2010年2月28日日曜日

お客様に行けないあなたへ、お客様が怖いあなたへ。

 先日、あるソリューション・ベンダーの営業オフィースに伺うと、半分以上の営業が、席を暖めているのです。事務処理が忙しいのだろうか・・・営業だから、外に出かけて何ぼのもの・・・なんて、つまらないことを言うつもりもありませんが、それにしても、ちょっと違和感を感じていました。

 昼食時、リーダー格の営業に、そんな話しをしてみると、驚きの答えが返ってきたのです。

 「お客様に行くのを遠慮してるんですよ。」

 対人恐怖症でもなければ、出かけることを面倒だと考えているわけでもない。その証拠に、なにか用件があれば、直ぐにでも出かけてゆき、必要な仕事をこなしてくる。

 「これといった用事がないときに出かけていって、お客様の仕事を邪魔することが、申し訳ないと遠慮している。そういうことではないでしょうかね。」

 私のような図々しい営業にとっては、「お客様の仕事を邪魔(?)をするのも仕事のうち。それで、ネタを集めてくるのが営業」といった感覚があります。しかし、彼らには、この常識は、通用しないようです。

 お客様と顔をつき合わせて、世間話をはじめる。お客様に関心のありそうな話題を提供し、お客様の反応を見ながら、話題を膨らませたり、突っ込んだり。そんな会話のやり取りに、お互いに気付きがある。それは、彼にとっても価値があること。こちらにとっても、ビジネスのきっかけになります。決して、双方にとって、無駄な時間ではないはずなのですが・・・

 それができない、あるいは、しようとしない。

 「お客様のところへ出かけていって、何を話していいのか分らない。話題が広がらない、なんとなく気まずい沈黙。お客様にも無駄な時間をすごさせてしまう。それでは申し訳ない。」・・・ だから、お客様のところに行けない・・・いや、お客様に行くのが怖い。

 どうも、そういうことのようです。

 やさしくさなのでしょうか。それとも、人とのコミュニケーションを楽しむことができないのでしょうか。なんとも、納得のいかない思いです。

 怠けているなら、「バカヤロー」と怒鳴れば、多少なりとも効き目があります。しかし、「どうしていいのか分らない」、「怖い」と感じている相手に、「バカヤロー」は、効き目がありません。どうすればいいんだぁ・・という「不安」を与えてしまうことになります。

 この会社は、大手の企業の子会社です。今まで、仕事は、彼らが回してくれました。売り込みは、必要なかったのです。大会社の子会社ですから、信用もあります。景気がいいときは、他のお客様でも、向こうから仕事の相談が来ました。彼らには、「案件を探す」必要などなかったのです。

 親会社やお客様から与えてもらう仕事を抜かりなくこなすこと。ヒトやモノをスケジュールどおり調達し、事務処理も抜かりなく行うこと。クレームに対応し、社内や関係者を駆け回り、事態を収めること。それが、営業の仕事でした。

 彼ら営業にとって、課題を探り、提案を仕掛け、関係者を回ってその気にさせて、プロジェクトを立ち上げるといった「売り込み」は、仕事の範疇にはなかったのかもしれません。

 それを、景気が悪いから、仕事が減ったからという理由で、「営業なんだから、売込みをしてこい!」とマネージャーや経営者に正論を言われる。反論の余地はありません。

 「じゃあ、どうすればいいんですか。今までやったことがないので、教えてください。」と聞いても、「自分で考えろ」ということになる。特に、ベテランはかわいそうです。プライドがありますから、カッコ悪いところは見せられません。過去の成功体験もあります。なんとかしなければともがくのですが、やり方がわかりません。「不安」がますます募ることになります。

 教えるべき立場にあるマネージヤーや経営者にも、過去の成功体験しかありません。ですから、教えようがないのです。しかし、プライドがあります。そんなことは、いえません。だから、「オレが若い頃はなぁ・・・」という、自慢話になる。しかし、彼の若い頃と今では時代が違うので役に立たちません。その現実に目を背け、精神論だけを聞かされ、具体的な方法を教えてくれません。

 このような話は、この会社だけのことではないようです。

 「営業力の強化が、喫緊の課題」という、経営者は、この不景気になって、ますます増えているように思います。では、何か手を打っているのかというと、会社の現状とこれを乗り切ることの重要性を説き、あるべき姿、精神論を語り聞かせる。そして、「がんばりましょう、エイエイ・オー!」で終わるのです。

 その話しを聞いて、現場の営業は、「そうかぁ、よーし、がんばるぞ・・・」ということになるのですが、「じゃあ、どうすれば・・・?」となる。しかし、「できないのは、自分のがんばりが足りないせいだ。もっと、がんばらなくては・・・」とこちらも精神論の域を出ない。しかし、成果は上がらない、不安になる。それが、心の問題を増やしているようにも思います。

 どこの会社でも同じだなどと申し上げるつもりはありません。ただ、もし、あなたに心当たりがあれば、このような事実はないのかを冷静に見つめ、それを受け入れることが、必要ではないでしょうか。

 心構えや精神力だけを頼りにするのではなく、お客様の経営や業務の内容とプロセス、ITやビジネスのトレンドや常識を学ぶ努力をしているでしょうか。お客様の心の動きを正しく理解し、話題を発展させ、課題を探る方法を身に着けなければなりません。そのためにできることは、何かを真剣に考えているでしょうか。

 KKDという言葉があります。経験と勘と度胸です。KKDも大切ですが、それだけでは、もはや仕事にはなりません。また、過去のKKDは、今の時代には通用しないのです。

 知識やスキルとともに、もっと大切なことを学ぶ必要があります。それは、人とコミュニケーションし、楽しむ方法です。これは、決して、相手を邪魔することではなく、信頼をはぐくみ、新たな知識や気付きを得る、お互いに価値ある時間だということです。自分は、こんな価値ある仕事をしているという自覚が必要なのです。

 もちろん、準備は、必要です。業界やお客様の会社のこと、世間の話題や常識、自社のサービスや製品・・・しっかりと勉強するのは当たり前。そして、お客様の関心がありそうなことに当たりをつけて、話題を用意しておくことです。

 たとえ、口下手であっても、準備をすれば、何とかなるもの。そんな楽観論も、コミュニケーションを楽しむためには、必要な心構えです。

 お客様と顔を合わせ、ただニコニコし、相槌を打つ。これでは、「いい人」だけで終わってしまいます。

 お客様に行けないあなたへ。お客様が怖いあなたへ。自分の現実を冷静に見つめなおしてみませんか。それが、現状を変える、きっかけになるかもしれませんよ。

2010年2月20日土曜日

「お客様の立場に立って考えています」と自信を持って言えますか?

 トヨタ自動車の豊田社長が、議長の招請を受けて米国の公聴会に出席することが決まったようだが、この記事を見て、そういうことになるだろうとは、予想していた。

 会社としての諸事情や駆け引きはあったのだろう。ただ、「公聴会に出席しない」という社長の記者会見の中で語られた「お客様第一」という言葉が、空疎に聞こえたのは、私だけではないだろう。

 屋上屋を架すことは、私の本意ではないので、これ以上、申し上げるつもりはない。ただ、営業として、「お客様第一」、「お客様の立場に立って」という言葉の意味を改めて考えさせられた。今日は、この点について考えてみようと思う。

 私は、中央線に乗って通勤しているが、遅れや運休は、日常茶飯事。そのたびに、車掌は、「申し訳ございません」と謝罪の言葉を述べている。

 考えてみれば、彼の責任ではない。では、JRの責任かといえば、そうとも限らない場合が多い。先日も高円寺で起きた運休では、酔った若い女性が、線路に落ちたことが原因だと聞いている。それでも、車掌は、「申し訳ありません」と謝罪する。

 人は、理屈だけでは動かない。遅れた、止まったことの理由の如何にかかわらず、人は苛立ち、不満や怒りがこみ上げてくる。この感情がある限り、人は、理性的な判断が、できない。だから、まず「申し訳ありません」という言葉で、相手の感情の高ぶりを抑えようと試みる。

 システム・トラブルは、コンピューターの宿命だ。私が現役の一時期は、大型の汎用機が主流だった。汎用機はその名の通り、多くのユーザーが、同時にいろいろな業務で利用している。それが、トラブルを起こし、ダウンしようものなら、大変なことである。そんなことが起きたときには、とるものもとりあえず、まず頭を下げにゆくのが、営業の鉄則だと教えられていた。そこで駆け引きをすることは許されない。

 こちらに非があろうがなかろうが、頭を下げにゆく。それでトラブルが解決するわけではなのだが、まずお客様に顔を出し、申し訳ないという気持ちを伝える。そして、お客様が、理性的な解釈や判断ができるようにすることが、営業の役割だと心得ていた。理屈はそれからである。

 お客様第一、お客様の立場に立ってという言葉が、巷にあふれている。というか、実に軽々しく使われているように思う。

 この言葉、決してお客様の言いなりに何でもするということでもなければ、こちらの理屈を押し通して、お客様に押し付けることでもない。

 理屈だけではない、お客様の心の動きや、意思決定に至る葛藤、会社や家庭における彼の立場や期待。そういういろいろなものが、彼を動かしている。

 そういうことを想像することが、お客様の立場に立つということなのだろうと思う。

 思いやりや愛情も、同様である。相手のことを想い、いろいろと想像し、どうすれば相手が幸せになれるかを考え行動する。その想像力が足りなければ、相手は、あなたに愛情が薄いと不満を言うだろう。

 これは職場でも同じことだが、相手の気持ちを想像できず、いや、想像することもせずに、自分の考えていることだけを話したり、相手の嫌がる質問をしたりする人間のことを「空気が読めない」というではないか。

 まず頭を下げるというのは、決して「非を認める」ことではない。非を認めるかどうかは、理屈の結果である。ここは、徹底的に論理的に事実を追求し、責任の所在を明らかにしなければならない。そのことと、最初に頭を下げるということは、目的がまったく違うのである。

 さて、豊田社長は、あるいは、彼の側近は、この違いを理解されていたのだろうか。

 今回の出来事を他山の石としたいものである。

*- 追記: 2/21 読売新聞 「編集手帳」にこんな記述がありました -*

「人は、起こしたことで非難されるのではなく、起こしたことにどう対応したによって非難される」

■ お客様の立場をどうすれば想像できるのだろうか

  お客様は他人である。そんな相手のことを想像しろといわれても限界がある。夫婦だって、実のところ相手の気持ちなどろくにわかってはない。所詮無理な話である。

 しかし、それでも相手に信頼され、愛情を感じてもらうことができる。そこには、相手を理解しようという情熱があるからだろう。そして、相手が何を考え、どう考えて行動するかを想像する上でのパターンが読めるから、相手も安心してくれる。

 ところで、営業という仕事の中で、お客様は、どのように考え、行動するのだろう。あなたには、そのパターンが読めますか。

 「ソリューション営業プロ フェッショナル養成講座」は、そんなパターンについても、解説いたします。

 詳しくは、こちらをご覧くださ い。

2010年2月11日木曜日

リーダーシップはいらない

 100名ほどの営業を擁するあるソリューション・ベンダーで、その一割に当たる10名ほどが、メンタルな問題を抱え会社を休んでいるという話しを 聞いた。この数が多いか少ないかは、なんともいえないが、昨今の営業の現場を見ていると、どこも似たり寄ったりのような気がする。むしろ、そういう人たち をしっかりと把握できているということは、立派なことだと思う。

 「恥ずかしいこと」、「あってはいけない」が、まかり通っている多くの 会社では、このような事実を埋もれさせ、分っていても分っていない振りをする。結果として、組織の活力を奪い、大きなリスクを知らず知らずのうちに溜め込 んでしまっている会社も多いのではないだろうか。

 しかし、改めて考えてみると、組織の一割が、戦力外という営業組織は、どう見てもまと もとは思えない。私は、その理由のひとつに、「リーダーシップ神話」が、あるのではないかと考えている。

 景気が上向いているときは、お 客様に足を運べば、担当営業の能力に関わらず、仕事をとることができた。マネージャーは、彼らを鼓舞し、お客様に向かわせる。それが結果として数字にな る。マネージャーも率先垂範を心がけ、部下の先頭に立って、商談をまとめる。リーダーとして、範を示し、部下に指示し、部下を鼓舞し、ぐいぐいと引っ張っ てゆく「リーダーシップ」こそが、マネージャーに求められる能力だった。そして、それが、ちゃんと結果を伴っていた。

 売るものが、単純 だったということも、リーダーシップには、向いていた。モノが、それ自身で競争力を持ち、そのアドバンテージをしっかりと売り込む。それに関わる事務処理 も、関係するヒトや組織も少なければ、営業はそれを自分だけでこなすこともできた。

 営業の役割は、シンプルだったので、自分で何をすべ きか、見える範囲にすべて収まっていた。あとは、上司の励ましと、ありがたい彼の成功体験を聞かされ、よぉーしと踏ん張ればよかったのである。

  しかし、今はそうはゆかない。なんだかよく分らない「ソリューション」を売れといわれる。モノによる差別化が難しくなる中、モノだけではなく、サービスや サポートをお客様個別に組み合わせてゆかなければならない。その組み合わせに差別化を見出さなければ、もはや競合に勝つことはできない。

  関わる人や組織、製品やサービスの種類も増える。関わる人や組織が増えれば、彼らとの調整や意思疎通に多くの時間を費やさなければならない。そのオーバー ヘッドは、モノを売っているときとは、くらべものにならない。自分で処理できる情報量が、限界を超え、判断も容易にできないといった状況を抱えているの が、今の営業の現場であろう。彼らは、「不安」なのだ。

 そこに今まで同様に、「リーダーシップ」を持ち出され、鼓舞されても、どうすれ ばいいのか分らないのだから、がんばりようがない。がんばらなければ・・・でも、どうすればがんばることができるのか、それが分らない。誰も教えてくれな い。そんな不安が、心を蝕んでいる。

 また、マネージャーも過去の成功体験しかないわけだから、率先垂範もできない。彼らもリーダーシッ プを発揮しなければという今までの通念に支配されている。しかし、それが結果を伴わない。どうすればいいのかと、彼らもまた「不安」を抱えているのであ る。

 過度な「コンプライアンス」もこの不安を増長している。「あっはならない」、「問題を起こしてはいけない」が前提のコンプライアン スは、チャレンジ精神を封印する。そして、小さな問題があっても、それ露見させず、何とか自分で始末してしまおうと、余計な心のエネルギーを消費する。そ れが解決できればいいのだが、そうならなければ、不安はますます大きくなり、押しつぶされてしまうほどに膨らんでしまう。当然、会社としてのビジネス・リ スクも拡大する。

 「リーダーシップ神話を捨てること。」今の時代には、それがふさわしい。リーダーシップという過去の神様を捨てて、新 しい神様に乗り換えなければ、この現実を変えることはできないのではないかと思う。

 では、その新しい神様とは何者か。「スポンサーシッ プ」というのは、どうだろう。

 指示、命令、模範で部下をひっぱてゆくのではなく、「一緒になって、困り、考え、役割分担を考えてゆく」 そんなスタイルである。

 自分だけではできない、がんばっても無理、問題はあって当然。「スポンサーシップ」は、この当たり前を共有する ことから始まる。

 自分だけではできない、がんばっても無理なのだから、一緒にやろう。あなたには何ができて、自分は何ができるのか。誰 を巻き込み、どのように動いてもらえばいいのか。

 「なぜやらないんだ!」ではなく、「どうすればできるだろうか?」に変えてゆくことで ある。

 問題はあって当然なのだから、問題が発生したら、いや、その兆しが見えたなら、いつでも聞く耳を持つことであろう。「あってはな らないから、規則や手続きでがんじがらめにする」のではなく、「問題が小さなうちに、話しがあがってくる、相談ができる部下と上司の関係」を築くことが、 コンプライアンス対策のあるべき姿ではないかと思う。

 これができなければ、気持ちは萎縮し、だれもチャレンジなどしない。いわれたこと だけをやる。自主的、自発的な行動を期待しても無駄であろう。

 ソリューション・ビジネスとは、「スポンサーシップ」という考え方なくし てうまく機能しないだろうと思う。

 ソリューションというお客様の課題に対処する方策が多様化し、複雑化し、お客様も、その最適解が分ら ない。これしかないという解決策がないのである。

 その答えを提供することが、ソリューション・ビジネスであるとすれば、売る側にも、新 しいモノへのチャレンジであり、既存の能力の限界を超えるために潜在力を最大限に引き出して、新しい答えを創造しなければならない。それができなければ、 お客様の満足は得られないだろうし、競合に勝つことはできない。

 「スポンサーシップ」とは、そういう力を引き出すための基盤となるだろ う。

 「リーダーシップ」から「スポンサーシップ」へ。そろそろ、過去の常識と決別すべきではないだろうか。

■  不幸な現実を真正面から受け止める勇気が必要だと思うのです

  エンジニアとして現場を歩んできた方が、「営業マネージメント」を任される。最近、そんなケースが増えているようだ。デリバリーが減りつつある中、少しで も「売り子」を増やしたい。そんな、経営者の思惑を反映してのことだろう。

 しかし、「営業という仕事」が何かを、何も教えられないまま に、「営業」という仕事を任されても、どうしようもない。「お前はもうベテランだし、営業と仕事もしてきているんだから、そんなことぐらい、分っているだ ろう」。たぶん経営者は、そんな暗黙の了解を押し付けてくる。

 当然、 「営業マネージメント」を任された人も自負ある。そんなこと分りま せんとはいえない、カッコが悪い。

 それで、つぶれてしまった人を少なからず見てきた。本当に不幸なことだと思う。 真剣に考えてみるべきではないだろうか。

 「ソリューション営業プロ フェッショナル養成講座」は、そんな現実にも真正面から答えてゆきたいと考えています。

 詳しくは、こちらをご覧くださ い。

2010年2月3日水曜日

「仕組みとしての見える化」と「環境としての見える化」

 プレーヤーが、マネージャーの役を任されたとき、まず最初に戸惑うことは、「見るべき範囲」の違いであろう。

 プレーヤーであれば、自分の担当するお客様であり、自分のやっていることのみを見ていればいい。しかし、マネージャーになると、そうはゆかない。自分に加え、部下のやっているコトを見なければならない。

 これは、勝手が違う。自分でやっているコトを「見る」というのは、受動である。見ようという意欲などなくても、自分のやっていることなのだから、当然に見えている。

 一方、マネージャーが、部下を見ようとすると、それなりの努力と工夫がいる。会議の場で、個別に話しをする場で、報告をさせ、質問をする。あるいは、日報や週報を書かせたりもする。

 しかし、その説明には、常に語る側の主観がはたらく。

・まずいことは、話したくない。
・いいところを見せたい。
・めんどくさい。

 様々な主観は、説明にバイアスをかけ、事実なのか、推測なのか、そうしたいという意欲なのか、その点が良く分らない。

 これは、本当にストレスがたまる作業だ。勢い、感情的になり、「本当のところはどうなんだ!」、「もっとわかりやすく説明しろ! 」となる。

 ヒトは、大概は、自分のものの見方というものを持っている。それに当てはめて、相手の話を聞いたり、状況を把握しようとする。

 マネージャーになるということは、もともとプレーヤーで優秀だったからだ。だから、自分なりの成功体験や優れた方法論、視点というものを持っている。そんな彼等の思考の枠組みに照らして、部下を見てしまう。だから、「なんでそんなことが分らないんだ」、「どうして、やらないんだ」と感じてしまうのも無理からぬ話である。

 客観的に「見る」べき立場のヒトが、それができずにいらいらし、分りやすい報告ができない部下の無能を嘆いている。しかし、その分りやすさとは、自分にとっての分りやすさに過ぎない。部下にとっての分りやすさではない。

 そんな当たり前のことにも気付かずに、自分の努力不足を部下に転嫁しているマネージャーも少なくないように思う。

 こんな状況に対応しようと、「見える化」の仕組みを作ろうと取り組むところもある。昨今、Salesfoce.comが、ユーザーを増やしていると聞くが、こんなところにも理由があるのだろう。

 しかし、どうも肝心なところが抜けているように思えて仕方がない。というか、形式的な「見える化」の仕組みを導入することで、自分の努力不足を代替させよう、分らないので仕組みで解決しよう・・・拙速な思考停止の発想に見える。

 「見える化」という言葉が、ちょっとしたブームである。しかし、いろいろと考えてみると、この「見える化」の実現には、ふたつの取り組みが必要だ。

 ひとつは、「仕組みとしての見える化」であり、もうひとつは、「環境としての見える化」である。

 例えば、Salesfoce.comであるが、これは、「仕組みとしての見える化」対策といえるだろう。簡単に言ってしまえば、日報や週報の清書システムである。もちろん、こんな雑な話しをすると、「おまえは、SFAを何も分っていない」とお叱りを受けそうだが、実態は、そうだと思っている。

 本来、SFA(Sales Force Automation)は、定められた営業活動のプロセス・モデルやワークフローに基づき、その進捗を見える化する手段として作られたものである。しかし、そのような前提がないままに、使われているケースは少なくない。

 それが悪いといっているわけではなく、その前提がない以上、使われ方は限定されるわれであり、それが週報、日報以上のものではないと申し上げているのだ。

 また、週報、日報を清書する仕組みを作っても、内容や質を作りこまなければ、「仏を造って、魂入れず」ではないか。言葉で報告するのか、システムで報告するのかの形式的な違いはあっても、なんら根本の解決には、至っていない。

 形を作れは、その利用量を増やすことで、仕事をしている気がしてくる。これは、考えなくていいから楽である。しかし、中身を造る、質を高めるとなると、ちょっと考えなくてはいけないので、簡単なことではない。

 内容や質に手を抜き、形式だけを造っているだけでは、本当の意味の「見える化」は、実現しない。

 「まずは、形から・・・」も悪くはない。しかし、多くの場合、「まずは」で完結してしまう。

 別に、Salesfoce.comを悪者にするつもりはない。ただ、「仕組みとしての見える化」対策だけでは、本当のところ、見える化は、実現しない。

 そこで、必要なのが、「環境としての見える化」である。

 言い換えれば、「部下と上司が、対話しあえる環境を作ること。」だ。

 「誰が言っているのか」といった、形式論的な視点ではなく、「どんなことを言っているのか」という本質論的な視点で聞こうとする態度を持つこと。一緒に困り、一緒に答えを作り出そうという態度を持つことに他ならない。

 部下の発言が、完全ではないと感じる場合、その多くは、すべてが間違っているのではなく、一部、それも情報不足から来る不完全さに過ぎない。あるいは、内容は正しくても、説明能力の稚拙さなのかもしれない。それを「間違っている」と全否定するのは、おかしい。

 また、「何を言っているんだ」と感じる場合も、それは、今までの自分の経験や知識という一方的な基準に照らし合わせた感覚であって、客観的、あるいは、新しい視点での事実認識に基づいたことではない場合が多い。これを「自分に抵抗している」と感じるのは、自意識過剰とでも言うべきだろう。

 このような態度では、部下は、話そうといういう気にはならないし、仮に意見を述べても、それを取り下げようとするだろう。

 まずは、ありのままを受け入れることだ。そして、とにかく相手の話を聞く。そんな関係ができれば、部下は、相談をためらわない。

 報告という形式的な見える化の仕組みは、このような上司と部下が対話できる環境があってこそ、機能する。

 「仕組みとしての見える化」と「環境としての見える化」は、「見える化」を進める上での両輪である。プレーヤーを卒業し、マネージャーになるということは、「環境としての見える化」を自分の管理する組織の中に実現することである。

 これができれば、「仕組みとしての見える化」も機能し始める。

 「環境としての見える化」は、「間違っていてもいい、不完全でも話してみよう」という、部下の自発的行動を促す。そうなれば、部下は、活き活きとし始める。

 話しを聞いてもらえる安心感は、部下のやってみようという意欲につながる。この意欲を組織の誰もが持てば、まさに、マネージメントのミッションである「組織力による目標の達成」に大きく貢献することになるだろう。

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