手段である。しかし、本来の目的で正しく使わなければ、それは、放置であり、手抜きの言い訳となってしまう。

 以前のブログで、こんな事を書いた。------------------------------

 「わが社は、OJTでやっている」という話を聞くと、「わが社は、人を育てる取り組みを放棄しています。自分でできる人間だけが残ってくれれば、それでいいんですよ。」そんな風に聞こえてしまうのは、私の耳が悪いせいでしょうか?

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